「自分なくし」という言葉に共感
どうも、ウクモリ ヒロオです。
先日、数年前にNHKで放送された「みうらじゅん 最後の講義」が再放送されたので、改めて観てみました。
その昔は宝島でコラムに触れ、最近では2018年に川崎市市民ミュージアムで開催された「MJ’s FES」に行き・・・私はみうらじゅんさんが大好きです。
昨年オンラインで開催された「政則 十番勝負2020」での、メタルゴッド・伊藤政則さんとの対談も印象的でしたが、改めて観た「最後の講義」は今の私にとっての沢山のキーワードが散りばめられていました。
「自分なくし」という言葉に共感した
そんなキーワードの中で、今回も初回放送でも印象に残ったのが、「自分なくし」という言葉でした。みうらさんは、2009年に「自分なくしの旅」という自叙伝的な作品を書いていますが、今回の講義では還暦を迎えた立場として語っています。
なぜ、この言葉に共感したのかというと、「自分さがし」とは結局のところ他力本願である語っていて、妙に腑に落ちたからです。
よく、経営者は主体的になれと言われます。そして、主体的な社員を育てろとも・・・。言われはするけれども、「どうすれば」は人によって方法が異なるので、その答えを探そうとしてしまいます。
で、実はその答えが「自分なくし」だと今は思えるようになりました。
どうすればではなく、理由を考えずに相手にとって良いことを考えて行動するだけで良いことに気付くと、答えが自分の中にはないことが分かり、結果として「自分さがし」をする必要が無いと悟ることが出来ます。
私はこれまでのnoteでも述べてきたように、ご縁を大切にしながら人をおつなぎして・・・と、自分でなく相手が喜んでもらえる方法を考える機会が多くなりました。なので、この言葉の重要性をとても感じます。
講義では笑いを交えながらの話ではありましたが、実はとても大切なことを、とても分かりやすく語っていたことを私は理解しています。
あきらめるから得られるもの
世間ではよく、「無欲になれ」という言葉を聞きます。
ただ、この言葉を聞けば聞くほど欲が出てしまうのが自然の摂理だとも感じます。なぜだかを考えると、結果的に自分にとってプラスになることを優先して考えてしまうのが人間の性だからだと気付きました。
講義でみうらさんは、「自分があると面倒くさい」と言い、「相手が言っていることを聞いていればいいのに、それは違うと言ってしまうから喧嘩が起こる」とも語っています。
私はこの指摘、本当にその通りだなと思っています。
そう思えるのは、私が人をつなぐ活動を続けている中で感じているのが、それが違うと言ってしまいがちな人は、結果的にご縁がつながらないケースが多いという実情です。私がご縁を感じた方々をつなぐため、こういったケースはごく稀ではあるものの、無いとは言えません。
比較して生きるているから不幸になる
講義で述べていた「自分なくし」のもう一つのポイントは、比較して生きていることが不幸につながっているという点です。「比較三原則」という言葉を使って、「他人」「過去の自分」「親」と比べることの無駄を述べていましたが、これもその通りだなと痛切に感じます。
私はある時点から、特に「他人」と比較することに意味がないことを感じました。他人と比較するから、自分が不幸に思えてしまうことに気付きました。
経営者として独自の動きをし始めた10年前は、私はまだ他人と比較することが多かったように思います。比較するから、自分が成果を出していないことに焦り、本当にこの状況で良いのか悩む・・・そんな毎日を送っていました。
悩んだからこそ今がありますが、結果的に比較する必要はないことが分かりました。元々、ご縁を大切にする人間だったからこそ、人とのつながりを大切にしながら生きるという選択が出来ました。
自分を探す時間を、相手を思う時間に変えたら・・・
こうなるために必要なのが、「自分なくし」だと思います。
昨今、インタープレナーという言葉が注目されているように、「相手のことを思い、行動する」ことに価値が見出され始めました。
おそらくは、相手を思う時間が増えれば増えるほど、実は自分の幸せ度合いも増えてくるのではないかと思っています。
「自分良し」ではなく、「相手も自分も良し」とすると、多くの人が幸せわせになります。そうならないのは、多くの人が自分探しをしているからではないかとも。
おそらくは、思いやりという言葉の意味を考えることが、「自分なくし」を歩むための第一歩ではないかと感じます。
このnoteをお読みいただいている皆さんはいかがでしょうか?
こんなことを考えながら、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!
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