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写真の「死」に触れる――「TOPコレクション セレンディピティ:日常のなかの予期せぬ素敵な発見」展について

(約7,300字)

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東京写真美術館、上空にて(著者撮影)

5月21日は、日付が変わった0時時点から動いていた。0時10分に京都駅八条口を出発するバスに乗り、朝7時に東京の秋葉原駅へと降り立つ。何一つ営業していない駅周辺を散策し、山手線と東海道本線を乗り継ぎ秋葉原から神奈川県立文学博物館へ足を運んだ。午後からは文学フリマへ、自身が執筆した原稿が載った本を一冊頂戴しに向かう。今回は早稲田大学ボカロマゾ研究会と、早稲田大学負けヒロイン研究会の二つのサークルの本に寄稿させていただいたが、私が会場から去ろうとする時点で既に両方とも売り切れだった。なかなか奇妙な文章を書いたかもしれないが、どうか誰かの手に届いてくれたのならばうれしい限りだ。そんなことを考えながら、東京モノレールの流通センター駅から恵比寿までの所要時間を手元の機械で検索する。

東京写真美術館内部(著者撮影)

日曜に来て翌日には帰るというスケジュールの都合、今回は都内の美術館をあまり散策することができないのが何よりも残念だ。だが、せめて月曜休館の美術館のうち一つくらいは見に行きたいと思い、今回は上野でも新宿でも清澄白河でもなく、今回は恵比寿の写真美術館を選択した。最後に東京に来たのは昨月だったが、その日は一日弾丸旅行だったこともあり、どこも行くことはかなわなかった。そういう意味で、都内の美術館は昨年以来だ。昨冬に中古の一眼カメラを買ってから私はいろいろなものを撮影してきたが、まだまだ写真については何もわからないし、もっと勉強せねばならない。恵比寿には珍しい写真専門の美術館もあることだし、そこに向かうことにした。コレクション展と深瀬昌久の個展、そして第48回JPS展が開催されているが、写真のことを何もわからない自分にはまず、コレクション展から見ることにする。展示会場はエレベータで登ったところの3階だった。

深瀬昌久《家族》より(1971) 
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4274.html  より

「ピントグラスに映った逆さまの一族のだれもが死ぬ。その姿を映し止める写真機は死の記録装置だ」と広瀬昌久が言うように[1]、写真は常に「死」と隣り合わせであった。美学者の田中純は『都市表象分析Ⅰ』にて、バルトを媒介にしながらそれを「対象となる現実世界からはぎとられた『光の皮膚』である」といった[2]。世界の表層から欠落した「皮膚」と表現される写真は、世界の痕跡としての写真の存在を肯定するものだ。(過去の不確実性にもかかわらず)確実に存在している「過去の現前」というアナクロニックな場としての写真は、私たちにかつて存在した過去を提供することによって、画像の提供する過去とそれに対する現在との時間感覚のずれを提供する。そして、それは同時に時間の終着点たる、主体の「死」を予兆させる――ゆえに「写真機は死の記録装置」である、と解釈すべきかもしれない。深瀬昌久が数年間にわたり自身の家族写真を撮影した一連のシリーズ《家族》(1971)を眺めると、父親が時間を気が付かぬ間に年老い、そして最後には遺影となるところまでが撮影されている。こうした写真の提供する時間的流れは、写真そのものが「かつて」「そこに」「あった」という痕跡を提供することによって、現在との間に強烈に摩擦熱を発生させるだけでなく、時間の終着点としての主体の「死」を想起させる。

一方、社会学者の若林幹夫は『都市のアレゴリー』にてベンヤミンの「展示的価値」と「礼拝的価値」を補助線にしつつ、博物館に代表されるアーカイヴ施設が「歴史」を「(空間的広がりを有するものとしての)歴史的なもの」から切り離すことによって、記録の装置が同時に忘却の装置になっていることをいう[3]。言語的にも法律的にも博物館と同等の存在である美術館も同じく、コレクションをどんどん拡充させることで正当な「美術史」を作成すると引き換えに、歴史的なものの内包する空間的広がりを見落としてしまっていることは言うまでもないことだろう。集積することで歴史を作る=アーカイヴとしての役割を担うこれらの施設は、かつて哲学者デリダが『アーカイヴの病』でいったように、その根本的性質から所蔵される事物の詳細を根絶やしにしてしまう[4]。アーカイヴとしての博物館や美術館が図らずも実行する歴史的広がりの切り落とし的行為はまた、動態的なものを一つの形式に保存させるという点において「死」に接続される。空間的広がりを持ったものとして私たちが内部で抱える「歴史的なもの」を資料という外部存在を通して「歴史」として固定する外部システム=アーカイヴに対し、デリダは精神分析学者フロイトの後期概念である「死の欲動」を補助線にすることによって、アーカイヴが「歴史的なもの」を根絶やす=固有性をどこまでも削除し、その価値を破壊する点において「死」と接続させる。

