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マルクスの『資本論』 / NHK100分で名著

日本の都市部の住宅は狭い割にやたらと高い。土地が高いからだ。しょっちゅう建てたり壊したりするので、日本の都市部に住む人が住宅から受けるサービスは貧しい。生活も圧迫される。マルクス的に言えば、社会の富(公共財)である都市部の土地を個人所有(商品化)して有効活用できていないから起きる問題だ。山手線の周りには低層の建物がびっしり並んでいる。

この問題には北一輝も気付いていたようで彼の書いた『日本列島改造論』(1923年)では、農地では"私有"を認めるが、都市部では所有地をなくして、のこらず”市有地”にしようと提言している。都市部の土地は公共性が高いものだからである。ヨーロッパの主要都市ではかつて他国からの侵略を防ぐために都市部に城壁が供えられていたので「土地は市有地である」という考え方が一般的で、都市部の土地を"私有地"として認めるのは日本や第三世界の国ぐらい。そういう国では、一部の土地成金が生まれる代わりにそのほか大勢の生活が圧迫されることになる。

”商品”と”富”(公共財)は性質が違うものなので、世の中にあるものをなんでもかんでも商品化すればいいということではないらしい。マルクスは「社会の富」(公共財)とは、空気、水、土地、公園、住宅、図書館、知識、コミュニケーション能力といったもので、これらの富は年々少なくなっていると考えた、今、公園でサッカーや野球をすることができないが、お金を払ってグラウンドを借りるしかなくなる。公園で遊べていた時期に比べて余計なコストがかかる。図書館の司書は非正規雇用司書の人が増え、司書になりたい人間が減った。専門家がいなくなったことで結果として図書館のサービスの質が低下してしまう。

社会の富とか公共財について考えたことは今まで一度もなかったけれども、資本論をきっかけに少し考えてみたい。社会の富(公共財)をコモン(共有財産)として皆で管理していくこと。公的管理でもなく、個人所有でもない、その間みたいなことを。


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