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Day06: The House of God

2月20日 午前8時5分。涙が出た。

それは感涙というよりも、登頂を果たして気が抜け、それまでの過程のあまりの辛さに泣かされたという涙。アフリカの一番高い場所、「自由(Ufulu)」という名の「ウフル・ピーク」を目指して歩き、歩き、歩き、ついにわたしの指先が、その小さな標識の粗い木目に触れた。最後の数メートルは他人の存在が目に入らず、声に出して泣きながら歩いていたようで、先に着いていた白人のおじさんが「Don't cry !」と笑って、写真を撮ってくれた。

19日深夜。23時に起こされ身支度をした。そこに至ってもまだ、自分が登頂できる気がしなかった。高山病になっていないことだけが拠り所で、体力の限り行けるところまででいい、という塩梅に思っていた。全く食欲はなかったが、出発前に用意された軽食のビスケットを「1枚で1時間」とエネルギーに変える願かけをしながら5枚、甘いミルクティーで胃に流し込んだ。 

ざくざくした砂礫の斜面をジグザグに歩いて登る。頭上に広がる満天の星で、天気が良いことが分かった。ヘッドランプが照らす地面はキラキラと星のように輝いた。闇の中、上にも下にも星屑が弾けるようで、それは見たことも聞いたこともないような美しい夜道だった。後になって、その周辺の地質には Biotite(黒雲母)が混じってたことを知ったが、その時は溶けない雹が光を跳ね返しているのだと思った。

しかし優雅な時間は長くは続かない。進むにつれて、どんどん勾配が急になる。どんどん空気が薄くなる。どんどん気温が下がってくる。

時折、高山病になっただれかさんの吐瀉物がある。無言で降りてくるリタイア組ともすれちがう。首をもたげて空を仰いだつもりが、墨を流したような闇の中にチカチカと2、3の光が瞬くのを見て、それが先行する登山者のヘッドランプだと気付く。自分が見上げているのは空ではなく山肌で、儚い灯りの距離と角度は自分が進む道の長さと険しさだ。知りたくなかった。

2時間もすると、わたしは、前を行くGoodluckの膝から下だけを眺め、何も考えずについていく無感動な歩行マシーンになっていた。感動オフの「省エネモード」の甲斐もなく、無視しようとしても疲労は重さを増してくる。手足の先は凍えて感覚が失われ、時間の感覚もずれてくる。5枚のクッキーはとっくに消化してしまった気がするのにまだ夜明けの気配はない。

後に、明子さんが、この登りのことを「ピラミッドを作るエジプトの奴隷みた いだった」と言ったが、これはなかなか的を射た表現だと思う。とてつもなく巨大なもののための終わりの見えない重労働。自分の体が大石のように重い。踏み出す足は砂礫に埋まり、ズルズルと後ろに引き戻される。そのうえ寒く、暗く、そして眠くてたまらない。

睡魔に抗いながら急斜面を登る途中も、定期的にトイレに行きたくなった。人工的な設備はもちろんないし、手頃な岩も多くない。良さそうだと目星をつけた場所は、漏れなく他のひともそう思うようだった。この時ばかりは、岩場から足を踏み外さないよう、先客の落とし物を踏まないよう、緊張してばっちり目が覚めた。

登ることしか頭になかった当時は「氷点下だと臭いもないし虫も湧かないんだな」なんて思っていたが、ふりかえってみれば、世界中から登山客が集まるこの頂上直下の岩陰って、おそろしく不衛生だ。 片付ける人もいなければ、分解するバクテリアも少ない。マナーの悪い人の汚れたティッシュなどが散らかりっぱなしにしている。国立公園なのだから、登山者にはガイドから事前のブリーフィングを徹底して携帯トイレを義務づけたらいいのになあ。(山域に限らず、アフリカはゴミ問題に寛容というか無関心な世界だった。)

そういえば槍ヶ岳のラストマイルでも眠くてたまらなかったが、これはわたしなりの高山病の症状なのだろうか。などと、栓の無いことを考えているうちにも、眠気はいよいよ堪え難いものになってきた。目の前がふいに暗くなって何度もよろめく。自分は起きているつもりでも、無意識にまぶたが落ちてしまうのだ。Goodluckが「エネルギー不足だよ」と言うので、食指が動かないなと思いつつ人のお勧めで持参していた「ブドウ糖飴」を口に含むと、これが驚くほどよく効いた。それに気がついてからは、甘ったるいブドウ糖飴と水分とを交互に補給しながら前に進んだ。魔法瓶のお湯が尽きたら、凍りはじめてシャラシャラと音をたてるペットボトルの氷水を飲んだ。

