50代ベテランゲームデザイナーが傍若無人を行い、若い芽を摘みまくる現場で行った戦いをプロデューサー視点で書く(ゲーム in the ノンフィクション)
これは、あるゲームプロデューサーの実体験をもとにしたフィクションである。
ゲーム開発の現場。
そこには「ゲームデザイナー」と呼ばれる職種名が薄々存在する(実際にその肩書がつくことがないので"薄々"と書いた)。
この職種、一見グラフィック系やアートの職種として使われることもあるが、本記事ではそういう意味では用いていない。
本記事内では「ゲームデザイナー」はゲーム全体をデザインする定義や意味などを含めて展開していく(詳細は後述)。
ゲームデザイナーの仕事とは?
かいつまんで説明すると、
『「ゲーム」という媒体を通して、作り手側がイメージするユーザー体験(実際に触った人がどうなるのか?どうなってほしいのか?)までを作り上げる』
というような、非常にテクニカルかつアーティスティックな業務を担う人のことを指す(これ以上の要素も含むため、この記事ではこれが大枠と思っている)。
そのような背景から、ゲーム業界内での「ゲームデザイナー」を自負している人の傾向は、業界の熟達者であり知識が豊富。年齢を重ねていることが割と一般的である。海外では企画系を司る人をゲームデザイナーと名乗る人は多く、本のタイトルにもなっていることも多い。
しかしながらここ、日本では「ゲームデザイナー」という職種がある会社はあまり存在せず、自らを「私はゲームデザイナーです」と強く主張している人はあまり存在しない。
ではどうやってその人がゲームデザイナーなのか?についてだが、参考として1つ目はその人がSNSなどの自己紹介文で記載していること。(個人開発者やインディーゲーム開発者などに多い)
2つ目、第三者があの人はゲームデザイナーの仕事をしているんだという文脈で話題が出てくること。
3つ目は、当人が誰かに助言をするとき、またはアドバイスする時にゲームデザイン論をやたらと節々に提示する時である。
とりわけいずれかの理由に当てはまる人は、実際に詳しいだけでなく、他の技術や知見に対しても優れていることが多い。そして、非常にプライドが高い(傾向にも思える)。あと自己愛が強すぎる。
あくまで特徴なだけでこれが悪いということではもちろんない。クリエイターなるものそれぐらい尖ったプライドを持っていた方が創作活動に生きることが多いからだ。
そしてこれは個人的な体験ではあるが、とりわけ自分ゲームデザイナーですっていう持論を展開する人に出会ったケースでは、めちゃくちゃ他人に対して攻撃的な人が多く権威者に弱い事例が多い。特に若手の企画者を極端に小馬鹿にしている姿勢が強く、企画のなんたらを知らないやつはゲーム企画者を名乗るべきではないというぐらいまで豪語している人も多く出会ってきた。
一言で、チーム内では気難しい人という通り名があるのは明白だが、そんな生優しいものではない。
ある開発の現場で出会った50代のゲームデザイナー
あるゲームプロデューサーは大手ゲーム会社にて1つの開発チームにアサインされることとなった。新規のスマートフォン向けアプリの開発である。
そのプロデューサーは業界歴はそこそこだが、家庭用ゲーム機の開発よりもオンラインゲーム、またはスマートフォン向けのアプリ開発の経験の方が多い人物だった。
その現場の人数は約40名と比較的多かったものの、企画、開発(プログラマ部門だけが3名と規模感と比較して非常に少ない点が目立ち、全員そのリードプログラマとほぼ同じ年齢。
すでにサービスしている売れ筋ゲームの運用とあわせて新規開発をやっていこうという段取りとなった。
しかし、このチーム。40名もいるのに社員プログラマが3名、業務委託として在中プログラマが5名いるというよくわからない構成になっていた。
なぜならば、他の部門やチームは全員社内のプログラマで構成されており、8〜10名以上存在するにもかかわらず、なぜこのチームだけ・・・?
とにかく、本チームには優れた腕を持つ50代のベテランプログラマが存在していたがマネージャーや管理者ではなく、彼は自分を「リードプログラマ 兼 ゲームデザイナー」という肩書を名乗っていた。
なるほど、管理職じゃない?
