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<UMA遺産 第7回>座敷わらしに遭遇…一緒に遊ぶことができるかも!?~岩手県二戸市(にのへし)金田一温泉郷エリア

UMA(未確認生物)出現が噂されるミステリアスなエリアを、UMAの聖地として、「UMA CREW PROJECT」が独断と偏見で選定、紹介する「シリーズUMA遺産」。ビジュアルも変え、心機一転の第7回目は・・・・。

「座敷わらし」

「河童」や「天狗」と並び、やはり日本において有名で、一般には「妖怪」と分類されることが多い一方、心霊現象やスピリチュアルな側面をも持ち合わせるが、「UMA CREW PROJECT」としては、立派なUMAとして分類、位置づけ、その存在の謎を追求していきたい。

「座敷わらし」とは、古い家に出没する子供の妖怪とされ、岩手県の北上盆地を中心に青森県、宮城県、秋田県など東北地方各県にて、言い伝えが残っている。場所によっては、方言などが反映された呼び名で、「座敷ぼっこ」「蔵っこ」「蔵ぼっこ」「蔵わらし」など、その地によって呼び方が違うものもある。
多くの言い伝えでは、座敷わらしは、赤ら顔の5、6歳くらいの子供とされるが、住み着く家によって、3歳くらいから15歳くらいとされることもあったり、色白だとする地方もある。髪型が想起しやすい、おかっぱ頭もしくは、ざんぎり頭とされる。性別としては、男子とされるケースが多いが、男女両方とも言い伝えとして存在する。一般に、ちゃんちゃんこを着ているとされるが、着物や小袖、ときには振袖を着ているという。
悪戯好きで、小さな足跡を残したり、音を立てるともいわれ、奥座敷で音を立てて、遊んでいることが多いとされる。また、寝ようとすると枕を返され、金縛りにあうらしいが、その後は驚くほど幸運に恵まれるとも言われている。

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座敷わらしイメージ ※女の子の場合

「座敷わらし」の目撃例というか遭遇例は、東北地方を中心に、数多くの言い伝えが残されている。今回は、それらの中でも最も有名で、2020年12月、この地方に伝わる「漆掻き技術」がユネスコ無形遺産に登録され、また隣町である一戸町の「御所野遺跡」が、2021年7月、世界文化遺産への登録が決定した「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一翼を担うなど、世界的にも注目を集めるエリア、岩手県二戸市(にのへし)金田一温泉郷にスポットを当ててみる。

世界から注目を集める「二戸市」の北部に位置する「金田一温泉郷」

岩手県北部の二戸市は、岩手県の北側に位置し、ユネスコや世界文化遺産の他、日本遺産にも認定されているエリアであり、自然に囲まれ、絶景も温泉も美味しいグルメも楽しめる、観光には絶好の場所だ。
そんな二戸市の北部にある金田一温泉は、1626年(寛永3年)の発見と言われ、かつては南部藩の指定湯治場だったこともあり、「侍の湯」と呼ばれている。座敷わらし伝説の残る宿や、金田一京助、三浦哲郎ゆかりの宿などがある。
今回は、そんな「金田一温泉郷」で、座敷わらし伝説の残る宿として有名な「緑風荘」にスポットをフォーカスしてお届けする。

岩手県二戸市金田一温泉郷「緑風荘」

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金田一温泉郷「緑風荘」に伝わる「座敷わらし」伝説

座敷わらし伝説の宿として、おなじみの「緑風荘」。ここでの座敷わらしとは、「古くから岩手県や青森県の南(南部藩)を中心に伝わる、子供の姿をしている精霊的な存在とされています。住みついた家や、目撃した者に大変な幸運をもたらす存在として伝えられています。」と説明されている。

「緑風荘」に伝わる座敷わらしの由来は、今から遡ること、約670年ほど前の南北朝時代、後に緑風荘となる旧家の先祖である、藤原朝臣藤房(万里小路藤房)が、南朝の後醍醐天皇に仕えていたという。しかし、南北朝戦争にて南朝は敗北し、北朝の足利軍に追われ現在の東京都あきる野市に、一度は身を隠したとの事。その後、さらに北上を続け、現在の岩手県二戸市にたどり着く。 道中、二人連れていた子供の内、当時6歳だった兄の亀麿(かめまろ)が病で倒れ、幼き生涯を閉じてしまった。 その際『末代まで家を守り続ける』と言って、息を引き取ったという。