シグムント・フロイト自身にとって、破壊衝動はもはや議論の余地がある仮説ではない。たとえこの思弁が揺るぎない命題の形を決して取らなくても、たとえそれが決して自らを表さなくても、それはAnánkēすなわち抗い難い必然性の別名である。それはあたかもフロイトが、そのとき以来もはや、この欲動の還元不可能で原始的な倒錯性に抵抗できないかのようである。彼はここでそれを、あたかも三つの言葉がこの場合同義語であるかのように、時には死の欲動、時には攻撃欲動、時には破壊欲動と名付ける。それに加えて、三つの名を持つこの欲動は、無言である(stumm)。それは働いているが、つねに沈黙のまま作用するからには、それにとって固有であるようなアーカイヴを残すことは決してない。この欲動はそれ固有のアーカイヴをあらかじめ破壊する。あたかもそれこそまさに、その最も固有の運動の動機そのものであるかのように。それはアーカイヴを破壊するために、すなわち、それ「固有」の諸痕跡を抹消するという条件でのみならず、それらの痕跡を抹消することを目指して働く。

アーカイヴはその根本的性質として「固有であるようなアーカイヴ」の「痕跡を抹消することを目指して働く」。そんな彼の主張において、アーカイヴを担う博物館や美術館は「死」の施設だ。固有性を喪失させられるコレクションたちは「歴史的広がり」を喪失しながら、社会的空間からある隔絶された場所でゆっくり時間を刻む――実際、多くの人々は平日の昼間にこんな空間に来ることはできないのだから、ここはそういう意味でも動態的都市と対照的な静態的空間である。動きと広がりを失った空間が美術館であるというのならば、これはやはり「死」の施設であるだろう。こうした「死」の交差点上において、写真美術館は解釈されるべきなのかもしれない。

そんな「光の皮膚」の集積所として、固有性が消える地点としての写真美術館において、写真はなぜ展示されるのか。デリダはアーカイヴ論を展開する中で、アーカイヴが常に過去の時間に対する到達不可能な根源への郷愁を帯びており、その郷愁が私たちに根源への欲望を想起させることで、個別具体を喪失させるという。

アーカイヴの混乱〔trouble de l’ archive〕は、アーカイヴの病〔mal d’ archive〕から由来する。われわれは、アーカイヴを求めている〔en mal d’ archive〕。フランス語の固有表現を、そしてその中に限定詞«en mal de»を聞くと、アーカイヴを求めている〔欠乏に苦しんでいるen mal d ‘archive〕ことは、病気、混乱〔障害〕、«mal»という名詞が名ざしうるものを患うこと以外の、何かを意味しうる。それは、情念〔受苦〕で燃え立つことである。それは際限なく、アーカイヴが姿を隠すところで、際限なくそれを探すことである。それはアーカイヴを、その中にある何かがそれ自身を無アーカイヴ化〔s’ anarchiver〕するところで、たとえそうしたものが過剰にあろうとも、追い求めることである。それは、アーカイヴに対する脅迫的で反復的、郷愁的な欲望を、起源への回帰の抑え難い欲望、望郷の念〔mal du pays〕、絶対の始まりの最も古代的な場所に回帰する郷愁を、自らに抱えることである。いかなる欲望も、情念も、欲動も、さらには反復脅迫も、いかなる「苦しんで〔mal-de〕」も、なんらかの仕方で既にアーカイヴを求めて〔その欠乏に苦しんで〕いない者には、現れることはないであろう[6]。

アーカイヴは常に私たちのノスタルジックな過去を想起させるのであれば、写真の提供する「かつて」「そこに」「あった」性質はまさに、アーカイヴの提供する「死」と直接的に接続しうるものだろう。田中純が言ったように、写真とはアナクロニックに過去を現前させるシステムである。であれば、記録不可能な「歴史的なもの」を「歴史」化してしまう写真はまさに、痕跡としての過去を私たちに提示することによって、そこから到達不可能かつ表現不可能な「歴史的広がり」へと私たちを誘うのではないだろうか。それゆえ、写真はそれ自体がすでにノスタルジックであり到達不可能な「歴史的なもの」へと、私たちを手招いているような、そんな不完全な痕跡であるのかもしれない。そして、それを見る私たちは写真からノスタルジックな過去をどんどん想起することによって、眼前にある写真が固有に残し得る「痕跡」の固有性へ目を向けることはなくなる――ゆえに、写真もまた「『固有』の諸痕跡を抹消する」作用を持つのかもしれない。であれば、写真とはそれ自体においても「死」の装置であるのかもしれない。したがって、写真を撮影する/鑑賞する私たちはこの死を受容する必要がある。

牛腸茂雄《日々》(1967-1970)
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4530.html より