企画系もできるプログラマ。力強いな、とプロデューサーは思った。
ちなみにプログラム部門のリーダーは別に存在している30代のやり手。どうやらこのチームだけではなく会社全体のプログラムリーダーを横断して統括しており、このチームには業務委託側のベテランプログラマーが実質現場の管理をしていたように思えた。
この時点である程度推測はできる。
このリードプログラマ(兼ゲームデザイナー)がいる限り、プログラマが増えていないのだろうと。
ある会議の場で
その推測はほぼビンゴとなった。
本チームに配属されたプロデューサーは、ディレクター、グラフィック部門のリーダー、業務委託のプログラムリーダー、そしてその50代のベテランリードプログラマ(兼ゲームデザイナー)と新規企画のMTGを開始し始めた。
しかし、ことあるごとにそのリードプログラマ(兼ゲームデザイナー)は企画に対して指摘を行なっていた。
この企画ダメじゃね?
この仕様って何の意味があるの?
それってゲームデザインとしてイケてなくない?
それオレはやらない。
この本読んだ?これぐらい読んどけ
平気でこういうことを口にしては会議の場が凍っていたのだ。
全体責任を持つプロデューサーはとりあえず否定も肯定も一度は意見を出し尽くして判断するタイプなので、必要なものは都度都度チームに対して説明をしていたが、だんだんとその人だけのために説明する機会が増えていったことに気づき始めた。
確かにそのリードプログラマ(兼ゲームデザイナー)のコメントは正論であり、的を得た発言なのかもしれないが、我々ができるリソースと技術力が無視されたコメントであることも多い。
そしてだんだんとアカデミックな話になることも多くなり始め、やがてはゲームデザインセンスがないやつは企画をするべきではないとかそういう話になり始めることも多かった。
はっきり言って面倒くさい。
それだけならばまだいいが、完全にチーム制作の範疇を超えてしまっている。時折理不尽な要求や否定意見を個人の意見で飛び交うことが目についてきたため、たまに強制的に役員を参加させて場を見てもらうように依頼した。
すると、その人は一切発言をしないのである。
事件は起こる
いつもは否定的な意見をいう人が、何も言わなかった会議の項目は開発が進行されたわけだが、いざ企画からデザインを起こしてそのリードプログラマ(兼ゲームデザイナー)のところに仕様と素材が渡った時「オレはこの仕様がいいと思っていない」と言い始めた。
大きく燃えた。
プロデューサー「いやいや、それ会議の場で説明しましたよね?何も意見なかったじゃないですか?」
ベテラン「それはわかるけど、オレがイメージする(ゲーム)デザインと違う。これイケテナイよ」
プロデューサー「だったらあなたが考えているゲームデザインを仕様にしてくれませんか? 私たちはあなたの想像通りに作ることが仕事じゃないので、難しいんですよね。ご自身が思う通りに変えてもいいですよ」
ベテラン「じゃぁオレが作るものを仕様にして」
プロデューサー「え?仕様も作るんですか?」
ベテラン「いや、違う。オレがプランナーを育てて指示出すから」
プロデューサー「え??まじすか?こいつ何様のつもりだよ」
ポイントは2つ。
他人の仕事を全否定すること。
もう1つ。自分で責任をとらないポジションだけを選び続け、管理しないこと。無用なものは切り捨てるので、チーム内でも下についたもので無用とおもわれたものは放置されるという悲惨な目に遭わされる。
もちろん、これにはプロデューサーは全力で他部署異動も含めて社内調整して対処した。結果、人がチームから減り続ける。
事件は起こる2
なぜ業務委託のプログラマが存在するのかだんだん理解してきたので、プログラム業務を2つに分けて進行を開始した。
ただ、問題は当然ながらここでも発生する。
ベテラン「あっちに依頼した業務はオレが監修する」
と言い出した。
こいつはやべぇぜ。
結果どうなるのかは火を見るより明らかなわけだが、そうなると何が起きるのかというと100%アウトプットが減る。
もちろんその優秀なプログラマ、兼ゲームデザインにフィルターを通せば素晴らしいものが出来上がる。かもしれない。ただ、今の我々に必要な要素はそれだけではなく、ボリュームだったり機能そのものだったり、完成品だったりする。
ご自身の美学を貫き通すのは別に構わないが、チームが保持するスケジュールや目標と意図には少しばかし配慮いただけないか?とかなり悩まされる日がとにかく続いた。苦痛の日々だった。
やがて休職者が多くなる
チームは空気が悪くなったり人間関係が悪くなると遅刻、欠席が多くなる。
ただ人生とは意地悪なもので、憎まれっ子世に憚るというが、傍若無人に振舞う人ほど長居するし健康体である。ストレスが少ないからである。
若いデザイナー、若い企画者を含め、そのゲームデザイナー兼プログラマと関わる企画者が次々と体調不良で休む。
一定距離を保てるように中間に仲介役を挟んだりもしたが、今度はその仲介者が退職する。実際その若いプロデューサーも中間役に入ることが多かったが、ベテランプログラマが逆にそのプロデューサーと距離を置くようになりなかなかコミュニケーションがとりづらくなってきた。
そうなると仕事が目に見えるように滞るようになり、流石にやばいということで、役員レベルまでを巻き込んでMTGを行った。