その後、守り神<座敷わらし>として奥座敷の、「槐(えんじゅ)の間」に 現れるようになったと言い伝えられている。その姿を見たり、不思議な体験をした人は大変な幸運(男=出世 女=玉の輿)に恵まれると伝えられ、実際座敷わらしに出会った人には、必ず良い事があったそうだ。
また、ひとたび座敷わらしに気に入られると、どこであろうと座敷わらしが会いに来てくれるそうだ。
座敷わらしとして現れる「亀麿」は昔から多くの著名人も目撃し、 また現在も多くの宿泊者に不思議な現象を起こし、沢山の体験談が今なお語り継がれているとの事だ。

緑風荘の庭にあたる場所には、亀麿を祀った亀麿神社と、稲荷神社がある。「座敷わらしに出会えますように。」と、お祈りをして宿泊すると出会えるという噂もある、全国的にも有名なパワースポットとなっている。

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緑風荘の中庭にある「亀麿神社」と「稲荷神社」

緑風荘「槐の間」で座敷わらしに出会えるのか?

緑風荘に纏わる、比較的最近のエピソードとして、残念なことに2009年、緑風荘が火事で全焼してしまう大惨事に見舞われてしまった。そんな中、宿泊客も従業員も無事で、この亀麿神社も稲荷神社も、全く焼けずに済んだ。

この惨事は、当時、宿の建物も老朽化しており、危険な状況であったことを座敷わらしが知っていて、建て替えるようにと、その思し召しとして火事を起こさせたのではないか、とも言い伝えられている。
また、火事から逃げる時に、子供たちがこの神社に逃げたことから、この神社は火を受けずに済んだと言われている。

緑風荘には、多くの宿泊客が座敷わらしに会いに来ている。時間帯として、深夜2時に現れやすいとされ、宿泊客も2時頃になると槐の間に集まる。真夜中でも床の間には灯りがついており、座敷わらしが遊ぶおもちゃを持ち寄って、置いておくと現れやすいとされてる。
また、そのおもちゃは、けん玉やメンコなど、よく縁日で見かけるような昔ながらのものが喜ばれるようだ。ちなみに、それらのおもちゃは、置いたままにせず、帰る際には持ち帰ることになっている。
座敷わらしが目撃される「槐の間」は、亀麿神社の目と鼻の先に位置する。緑風荘が火事に遭う前は、一つの客室だったが、建て替え以降は、宿泊客が誰でも24時間自由に入れる共用スペースとなっている。

さて、座敷わらしは現れるのだろうか?答えは、イエスと思われる。一般に、座敷わらしと言えば、いわゆるちゃんちゃんこを着た、おかっぱ頭の子供が現れると思われるかもしれないが、実際は、オーブと呼ばれる光の球体が現れるのだ。霊感の強い人は肉眼でも見えるというが、写真や動画撮影をして、その姿を捉える人たちも多い。テレビ番組などでも見たことのある人は多いだろう。緑風荘では、実際にそれらを写したアルバムも保存されているとの事だ。

実際に見てみるのが一番だが、動画でそのオーブを見るだけでも、いい事が起きるらしい。また、座敷わらしは角部屋が好きなので、緑風荘に泊まった後に、角部屋にいると、ついてきてくれて幸福をもたらしてくれるとも言われている。
「さて、このオーブ(光の球体)は何か?」というUMA的解明よりも、人々に幸福をもたらす、茶目っ気たっぷりの座敷わらしと遊びながら、その存在を感じる世界観を一度味わってみたいものだ。

槐の間

緑風荘の「槐の間」 このすぐ裏手が「亀麿神社」


最後に

座敷わらしに出会えると言われるこの緑風荘は、世界遺産、日本遺産とも所縁が深い、岩手県二戸市に位置し、古くから文化人たちにも愛されてきた金田一温泉郷の一翼を担い、地元の伝承を大切に伝え、発信する風土や文化が根付いたエリアだからこそ、その価値が今や世界に響き渡っているものと言えるだろう。

いつの日か、UMA愛好家の皆さんと、世界から注目を集める二戸市の金田一温泉郷の「緑風荘」へ、座敷わらしと共に遊ぶ日が来ることを、
「UMA CREW PROJECT」のミッションとして掲げたい。

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UMA CREW PROJECT【スマホアプリ始めました】



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