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Apple編 :(2) イット革命の頃

さて、わたしがどんな仕事をしていたかという話をします。AppleCare本部で、最初に配属された課がプロジェクトごと消えた後、同じ部署内のBPRチームに移りました。BPR=Business Process Reenginnering、業務プロセスの再構築がミッションのチームです。

当時、日経が(正式名称は忘れましたが)パソコンメーカーのサポート満足度ランキングという独自調査を毎年発表していて、2000年のAppleは14社中13位でした。(最下位は、その翌年に国内市場から撤退した牛の模様の会社。)

その悲惨なランキングを受けて、トップからAppleCare大改革の指令が出されました。来年はサポート満足度調査1位を目指せ!と。BPRは、その変化を牽引するために生まれた、新設チームでした。

結果からいうと、その後数年でランキング4位まで行ったと記憶しています。当時1位は富士通でした。NECとかSONYとか、上位にいた顔ぶれは、いつのまにかパソコン市場からいなくなっちゃった。ああ、これって昔話ですね。

具体的な仕事内容のはなし

仕事内容にどこまで踏み込むか迷ったのですが、新卒でその会社に入ってどんなことを任されたのかに興味ある読者を想定して、ある程度書くことにしました。詳細は興味なくてキャッチーなエピソードだけ読みたいという方は、以下の<★>までスキップしてください

それにしてもなぜ、そんな悲惨なランキングだったのか?

色々ありますが、致命的だったのはMacの修理プロセスの問い合わせ窓口一本化を発表したものの、並行して進めるはずだったコールセンターのインハウス・プロジェクトのほうが頓挫していて、電話の問い合わせ窓口がパンクしていたことです。「Abandon Rate = 80% 超えが日常だった」といえば、業界人はそのヤバさがわかるでしょう。ユーザーの立場でも、Macが動かなくなって困ってサポートの窓口に電話したら、10本掛けてようやく、しかも何十分も待ってやっとつながりますとなったら、頭にきますよね。

現場は混乱していました。やっと電話がつながっても、一台のMacは50個ほどのパーツからできているので、電話越しにハードウェアの問題を特定するのは困難です。結局、一旦お預かりしたマシンをエンジニアが検証してパーツを特定したのちにようやく見積もりが出せるのですが、一度設定されたパーツの値段は何年も見直しがされていなかったため、当時驚異的なスピードでスペックアップと価格破壊の進んでいたHDD(ハードディスクドライブ)なんか、数年前のマシンを修理するのに新しいiMacがまるごと数台買えるというような現象も起きました。なんとかそこで合意をいただいて修理に着手するにしても、またパーツ発注で余計に時間がかかります。だから、電話が繋がった時点でお客さまはイライラ、見積もりの時点でその値段に激怒、さらに1ヶ月待っても戻ってこなくで大激怒、なんてことは、まあ、よくある話でした。クレーム対応のチームも疲弊していました。

つまり構造的な問題が山積みだったわけですが、そこでわたしに与えられた仕事は、

(1) 膨大なコールセンターのログデータを目視・手作業で掘り起こし、問い合わせの要素を分類すること。CRMといえば、大きな会社のサポートセンターはどこも一定のルールに基づくタグ付けでコールドライバーの分析ができるようになっているものですが、当時のタグは修理受付という新たなサービスに対応するように整理されていなかったため、とにかく全コールのテキストデータを目で見てキーワードを書き起こし、ボリュームゾーンを特定するという作業をやりました。しかも外注先が3社5箇所に分かれていたので、それぞれ違うシステム・異なるフォーマットのデータを統合して。猛烈に地味な作業でしたが、おかげさまで、一気にエクセルと仲良くなりました。

(2) 米国本社から来たコンサルタントと一緒に、契約先のサービスプロバイダー何社かを巡り、現場で何が起きているのかを実地検査して、本社のプロセスと照合しながら「こうあるべき」修理のステップや、マシンが行方不明にならない工夫を明文化すること。最初にがんばってエクセルで作ったフローチャートは、細かすぎて意味不明と一蹴されました。でも、そこから徐々に構造化を学び、プロセス最適化の仕事の基礎を覚えました。そしてこの仕事は、のちのグローバル・プロジェクトにもつながり、英語ができなかったわたしを世界に押し出してくれました。