すると
「あぁ。あの人ね。前からあんな感じだよ。もう8年前に入社してからずっと。めちゃくちゃ気難しいよね。なんとかしたいけど、みんなダメだった」
とだけ言われた。
おいおい、放置かよ。。。
耐えられる人、耐えられない人
会社には2つのタイプが存在する。
メンタルが崩れる人、崩れない人だ。
メンタルが崩れる人は生まれつきとか生活環境にもよる人もいるが、会社員の場合は人同士の付き合いや環境、ストレスの度合いによって崩すことがとても多い。
同じようなプログラマがそこに残れている理由は何か?というと、ほぼ干渉せずに業務範囲を明確に区分しているからだそうだった。
もう1つのパターンは悟りを開いている場合。
あとは自分自身の業務責任を責務として請け負えるタイプの人。その人が言うことが正しいとかは関係なく、とりあえずこなすことで乗り切っている人の場合。自分からその人へ提案はしないタイプ。
姑息だが正しいだろう。
しかしそこに配属された企画者やデザイナー、その他プログラマは境遇が違う。結果としてそこに配属されるプログラマは皆辞めるか、他部署への異動依頼を出す、出してもらうケースが多く、企画者やデザイナーもまた同じようなことが繰り返されていた。
この状況を知っていて改善しなかった役員レベルにも責任はあると思うが、その彼自身も1年ほど頑張ったが結局なにも改善しなくて諦めたらしい。
とった施策
結果的にそのプロジェクトはとりあえず形だけリリースすることになったが、もちろんうまくいくはずもなかった。
ゲームデザイン論が当てはまるならば見せてやりたいが、売れもかすりもしなかった。そりゃそうだ、機能が足りなすぎるし、ゲームとして成り立っていない。
それを見たリードプログラマ(兼ゲームデザイナー)は何を口にしたのか?
「オレならもっと良くできた」だ。
さすがにこの言葉を聞いた時はうなだれた。
大失敗のその後
その後、プロデューサーは役員と相談して今の部署を2つに分けて、ベテランチームの方と既存サービスの運営を行うチームにした。
プロデューサーは既存サービスの方だけを見るように指示され、リードプログラマ(兼ゲームデザイナー)は社長直属となった。いずれも少人数性のチームを整備し、新規の企画、開発までを行えるように手配を行った。
その後の結果はどうなったのかだが、リードプログラマ(兼ゲームデザイナー)がいないチームの士気と活気が戻り、プロジェクトの業績が上がり始めた。
一方、ベテランが在籍するチームは何も新しいものが生まれないまま2年が経過し、その後そのチームは解散。ベテランのリードプログラマ兼ゲームデザイナーは最後まで退職をしぶったが会社と交渉して退職した。
反省点
言わずもがな、この記事のプロデューサーは私のことである。
今回の事例は、自分をゲームデザイナーと自称し、チーム内にも自分の価値観を共有しようとするも、その表現方法がうまく分からずに混乱と混沌を生み出した一例にすぎないが、部下が育たない事例や、自分の価値観とそぐわない人と協調がうまくできずにパワーでねじ伏せるタイプの人は非常に多い。
できれば今回のケースでは彼の知識や知恵をわかりやすい形で共有できる工夫ができれば、もう少しいいクリエイティブの方向にできたかもしれないが、彼曰く「当人が努力すること。それぐらい知ってて当然」というスタンスだったので、彼が考える真のゲームデザインが誰にも伝わらなかったままとなった。
これもまた、マネジメント課題の1つとか、至らない反省点の1つになりえそうだと思う節もあるが、彼自信、責任を回避する行動があまりにも多く、意見だけを言う姿勢はチーム開発においてはマイナスだったのではないかと考察している。
正直周りの人たちが命を削って彼に寄り添い続けるか、それとも環境を変えるかの方しかないと思っている。私はどちらかというと後者の方なので、嫌な人とは仕事はしない。できないなら変えられるように動く、タイプの人である。
正直そうやってあまりにも理不尽な人の側で働き続けて、この業界を引退した人は数知れない。私はそれだけは避けたいし、そういう人を一人でも減らせるように自己防衛能力を高めることをお伝えしたい。
余談だが似たような事例
これ以上見たくない人は見なくてもいいが、グラフィック部門でも似たような実例があるので紹介したい。
一時期ベテランのグラフィックリーダーがいるチームで仕事をしていたとき、その下のグラフィックメンバーがことごとく退職する事例もあった。
グラフィックリーダーには再三もう少し穏便に仕事ができないか?とお願いをしたことがあったが、彼は言語化が極めて苦手で、部下に対する指示があまりにもめちゃくちゃかつ訳がわからない箇条書きだけだった(実際に提出して見せてもらった)。
その結果、そのグラフィックリーダーは他人の仕事を取り上げてしまい、自分で修正、または作り直しをするということを繰り返した結果、チームのグラフィックメンバーは自分の存在価値に自信を失い、休職、離職するケースが多発したということがあった。
この時、このグラフィックリーダーにはグラフィックの主戦力ではあったが、今後のことを思ってそのチームを外れてもらい、別の部署へと異動していただいた。
果たして正解は何だろうか?