外輪山の取り付きのギルマンズ・ポイントに到着する手前の岩場で夜が明けた時には、実際の倍の10時間は歩いた気分になっていた。それでも、寒い夜から逃げ切ったこのあたりから、わたしは登頂を意識しはじめた。オレンジ色の朝焼けは凄みのある美しさだったが、それを眺めて心に刻んだり写真を撮ったりするより、なによりも体力を無駄にしたくなくて、じりじりと登り続けた。

雪にまみれたごつごつの岩場を越えた先、ギルマンズ・ポイントでは、数人がその狭い足場に溜まって絶景を楽しんでいた。ここまできたら緑色の登山証明がもらえるので、満足して降りて行く人もいる。が、わたしは巨大なカルデラの反対側の氷河を見て、ウフル・ ピークまで行くことを即決した。それまでの居眠り歩きを見ていたGoodluckは「まじで?ウフル ピーク行くの?体力イナフ?」と重ねて念押ししてきたが、今諦めたら、ここまでの辛さを知った自分はもう二度と戻って来ないことを確信していたわたしは「Yes!Yes!Yes!」と3回連続で答え、決心が揺らがぬうちに立ち上がった。 

火口沿いの稜線を進み始めてすぐに、一番乗りで頂上を極めたらしいマッチョな白人男性とすれ違った。意気揚々と親指を立てて「あとはチョロいぜ!」と言われ、一瞬その気にさせられた。が、実際は、その最後の2時間は、わたしにとって チョロいとはほど遠い登りだった。

なにを求めていたのか?

今でも、うまく説明できない。ただ、そこに立ったとき、道のりの苦難を一瞬にして忘れた。妨げるもののない360度の眺望。燦々と注ぐ高い太陽。薄くて冷たい空気。遥か眼下の赤い大地を這う、白い雲とその影。蒼い地平線。温暖化で徐々に失われつつあるという眩しい氷河、ブルー・アイスの断崖。

その高みに、凍った豹はいなくとも、何をか求めて歩いてきた自分がいた。

Kilimanjaro is a snow-covered mountain 19,710 feet high, and is said to be the highest mountain in Africa. Its western summit is called the Masai "Ngaje Ngai," the House of God. Close to the western summit there is the dried and frozen carcass of a leopard. No one has explained what the leopard was seeking at that altitude. (Tribute to ”The Snows of Kilimanjaro” Ernest Hemingway)

下りでは、八ヶ岳で山岳救助隊のおっちゃんたちにスパルタで鍛えられた経験が役に立った。ジグザグ登ってきた瓦礫の斜面を、直線的に、かかとをつかって一気に滑り降りる。8時間かけて登った道を4時間で下り、正午にはキボ・ハットに到着。Goodluckも「ジャパニーズ・ガールがここまでやるとはおもわなかったよ」とほめてくれた。Gidionがマッシュルームスープを用意して くれたが、疲れすぎていてほとんど口をつけられなかった。

小休憩を挟み、更に3時間ほどでホロンボ・ハットまで下った。疲労困憊して、登頂成功の興奮だけを動力に動いていたため、途中の記憶は定かではない。砂礫帯で登って来る明子さんとわたるくんとすれ違い、登頂報告をしたのは覚えている。それから、無風の高山植物帯が死後の世界のように静かだったこと。反対に、わたしの両足が猛烈に痛んで生命を主張していたことも。

長い道のりの果て、ようやくホロンボ・ハットにたどり着いた時には、文字通りくたくただった。同室は、これから登りというオーストラリア人カップルと、アフリカ各国をバックパック旅行しているというイギリス人の大学生だった。しばらくは彼等に聞かれるままに頂上の様子を話したり、荷物を整理しながら不要になったカイロやブドウ糖飴をあげたりしていたが、普段は楽しい異文化交流も、本当に疲れ切っていたので程々に切り上げた。そして、胃が受け付けない夕食はあらかじめ断り、部屋にフルーツとお湯を運んでもらって日本から持参したインスタント粥をすこし食べた。そしてみんなが散歩に行っている間に寝袋に潜り込み、まだ明るいうちから気絶するように眠りについた。

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