「壁に穴を開けたい」と客に言われたらあなたはどうする?(搾取されない考え方)
突然ですが、あなたは今ドリルを手に持っている。あなたが提供できるノウハウはドリルで穴をあけることだ。
そこで、あるクライアントが「この家のこの壁に、穴を開けたいんです」と言われたとき、あなたはまずどうするだろうか?
その問題を下にも書いていますので、よかったら続きをどうぞ。
こんにちは。
フリーゲームプロデューサーのうきょうです。
最近はゲーム制作、採用の現場、教育に関するやりとりにおいて、あまりにも頭でっかちの大人が多すぎるなということを感じてしまい、子供の学習塾の背景と合わせて感じたこともあるので記事を書いてみたいと思います。
少し簡単な問題も書いてみましたので、社会人の方にもぜひ参考にしてほしいです。
問題しか解かせない
個別指導塾の量産背景
このコロナ禍の数ヶ月、子供たちがオンラインで塾をやっていることが多かったので仕事をしながらずっと後ろで聞いていました。学習に関する塾はいくつか通ってはいますが、進学塾に関しては今年が初めて。
もちろん通う前にはいくつも面談を聞いて、料金体系、塾の方針、データの充実度、過去の実績、通っている生徒たちの声などをリサーチ。
それでも結局は子供が通う動機は、距離、友達、雰囲気などが最優先。結果的には行きたいというところに通い始めました。その前に体験学習も含めて。
が、やってみたら一部の箇所はなんと酷い内容か。
ある進学塾は本当に問題の解き方、ひどいものはただの課題をなぞりながらやらせているだけ、のところがありました。
塾の進行も極めて単純で、問題をやってと言い、できたら呼んでという。で、わからなかったらただ解説を読んで終わり。暗記科目ならばそれでいいかもしれないのですが、数学、英語、国語などについても、その回答の意図、前提、考え方についてはほぼスルー(知らなくていいことももちろんあります)。それが数回繰り返して行われていました。
これじゃぁ点数は取れるかもしれないけど、考える力などは養われないなと思って「行かなくてもいいよ」とは子供にも伝えたけど、友達がいるし、点数の取り方だけでもわかるなら、学習効率よくなるのでいきたいといったので通ってます。
これは個人的な事例ですが、点数が取れればいいんだよっていうニーズも高いからそれが成り立っているという背景も事実だということですね。
比較して初めて良さがわかることもある
いくら評判が良くても、それが自分自身に適しているとはわからないのがこの世の中。ランキングが高い商品がいいからとそれを盲信的に買うのは非常に危険であるというのは再三ここでも書いてきました。
物事はすべて比較、検討してこそ初めてその良さなどもわかることが多いからです。
自分で考える力を養う塾は時間効率は悪い
詰まるところ塾というのは点数を効率よくとるための学習法を教えてくれるところが多いとは思います。もちろん中には学ぶ力、考える力の本質を教えてくれる箇所もあると思いますが、それはかなり少数のはずです。
その理由としては塾の効果が見えづらいという点があるからですね。
進学塾は比較的テストの傾向などがデータ化されていますし、個人レベルでの苦手部分や得意強化がわかるので、ある程度見込みをつけてそこを集中学習すれば短期的に点数を上げることは可能です。
しかし考える力という曖昧な指標は評価軸が難しいので成長が見えづらいということです。本来であればここでこそレビューなり点数指標という客観性の評価で成長度を測ることが望ましいところではありますが、時間も労力もかかるので難しいところではあります。
ただ、大事なことはどちらかというとそちらです。
お金やビジネスの仕組みを学ぶことも
考える力を養うには最適
我が家では物事の仕組みや、働くことはどういうことか、働いて得るお金になぜ差があるのかについてよく話をします。
そして、お金を稼ぐことってどういうことかと。そういうことを何度か積み重ねていくうち、子供達はよくある方法ですが、自分たちで家庭内で使えるお金を発行し始めました。
お手伝いの範囲を超えたお手伝いや、自分たちで考えた仕事をしたら親からお金をもらえるという仕組みです。
そんな娘は今、親は何も教えていないにもかかわらず、自分でLINEスタンプを定期的に作って、自分のスマホだけで制作してアップロードして販売。親族、友達に自分で直接売り込んでいて、コツコツ小遣いを稼いでいる強者にまでなっています。これ我が家では誰も教えていなくて、自分で調べて、自分でやりたいと言ってきたことでした。
娘がそうしているのも「バイトが禁止されている中で、どうしたら自分でもお小遣いがもらえるのか?」ということを、自分で考えた結果なのだろうと思っています。まさに「ノウハウ」ではなく、「ノウホワイ」を突き詰めてたどり着いた1つの解答なのだろうと思ってビビってます。
「ノウハウ」より「ノウホワイ」
知識の習得、考える力の習得には2つの観点がありまして、ノウハウとノウホワイです。私は常々このノウホワイが大事だということを意識していますが、簡単に言いますとこんな感じです。
「ノウハウ」とはシンプルにその物事のやり方。学校で言えば「解き方」。ビジネスで言えば、「稼ぎ方」とかが当てはまるのかな。
「ノウホワイ」とは理由を知ること。たとえば「なぜ?」「どうしてそうなるか?」などの理由を追求すること。これは物事の本質的な理由を追求することだ。
ノウハウしか知らないと
陳腐化しやすいし汎用性がない
学習の現場でも大学、大学院になればなるほどの「ノウホワイ」を追求する学習ができるのだろうとは思うけれども、仕事の現場、社会の現場ではこの「ノウホワイ」を考えられないと結構しんどいのではないかと断言できる。
とはいえ、実現するとときには「ノウハウ」を駆使するので、あらゆる「ノウハウ」を知ることはとても大事なことである。
ドリル職人のドリルが通用しないとき
たとえば、あなたはドリルで壁にあける
電動ドリルを持っているドリル職人だとします。
あなたが提供できるノウハウはドリルで穴をあけること。
あるクライアントに「この壁に穴を開けたいんです」と言われたとき、あなたはまずどうするだろうか?