ここ数回に分けてゲーム現場のノンフィクションを書いてみたが、ゲーム制作とは相変わらず難易度が高い業務だなと思い知らされる。
例えば今回のゲームデザイナーとは?もそうだが、仕事に「●●デザイナー」という肩書きは非常に曖昧かついろいろな要件や意味が含まれていると感じている。
しかしそういう用語が存在し、そういう人が実際にいるとなると、非常に奥深いものだと改めて感じさせられる。
デザインするとは何か?
では、なにかをデザインするとは一般的にはどういうことなのか?について少し考えてみたが、自分なりにはこんな感じのものではないか?と定義している。
「ヒト、モノ、情報、サービスを何かの媒体で体験できる形に作り上げ、利用した人が特定の感情、体験、経験までを得られるようにすること」
特定とは、作り手側がある程度狙って創造していることであり、ここでいう「デザイン」とは、それを具現化、体現化、提供するまでの品質を担保することなのかもしれない。
たとえば、空間デザイナーとか、クリエイティブデザイナー(よく考えると変な言葉だな)とか、建築デザイナーとかも存在するけど、似たようなニュアンスで使われているのではないか?と想像する。
感情、体験、経験を生み出すとはどういうことか?
さらに続くw
例えば、熱中できること、楽しい、気持ちいい、冒険している気持ちになる、ハラハラ、達成、嬉しい、悲しい、ドキドキ、狂気など。
やる気、元気、勇気、思いやり、そんな感情を揺り動かすことも含まれる。
ゲームはシンプルに作って終わりだけではなく、システム、見た目、プレイ感覚、得られる達成感の演出などを総合して、プレイヤーに自発的に操作してもらって体験してもらう。ところまでをゲームでは作り出す工程となる。
ゲーム開発の現場がしておきたいこと
エンターテインメントの持つ部分を作り出す職種、それがゲームデザイナーの仕事の1つなのだろうと思っている。
ゲームデザイナー、そこには、グラフィック、システムチック、メカニクスなどにも触れることや、全体設計、全体サイクル、システム的な部分も内包することは間違いない。
いずれにしてもゲーム制作は一筋縄ではいかない上に、業務の定義も非常に難しくなりがちである。ゆえに評価もしづらいことや、そもそも仕事内容を説明することも簡単ではない。
そのために言えることは、まず大切にしたいのはいい人と付き合うことだ。人生をすり減らす人と付き合ってはいけない。仮に有益な知識や経験が手に入るかもしれないが短命で終わる意味はない。
できる限り長く創作活動ができること、評価してくれる環境に身を置くこと、自分の環境を良くするための努力を惜しまないことである。決して泣き寝入りだけはしないで欲しい。
おまけ:他業種での素晴らしいデザイナー例
ご存知かもしれないが、サッカー界にドリブルデザイナーという仕事をしている人がいる。
子供から世界で活躍する一流選手にサッカーの独自のドリブル技術を提供しているのだが、実際に彼が提供していることは、単なるドリブルだけではない。
ドリブル技術は彼が用いている媒体や手段の1つであり、ユーザーに体験して欲しいこと、ユーザーに体験して欲しいことは「チャレンジし続ける心」である。
そのために、誰でも抜けるドリブル理論を構築し、ドリブルを通してサッカーで活躍し続けられる自信、技術、一流サッカー選手としての考え方を提供している。
つまりはドリブル技術という媒体を通して、一人のサッカー人生までをデザインしているということになる。
ゲームで例えるなら、ゲームデザイナーという仕事は「ゲームという媒体を通して、ユーザーが最高に興奮や熱中できるインタラクティブな遊びを体験し、第三者にその体験や価値をシェアできる活動をして多くの人を豊かにすること」までを作り出すことなのかもしれない。
宮本茂さんはきっとそれを体現している一人だと思う。
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