うまちゃん先生の大失敗2
どうかしてたぜ!!
思い返せば、大学時代。僕はまさかの留年をしてしまったのです。
「やりたいことがわからない人が入る」と言われる経済学部の中でも、トップクラスでやりたいことがわからなかったのは、間違いなく僕でした。
大学では2年生くらいから早々に授業をさぼりまくり、3年生の時付き合ってた彼女にふられてからは、それに一層歯止めがかからなくなりました。気づくと、一日中ゲームしかしていないザ・廃人になっていました。
4年生になり就職活動はそこそこ楽しみ、内定をもらったものの、肝心の学業がおろそかになり、あえなく突き付けられた留年の二文字。
え?内定もらったのに?
(当時はリーマンショックがあり、就職氷河期でした。)
卒業単位が足りず、大学の先生に泣きつきにも行きました。
「先生!そこをどうにか!」
「まず君、ほとんど出席してないんでしょ?」
「はい!でも内定ももらっているんです!」
「レポートは期日までに出したの?」
「おっしゃっていただければこれから何でも書きます!」
「あのね、大学ってのは学業を修めた証として単位をあげているの。今の君には単位をあげる理由は何一つない。正直もう一年、心機一転やり直すのが一番君のためになると思うよ。」
半泣きになりながら思いました。
「おっしゃる通り!」
完全に自業自得とはいえ、改めて現実をあらゆる方向から突き付けられた僕はパニックになりました。
「内定先になんて言うんだ…卒業までなんか絶対待ってくれないよな。」
「そもそも、留年するようなやつを採用したいはずがない。」
「友達にもどう説明すれば…」
「というか、まず親に話さないとまずいだろ…」
そんなことを考えていると、自分はどうしようもないクズで、何の価値もない人間だと思えてきてしまうのです。
留年は何か理由があったわけでもなく、怠惰で問題を先送りにしまくったツケが来ただけです。本当のクズとは自分の事だと思いました。
「ああ…、僕って本当、どうしようもないやつだな。一人じゃ何もできなくて、周りに迷惑かけてばっかりだ…」
なにから手を付けていいかわからず、ただただ、不安と焦りで押しつぶされそうでした。
逃げるように実家に帰り、とにかく母親に打ち明けました。
自分がなんて言ったのかは覚えていません。申し訳なさと、自己嫌悪で頭がぐちゃぐちゃになっていたことだけ覚えています。
母は、僕の話を途中で止めることなく、黙って聞いていました。
僕の話が終わると母は初めて口を開きました。
そこで言った母の一言が、その時の自分を救ったんです。
「よっしゃ!まずは掃除やな!」
なぜか涙があふれました。
こんなに母親が偉大に見えたことはありませんでした。気づいていなかっただけなのかもしれません。
「人間、なんかに行きづまったら、とりあえず掃除からや!やるで!」
「うん」とうなづいて、母と一緒に家をピカピカに掃除したことを今でも覚えています。
母の愛を改めて思い知らされました。
言いたいことは山ほどあったことでしょう。その時の母はただただ、僕と一緒に掃除をしていました。
言葉数は多くはありませんでしたが、母はきっと僕にこう伝えたかったんだと思います。
「人は、やることが多すぎたり、何をやるかわからなくなった時、パニックになる。そんな時は、出来ることを一つだけやってみるんやで。」
いつでもどんな時でも、「自分にできること」はあります。そんな状態の僕にでもあったんです。「僕でもできた」そう思える、小さな成功こそが、次につながる一歩なんだと、そう母は僕に教えてくれました。
何かにつまづいたとき、壁にぶち当たったとき、いつも母のこの言葉を思い出します。
「よっしゃ!まずは掃除やな!」
お母さん、本当にありがとう。
うまちゃん先生でした。