カンボジアで修学旅行の可能性を考える

この度カンボジアに行くことになったひょんな理由というか、ご縁というかは、2022年でしたか、東京・青山スパイラルで行われていた、カンボジア人のアーティスト、Kim Hak さんという方の展覧会で芳名帳に記帳したため展覧会のお知らせをいただいたからなのでした。
作家さんは81年生まれでちょうどポルポトが死んだ後くらいの世代の方で、
その展覧会では難民となり各国へ散り散りになった方を訪ねて、避難先へ持って逃げることができた思い出の物やポートレートなどが黒背景で美しく強かに撮影されており、非常に印象深いものでした。会場にはHakさんの作品制作を追った映像作品も流れており、その中で、Hakさんは「外国人がカンボジアに訪れるとき、見たいものは2つ。アンコールワットとポルポト。でもそれ以外にもカンボジアの見所はあるはず。カンボジアという国の認識を再構成したい」と各地の風景を撮りに出かける。そして撮った写真を町の人に見せると、人々は「カンボジア人は生きるのに精一杯で旅をする時間がない。自国の社会や美しい場所を知らない」と言うシーンがあり、
その時にふと、日本って修学旅行はいつからあるのかな?と思って調べてみたのでした。
1950年代かなぁと思っていたけれど、なんと1886年に初代文部大臣・森有礼が奨励したのが始まりとのこと。初めは長途行軍演習も兼ねてということだったそうだが、各地の文物を見ることが教育に良いと思ってる人が文部大臣になるような国に生まれてよかったなと思うほどに、カンボジアの知識階級撲滅と教育制度の破壊の罪は重いと思ってしまったのでした。
(ちなみに法的に学習指導要領に載ったのは1958年だそうです)
まぁ、フランス統治時代のリセに修学旅行的なカリキュラムがあったかどうかは定かではないのですが、私が修学旅行から学んだことがかなり多かったので、(地理・歴史・産業・生態系・輸送業について・旅行の計画しおり作りwなど) カンボジアの学校に修学旅行カリキュラムが組めるとしたら・・・の妄想をしながら旅行もしてみようと思っていたのでした。

Kim Hakさんの[my be loved] というカンボジアじゅうを旅して撮った作品は、プノンペンフォトという展覧会の一環で、プノンペンのフレンチ・インスティチュート(多分東京にもあるアンステッテュ・フランセのカンボジア支部だと思われ)で行われていました。(中庭も素敵でクロワッサンも美味しかった)
作品を見て、カンボジアは水の表情が多様で豊かなのだろうと思った。
雨季と乾季と、川と海と湖と。ナーガ信仰?
街も今は乾季だけど、乾燥してるというよりは、季節が巡ったらまた湖に流れ込む水分が、分散して街中に浮いている感じ・・・。
人は水から生えているのか
インドとギリシャの間にはクメールとフランスがあるかもしれないと、苔むすフレンチコロニアルヴィラの廃墟の写真を見て思う。
私も旅の中で、カンボジアの土地の表情の豊かさを追っていけたらいいなぁ。大地は微笑んでいる。
製塩や農地の写真も良かったな。
せっかくでしたので、感想をメールで送ったら、なんと日本で春ごろこの写真集が出版されるということでした。展覧会は未定とおっしゃっていたが、是非また見たい〜!

そんな感じで、プノンペンフォトのカンボジアの若手の写真家の写真展をファクトリープノンペンというイオンモールよりちょっと南にある工場跡地を文化施設として再生してる、それこそ台北の松山創園区にちょっと似てるところに見に行ったら、(ここもカフェのバゲットめちゃくちゃ美味し買った・・・) 小学生のクラス校外学習みたいな感じで見学に来てるのに遭遇。
中華系の私立の学校っぽかったけど、こういう校外学習の延長でどんどん遠足や修学旅行ができるようになったらいいなー。
翌日の国立博物館にも小学生の校外学習が来ており、もちろんふざけて遊んでる子もいたけど熱心にメモをとったり、しつこく質問してる子もいて、やっぱこういう風に学べるって、嬉しいことだよなーとちょっと泣きそうになりました。
アンコールワットの方には在カンボジア外国人学校の高校生の一団を見た。もしかしたら中国人の海外修学旅行先としての方が早くなってしまうかもしれないけれど・・^^;
それでもカンボジアの子供たちがカンボジアの見所を見つける旅ができるようになったらいいなー。
交通はどうなのかなー、地雷がまだあるのかなー、、
道は行く前の想像より舗装されてたけど、地雷は不発弾が多いとか、撤去技術者がもうカンボジアでは撤去業務終了とアフリカに行ってしまっていて、技術者が育ってないとかも聞きました。そういう課題解決や国づくりを担う人材育成も含めて教育再建の成果が良く出てくるといいなぁと思ったのでした。




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