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【星野源×若林正恭】ずっと誤解してました…LIGHTHOUSEを見ました

星野源さんとオードリーの若林さんがご出演されているNetflix限定配信の「LIGHTHOUSE」をちまちまと見始めました。
どのお仕事が本業なのかわからないくらい、多忙で多才な顔を持つお二人が、本音で悩みを交換し新しい解釈を持ち帰る様が興味深いな…と思いつつ見ています。

本当は、一気に見てしまいたいのですが、一度に消化するのはあまりにもったいないコンテンツだと思うので、今の時点ではまだ途中(#4)までしか見ていません。

個人的に#1で若林さんが多様性について語る場面で、お笑い芸人ピースの綾部さんに「お前そっちだもんな」と言われた時に「すごく安心した」と語るエピソードがとてつもなく好きです。
若林さん曰く、日本のテレビの中だけでは足りず、明るい方を追い求めて、ニューヨークに行ってしまった綾部さんが「お前(若林)はラジオの空間が好きだもんな」と言うところに、多様性を尊重されているなぁ、と感じたとのこと。

確かに「自分はこれが好きだけどあなたはこれが好きだよね、どっちもいいよね」と、他人の好きな物も自分の好きな物と同じように肯定してくれるのってフラットだし、すごく居心地が良いですよね。

若林さんについては著書は読んでいるし、M‐1をはじめとするテレビやラジオでのご活躍も拝見していたので、なんとなく人柄は知っている気がしていましたが、実は星野源さんに関してはあまり知りませんでした。

と、言うか、誤解を恐れずに言うと、「星野源」というコンテンツを避けて通っていたかもしれません。

ものすっっごく恥ずかしい話なのですが、わたしは皆が「いいよね~」というものに対して「そこに簡単に乗りたくない!!」という謎の意地がありました。正直、この気持ちは今でも顔を出してくる時があります。
(てか、皆ってなんや…何をもって皆と思っているのやら)

他人の好きなものを認めないことが自分の価値を高めてくれると本当に長いこと思っていて、そう唱え続けていた日々が自分を形作っていたのです。

そのせいで自分で自分の好きなものを掴むアンテナは鈍くなってくるし、何よりも、親しい人たちを傷つけてきただろうな…と思っています。

話は変わりますが、私がまだまだ若く、婚活戦士(?)だった2010年代後半は、それこそドラマ「逃げ恥」が流行り、「恋ダンス」が流行り、まさに星野源ブームの真っ最中でした。(注:星野源さんはそれよりもずーっと前からご活躍されています。)
合コンの場でも「星野源ってかっこいいよね」「いい曲が多いよね」「ラジオも聞いてるよ」「星野源が出るから紅白見なきゃ」みたいな男女がどれだけ多かったことか!!それだけわたしが婚活に勤しんでいたという証拠でもありますが。

そんな会話の中で「星野源ってそんなにいいの??」と思いつつも、内心(絶対に聞いてやらねぇ、わたしは他の奴らとは違うんだ、絶対に合わせにいってやらねぇ)と一人で消耗していました。ちなみに合コンは何度行ってもうまくいきませんでした!

わたしは、LIGHTHOUSEを見るまでは、星野源さんのことを「ぶってる人」だと思っていました。役者も歌手もこなせて、器用なくせに、不器用ぶっている人だって。

でも、それは違いました。
自分の人生をずっとひとりで試行錯誤して、いつまでも創作の炎を絶やさないように工夫と努力を続けてきた、不器用な人なんだって。
だから、LIGHTHOUSEで吐き出される悩みや言葉が深くって、自分がどうしても抱いてしまう負の感情を「表現」として昇華させることへのエネルギーの変換の仕方が半端ない、努力の人だったんだなって。

星野さんのことをもっと知りたくなって、この本を読みました。
これがまた、とっても豊かで、わたしは過去の自分の視野の狭さを嘆いています。
星野源、いいよ。百歩譲って曲は聞かなくてもいいから、エッセイは読みなよ、すごく見え方が変わるからさ、って過去の自分の目の前に、この本をハンカチ落としの鬼みたいにヒラっと置いて、そう言ってやりたい。

何よりも、偏見だらけ思い込みだらけの自分が、いちばん多様性からほど遠い存在だったわ…というお話でした。

まだ見れていない残り2つのLIGHTHOUSEのエピソードも、ひとりで噛みしめながら、楽しみに拝見したいと思います。


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