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ありがとうASIMO君

どうも、ウクモリ ヒロオです。

水曜日にわずかな隙間時間が出来たので、ホンダのウェルカムプラザ青山に行ってきました。ここ最近、F1の展示でよく訪れる場所になっていた私にとっては非常に慣れ親しんだ場所ですが、今回はASIMO君のお見送りのための訪問でした。今日はその時のことについて書き綴りたいと思います。

歴代ロボットが揃ったウェルカムプラザ

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1986年に誕生したE0から、2000年のASIMOまで。もの凄い勢いで進化したことが分かります。

滞在時間は15分ほどだったと思いますが、ホンダが開発した歴代ロボットが集結した状況を見れただけでも貴重な体験が出来たと感じています。残念ながら、ASIMO君のショーは既に終了していた時刻だったため観れませんでしたが、昨年仲間と一緒に観ることが出来ていたので、あまり悔いはありませんでした。むしろ、ホンダが1986年に発表したE0からASIMOまでをこのような状況で観ることが出来るのは、これからほとんどないと思うので、技術者の魂が籠ったロボットたちを観れたことに感謝しています。

特にP2からASIMOの小型化の流れが観れたことが嬉しく、おなじASIMOでも新旧のタイプでこれだけの違いがあるのかと驚きました。ケーブルが無くなってからのランドセルのダウンサイジングは驚異的で、いかにバッテリーが時代と共に進化したのかが良く分かりました。

結局、彼を超えるロボット日本代表は現れなかった

ASIMO君のパフォーマンスは今見ても驚かされることばかりです。当初は全速力で走ったりしただけで驚いていましたが、最近は片足だけで立ったり、サッカーをしたり・・・かなり進化していて驚きました。

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ホンダの公式サイトで調べてみたところ、ASIMOが最後にアップデートされたのが2011年。それからほぼアップデートされていないにもかかわらず、人々から愛され続けていたのは、ホンダのロボットに対する想いが伝わり続けていたからじゃないかな・・・と感じています。

多くのロボットが誕生しては消えてゆきました。残念ながらASIMOも卒業してしまう訳ですが、20年以上も人々を魅了し続け、結局は日本を代表するロボットの座を明け渡すことなく、不動の地位を確立していたこと・・・それだけ完成度が高いロボットであったことに違いありません。

ロボット文化が消えた訳では無いので

今回の卒業をどう捉えるかは、人によって異なるかと思います。私の個人的な見解としては、ホンダは国際ロボット展に出展したばかりだということを考えれば、社内でロボティクス分野をさらに進化をするための通過点をあえて作ったのかな…そんな風に捉えました。

むしろ、ロボティクス分野のフィールドが広がりつつある中で、いつまでもASIMOを会社のアイコンとして印象付けておく時代ではない…そんな決断をしたと捉えることが出来ます。

グローバルでみても、ヒューマノイドロボットが活躍する時代はかなり先だと感じます。むしろ、そこにつながる要素的な部分が進化し、焼肉店で働いていたり、自宅で抱っこをせがんでみたりと「今実現出来る身近なロボット」が増えています。

ホンダは生き残りをかけて、リソースの最適化を行なっています。昨年のF1撤退に続き、ASIMOも卒業。ただ、その一方でソニーと次世代モビリティで協業を決断したりと、しっかりと前を向いている感じがします。

いずれ貢献したいなぁ

実は15年前にロボット分野で何か貢献したいと考えた時、一番最初に浮かんだゴールは「ASIMO」のパーツを手掛けることでした。残念ながら、その夢は叶いませんでしたが、その思いがあったからこそ、他のロボットの何かしらでお手伝いさせて貰っています。

いずれ時代が進み、ホンダが再びヒューマノイドロボットを手掛ける…そんな時には、何か貢献したいなと思っています。

こんなことを考えつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!

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