少し考えてみてほしい。
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まずその意図、前提、理由を聞く
上でいうと、極端な例ですが、
ドリル=あなたが積み重ねきた知識だと想定します。
ドリルの種類はノウハウの数だと想定します。
しかしその壁、鉄筋で穴があかない場合。あなたのノウハウはまったく役に立っていないことになります。
多くの人は、きっといきなり穴を開けようしたでしょう。
しかし、あなたが持っていたノウハウ(知識)が役に立たないことを知った時、ノウハウしか知らない多くの場合はそこで諦めてしまう可能性が高いです。
そして依頼してくれた人に対して「すいません、このドリルでは穴があきませんでした」と報告をするでしょう。
この過程を得てしまう人は残念な人になります。
しかしここで穴をあける前、または穴があかなかった後に、
「どうやったら穴が開くのだろうか?」と考えた人はまだ少し思考の柔軟性がある方なのかもしれない。
それよりもクライアントが「なぜその穴が欲しいのか?」を問うこと、その理由を聞くことが「ノウホワイ」の源泉でもあります。
目的や意図を聞き、手段(ノウハウ)を
柔軟に変えていくことが求められる
穴を開ける理由が、たとえば、そこに何かフックをとりつけて、軽いバッグや帽子をかけたいんだという場合、ドリルではなく貼り付け式のフックを貼ればひょっとしたらクライアントが欲しいものは満たせるかもしれない。
もしくは、突っ張り棒みたいなものが張れるならば、突っ張り棒を用意してそこにフックをかけてたくさんのものをひっかけたりものをおくことができるかもしれない。
それは決してドリル職人でなくてもできる芸当だし、場合によっては専門的なノウハウも必要ありません。周辺にある、誰もが利用できるもので、目的は達成可能です。
クライアントの意見をよく聞いていれば余計な労力は省けるいい事例だとも言えますね。しかしこういう事例、ものすごくあふれているんですよ。
知識だけを詰め込む危険性
資格、ノウハウコレクターの危険性
このように、社会は基本的に意図や目的、理由が存在していて、その達成手段との1つとしてノウハウが存在します。
ノウハウにもピンからキリがあるので永続的に使える方法もあるが、それでもうわべだけのノウハウというのは非常に陳腐化しやすく汎用性が低いものも多い。
しかしながら、知識を得るということは1つの快楽を得ることにもつながりやすい。大事なことは目的を達成するために得るノウハウのはずだが、ノウハウを得ることが先になっていてそこで行動が完結してしまっていることがなんと多いことか。
そしてそのことをよく知っている人は、あなたに対して知識を高額で売りにきます。
知識だけを詰め込みすぎて満足してしまう頭でっかちが非常に多いというのはそういう背景もあるということです。そして、残念ながらそういう人ほどそこそこ育ちもいいのでプライドも高い。そして自分が正しいと思っているわけです。
ノウハウ習得とあわせて
ノウホワイを追求しよう
ノウハウの習得とあわせてノウホワイを追求することはとても大事です。そしてできれば、目的から逆算して必要な知識、ノウハウを習得していくことがとても大事です。
たくさんのノウハウ(知識、手段)を手に入れたとしても、クライアントや、自分自身の目的達成に沿ったものでないのであれば、それは単なる宝の持ち腐れ、場合によってはむしろ足かせにもなりかねません。
また、偏った知識の習得はどちらにしても目的を達成できない可能性が高くなります。
学生時代の知識の詰め込みはとても大事ではありますが、それでも実践レベルで使えない知識の詰め込みをするぐらいならば、その人の専門性を伸ばす教育、それを認める教育などにしないと、本当に汎用的な知識だけを持った人がこれからも変わらず増え続けるのではないかという危惧があります。
英語教育がその代表例ではないかと思いますし、他の知識においてもそれ役に立っているのか?とすごく感じます。特にお金、性、政治、ビジネスの教育が極端にない日本は完全なる愚民化政策をされているわけですし、世界の流れから乗り遅れかねないのは明白だなと思います。一刻も早く教育をかえなくてはこの国が変わりづらいだろうと。
PS
この歌を聞いて欲しいですが、今や日本は土地だらけ。用途がなくなるから駐車場ばかりです。
しかし今はどこもかしこも個別指導塾です。
少子化が進むご時世、親と子供の教育恐怖を煽って学校意外で絞り取る教育ビジネスは本当に未来がないと思っています。我々が意識的に変えていかないといけません。
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