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宇宙くんについて

私が新卒の頃、同じ部署に、いろんな会議や話し合いにおいて頻繁に「そもそも・なぜ系」の疑問を呈するアラサーの先輩がいました。

その問いが、時に本質的なので、初めて会う人は「ん?」と一瞬引っ張られるんです。が、問題はその後。彼はその答えを真剣に探そうとしないというか、自分で全く勉強したり調べたりってことをしない。

だから、周囲の人は、最初こそまともに答えようとしても、彼が無邪気に「空気はなんで透明なの?」「お星様が光るのはなぜ?」的なことを連発するうちに、またいってるって感じになっちゃうんです。

悪い人ではなかったが、捗る人でもなかった。

こっそり「宇宙くん」と呼んでました。そのへん記憶が曖昧で、もしかしたら私が心の中で呼んでただけかもしれないし、みんなで名付けたニックネームだったかも。(その人、いつもニコニコしててきらわれてはいなかった)

とにかく、いまだに私は「子曰く、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)」という論語の一節を聞くと、彼を思い出します。

現実の社会では逆に「学びて思わざれば則ち罔し(くらし)」に偏る人も多い。その二つはセットってとこがポイントなんです。

問いを発することは大切です。

でも、発した問いについてはちゃんと責任持つというか、追いかけて回収しようとするというか、自分なりの答えを掴みにいって繰り返さない姿勢がないと。

花畑に寝っ転がって星空をながめてるだけ。

羊飼いならそれも素敵な生き方です。が、モダンな組織人としてその何が残念かというと、周囲が「こいつ学ばないやつだな」ってなって真面目に答えなくなることです。

壮大な問いを発する才能があるなら、いっそみんなが惚れ惚れするようなポエムにしたらと思うけど、

思考という労働がくっついてないと、いい詩人にもなれないと思います。

最近、小学校になったヨーヨーの宿題を一緒にやっていると(初期の宿題って「親と一緒に音読する」という伴奏指定があるんです)小さい人たちは、わざわざ教えなくても自然に思考することを知っていると感じます。

かたや、多くの企業の新人研修では「自ら考える力をつける」が課題の一つとして掲げられていたりするんですけど、成人してからわざわざそれを教え直さねばならぬというのは、どういうことなんでしょうかね。


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