(3) 修理補償が法的に義務付けられている過去数年間に渡るすべての製品のBOM=Bill of Material (部品表)と各パーツの価格設定を見直すこと。基幹システムのプライス・テーブルに関わる話だったので、諸先輩がたのアドバイスを受けて、このような大きな組織での仕事は個人が属人的に頑張れば良いというものではなく、グローバルな枠組みに則って継続可能な仕組みに乗せなければだめだという考え方が身につきました。あわせて、それらのパーツを使って行う修理プログラムのTAT(=Turn Aroudn Time, 最初の問い合わせをうけてから修理完了した製品をお客様の手元に戻すまでの期間)を最短化することも課題でしたので、グローバルでは先行していたけれど日本では導入の遅れていた Tired Pricingの設定のため、国内の修理の実績データを分析して、いくつかのプライシングモデルを提出しました。

今は定着しているアップルの修理サービス、P&D(=Pick & Delivery)やCIP(=Customer Installable Parts)、それに、こちらはわたしは直接担当していませんでしたが、無償修理期間の延長オプションAPP (=Apple Care Protection Plan)などのサポートプログラムは、すべてその時代に原型が誕生したものです。

それらの設計の泥臭いところに関わった経験は、わたしの職業人としての原点にもなりました。わたしはのちに、営業からマーケティング、ビジネスプランニング、ファイナンシャルプランニングへと所属を変えていくのですが、コアコンピタンスは組織の意思決定に関わる数値分析とモデリング。そして、軸足はグローバル志向のプロセス最適化にあり。そういう要素は、ふりかえれば、すべて、この最初の仕事に揃っていたと思います。

<★> 細かい業務の話はここまで!

しかし、BPRの仕事は未来志向な課題がとても面白い一方で、宿命的に、既存組織からはアウェイなチームでもありました。プロセスの変革は会社が次のステージに進むために踏まざるをえないステップでしたが、同時に、既存のエコシステムに痛みをもたらすものでもありました。長年、Macの故障に対応してくれていた街角の修理屋さん。取引先のサービスプロバイダーやコールセンター。そして、それら昔ながらの仕組みを支えてきた、同部署の先輩社員たち。

だからこそ、新任の本部長を含む特命チームの4人は、配属されてまだ数ヶ月のわたし以外は、みなコンサルや他業種で経験を積んだベテラン揃いで、誰一人として既存のプロセスにはしがらみのないメンバーでした。

悲しかったはなし

アウェイだとは薄々わかってはいたけれど、ある日、元からいた叩き上げの先輩のひとりに飲みに誘われ、酔いが回った頃、突然こんなことを言われました。「あなたもこんな会社に新卒で入っちゃってさ、誰もまともなこと教えてくれなくて、かわいそうだよ」と。

誘ってくれたのは、実はその嫌味を言うのが目的だったのかとわかったときは悲しかったなあ。個人的にその方を傷つけるようなことをした覚えはなかったのでびっくりしたけれど、当時のわたしは鈍感を装って「そうですか」としか言えなかった。でも、それでよくわかった。

グローバルの支援なんて何もなかったところから工夫を重ねてなんとかバランスのとれた環境を築いて真面目に仕事をしていたところに、ある日「ファクト・ベース」「グローバライゼーション」という神話を掲げるよそものたちがやってきて、現場について何も知らないくせに、一方的に「今のありかたは問題だ」として、勝手に「仮説」をうちあげ「事実」を見つけ「新しい方向性」を出す。わたしは、いわば、その手先で、それが誰かのこれまでを否定するということを理解しないまま、否定された誰かがどうなるかについての想像力もないまま「発見しました」とかやっている。

気に入らないよねえ。

でも、新卒で入っちゃった事実は変えられないし。かわいそうっていっても、じゃあどうしたらいいか教えてくれないとどうしようもないし。その人も、酔いに任せて言いやすいヒヨコについあたっちゃったんだろうけど、理屈では仕方ないってわかっていたはずだよ。

と、比較的すぐに持ち直したメンタルのタフさが、わたしの取り柄だったと言えるかもしれません。「かわいげない」とも言いますが。

まあ、細々とそういうこともあった一方で、組織が仕上がってない時代ならではのいいことも、色々ありました。

Tim Cook が怖かったはなし

一番強烈に記憶しているのは、現アップルCEOのティム・クックが来日した時、幹部会議の末席に座らせてもらえたことです。BPRチームの最初のミッションのひとつは、その来日に間に合うように急ピッチで問題を洗い出し整理して、方向性を出すことでしたから。

ティムは、当時はゲイであることを公にはしていなかったけれど、既にスティーブからの信頼も厚くて「会社と結婚している」と噂されていました。彼は、社員全員を集めてのオールハンズでは、ニコニコといかにも優しそうに「日本がんばれ!」みたいなことを言っていたのですが、本命の会議では別人でした。別人というか、本当に人間?って聞きたくなる怖さ。長い会議の間、全く表情を動かさず、報告者をまっすぐ見つめながらプレゼンに耳を傾けるのです。そして、時折はさむ質問や意見は非常に短いのに常に要点を突いていました。

