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ニコニコ超会議が懐かしい

どうも、ウクモリ ヒロオです。

facebookをチェックしたら、今日はニコニコ超会議2の開催日前日だったようです。とても懐かしく感じました。私は当時、出展ブースのお手伝いをしていました。初回から4回目までは、そのブースのお手伝いを続けました。

今日はあの当時を振り返ってみようと思います。

ニコニコ超会議でリサイクル素材の提供を

ロボット競技大会の知人から、ニコニコ超会議に出展してみませんか?と言われたのは2012年の春ごろのこと。某狩りに行くゲームに登場する、実物大の大剣を展示するブースで、リサイクル素材を提供してみないかとお声掛けいただきました。

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そのブースは以後、大剣が年を追うごとに増え、不動の人気コーナーとして君臨しましたが、その最初期をお手伝いすることに。気が付けば、リサイクル素材の提供コーナー以上に、大剣を持って記念撮影をする際のカメラマンとして活躍することになってしまいました(笑)

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カメラを受け取り、しゃがんで撮影、再びカメラを渡す・・・そんなスクワットのような動作を数百回繰り返していたので、翌日以降の足腰の筋肉痛が・・・ということを数年続けたことになります(笑)2回目のニコ超では、朝の某番組の取材を受け、しっかりと某ロボットアニメの制服で登場していたり・・・今となっては、とても懐かしい思い出です。

新たな化学反応が起こしたくて

実はニコニコ超会議での活動は、ブランディングの一環として考えていました。サービスロボット産業がまだ生まれていない状況下で始めた、ロボット競技大会でのさまざまな活動。活動のひとつだった、リサイクル素材の無償提供活動。

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この活動が大好評だったことから、コスプレイヤーの方々にも使ってもらおうと考えて、ニコ超でも始めました。コスプレイヤーの方々が、ロボットの分野にも興味を持ってもらえれば、新たな化学反応が起きるんじゃないかと、ひそかに期待していました。

残念ながら、微妙に思想が異なることが分かったため、ニコ超での活動は4年間で終えました。ただ、ここで出会った方々の中には、その後もご縁が続いている方も多く、今でも参加を決断して良かったなと思っています。

がむしゃらに何事も取り組んでいた時期

思い出してみると、あの頃は私の取り組みが周りの人から全く理解されず、一番苦しんでいた時期でもあります。ニコ超での取り組みも、側から見れば遊んでいるとしか思われていませんでした。何バカなことやってるんだ。もっと真面目に仕事しろよ…と。

ただ、従来のやり方では業界自体が衰退した時に大変だろうと肌感覚で思えたからこそ、外野の意見は聞かずに行動し続けました。実績が出てきたからこそこう言えますが、フォロワーが増えるまでは相当なストレスを抱えて本当に辛かったです。

若手後継者の方々の中には、今の厳しい状況も重なっているがゆえ、既存の事業に焦りと限界を感じている方も多いと思います。そして、そんな中でわずかな可能性を信じて、新たなことにチャレンジしている方も多いと思います。「本当にこれでいいんだろうか?」と眠れない日々を過ごしているかもしれません。

2010年頃の私も、同じように悩んでいました。

私の場合は、ご縁を大切にしていたからこそ、多くの人に助けてもらいました。ポジティブな意見に囲まれるようになり、主体的にポジティブな取り組みを開始・継続出来るようになりました。今回取り上げたニコニコ超会議での活動も、様々なことが気付けて大きな収穫がありました。ここでの気付きがあとから活かされたケースもあります。

「何事もまずはやってみる」という言葉を実体験し続けたニコニコ超会議。変化球を投げてみることの大切さを知った場所でもありました。

こんなことを語りつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!

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