まだ若かったというのもあるかもしれませんが、わたしが職業人生で直接会ったひとの中で、あんな怖ろしさを感じたひとは他にいません。なぜ「怖い」と感じたのかを今ふりかえって分析すると、ずばぬけて明晰であることは当然ながら、その正体は「集中力」と「誠実さ」だったかなと思います。

組織で人の上に立つと、部下の報告を聞くときにハイハイと流す態度になる人が結構います。自分の方がよくわかってるという傲慢、または楽だから任せちゃえという怠惰。また、それがアメリカ人の場合、下手な英語のプレゼンは聞く価値もないという態度で苛立ちを露わにする人もいます。けれどティムは、自分がその場にいる1分たりとも無駄にしないという姿勢で、終始、恐ろしく集中して傾聴していました。英語がそんなに上手ではない部門長もいましたが、そのノイズに乱されることもなく、徹底して冷静に、その場の一人一人が何を言わんとしているか、課題は何か、どこに矛盾があるのか、全てを吸い上げようとしているように見えました。

素材を出しただけで自分が発表するわけではないわたしでさえ、ティムのオーラに当たってヘトヘトになったのですが、プレゼン本体の作成を担当していた先輩が、その日、控え室でバタッと倒れて数時間昏睡したのにはマジでびびりました。連日深夜の会議やシナリオ作りに文字どおり全身全霊かけてたんだなと思いました。分からない人は嗤えばいい。でも、ティムはその尽力に値する聴き手でした。

「上の方にはなんか凄いのがいる」というのを肌で感じることができたのは、それまで欠いていた組織へのRespectを刺激された、非常に良い経験でした。

首相の失言というマスコミの捏造のはなし

ほかにも、変わったところでは、当時の森総理大臣への、製品デモというものもありました。某家電量販店のPCフロアを貸切って、各メーカーが自社の最先端の技術を説明するという企画です。他社はプロのコンパニオンを雇っていたところ、アップルはきっと、その予算もったいないから新卒に喋らせちゃえってなったんですね。シナリオは全部プロダクト・マーケティングの先輩が作ってくれて、セールスの先輩が立ち振る舞いのアドバイスをくれて、当時は画期的だった大画面のCinema Displayに、AirMacとiBookを介してワイヤレスでQuick Timeのオンライン動画を見せるというデモを担当しました。

わたしが「ワイヤレスでインターネット上のテレビを視聴できる時代が、もう来ているのです」と説明したことを受け、森氏は「本当にテレビみたいですね」とおっしゃった。それは、Cinema Displayの大きくて綺麗な画面に対する賛辞でした。絶対に間違いようのない文脈だったのに、それを、その場にいた悪意のある新聞記者が「森首相、Macを見て "これテレビなの?" と発言」と書いて全国版に乗せた。今探したら、なんとネット上に氏の失言集がまとめられて、そのなかにもしっかり入っているのですが、これは、ここで明確に証言しますが、会話の文脈を無視したマスコミの捏造です。

まあ、そもそもの企画の起こりが「IT革命を "イット革命" と言ってしまった森氏に最先端のITをお教えしましょう」というものだったので、氏がおおいに言葉足らずな方であることは間違いなさそうなのですが、殊にこの発言に関しては、もとはわたしの説明だったため、申し訳なく思うとともに、マスコミは最低だという認識を深めた経験でした。それ以来、政治家の発言でテレビや新聞がわあわあ騒ぐ時こそ、かなり疑ってかかるようになりました。

おーい、森さん、そんなこと忘れてるだろうしこの辺境ブログが届くとも思わないけど、ここに証言したよ。誤解のきっかけつくっちゃって、ごめんね!

表題は当時の証拠写真。後ろにいるのは、会場関係者以外はSPか記者なのですが、ここにいた誰かが捏造記事を書いたのね!

とはいえその逸話はわたし自身の名誉には影響なく、仕込めば演じられるということを証明できたため、続いていくつか登壇の仕事ももらえました。こんな記事も残っていました。iWeek、古き良き時代のアップルのファンが盛り上げてくださっていたMacのお祭り。本来の仕事の割り当てを超えていろいろな機会をくださった当時の諸先輩がたには、心より感謝いたします。

※ Apple編はあと2話くらい続く予定です

※ 履歴書シリーズはこちらのマガジンにまとめています

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