フロイトはかつて「悲哀とメランコリー」にて、私たちが他者の死に直面したさいに、儀式を通しゆっくりと受容するプロセスを「喪の作業」といった[7]。不完全な時間の切断であるだけでなく、それ自体が「死」を強烈に内包する写真という存在のはかなさを受け入れることとはいわば、こうした喪失を受容すること≒喪の作業において完成するだろう。おぼろげながら、私が一眼カメラを買ってから撮影してきた写真の多くがモノクロである理由はここにある。モノクロ写真は「死」のイメージをより直接的に、鮮明的に示しているように見えるのだ。そうした点はきっと、写真というものすべてに共通しているだろう。写真美術館の常設展に入りすぐに出現する牛雄茂雄の作品群《日々》(1967-1970)がすべてモノクロ写真であることは、幼いころに患った胸椎カリエスのため20歳までの命とも言われた彼に帯びている「死」の匂いをも、どこか反映しているのかもしれない。モノクロ写真とはそれ自体が内包する「死」の匂いをより前景化させることによって、同時に写真の存在論を提示している。

エドワード・マイブリッジ《犬。駆ける白い競走犬、マギー》 (1887)
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4530.html より
葛西秀樹《池袋から目白までの風景》(1996)、著者撮影

写真からは「死」の匂いを感じ、そしてモノクロ写真はその「死」を直接訴えかけてくる。そんな前提に立ってみると、美術館に所蔵され「死」に向かう写真家の写真たちがいかにそのシステムから抵抗し、「死」の逆たる「生」に向かおうとしているのかを見ることができ、非常に興味深く思う。かの有名なマイブリッジの連続写真は死としての写真を連続させることで、総体として動きを確保しようとしているのかもしれない。動物の筋肉の動きを把握することが一つの目標として撮影された当時の連続写真たちは、それらが連続することによって一連の意味を生成しており、これは写真が提供する死に対し動きを取り入れることによって意味を生み出している―—もちろん、この総体がまた個別写真を「死」に至らしめているかもしれないが。隣接して設置されている葛西秀樹の《池袋から目白までの風景》(1996)は、マイブリッジにおいて問題視される動きを一枚に凝縮することで、総体としての「死」から抵抗する「動き」を発展させたものだ。シャッターを開いたまま撮影したであろう一枚の風景は、それが動きを保存している点において「死」に対抗する「生」の写真だ。

奈良美智《LA Dog(left) : NY Girl(left)》(2003-2012) 著者撮影

一方で、2枚の写真を組み合わせて提示することによって総体としての「死」をかろうじて回避して受容者に意味の拓きを提示しよとする実践も、写真美術館の中には見られる。奈良美智《LA Dog(left) : NY Girl(left)》(2003-2012)は名前のとおり、左右で異なる写真を組み合わせることで、鑑賞者に無数もの意味の拓きを提供しているだろう。この組み合わせは同時に、意味を固定化させることのない可能性を提供することで、作品が一義的に解釈できないことを私たちに知らしめてくれる。いわば、鑑賞者=解釈を作品内部に入れ込み、作品に無数の可能性を生ませることで、受容者へにわか強制的な形で写真の細部への注目を促している―—もちろん、ここでまた写真が内包する「死」へ私たちが誘われていることは無視できないが。こうした実践において、写真は一方でわずかにもアーカイヴ的「死」の匂いに駆られてはしまうものの、他方で受容者によるじっくりとした視線によって、その「死」から僅かに回避しうる可能性をも帯びているのではないだろうか。生活を連続して配置するこうした視線はまた、どこか「歴史」として記録されてしまった写真たちの連なりによって「歴史的なもの」を少しでも実体化させる方向に足を向けさせているだろう。

2010年にInstagramが登場して以降、写真はスマホを通して簡単に撮影され、そして簡単に共有されるものになってきた。いつでもどこでも、誰でも簡単に撮影ができる経験は今日の私たちに直観的な写真や動画投稿を可能にしてきたが、それは同時に様々な問題を巻き起こしてきたのは、「インスタ映え」を経験したすべての人が知っていることだ。誰しもが簡単に写真を撮影し、そして簡単に編集して好きな自分を表現できる時代。Google PixelのCMで幾度も宣伝される「消しゴム機能」はそんな時代をさらに助長し、もはや写真が写しているものは明確な現実の切り取り=死ではなくなっている時代である[8]。そんな時代において、写真の本質たる「死」に目を向けたうえで、そこからいかに逃避するかの実践として「視線」の力を検討する必要はあるだろう。私たちが本能的に「死」を有する以上、「かつて」「そこに」「あった」姿を記録する写真はどうあがいても「死」から逃げられない。しかしながら、それを受容したうえで写真が「生」を取り戻す方法を、探すことに価値はあるかもしれない。組み合わされる生活写真たちは、そんな生活の連続系の痕跡を私たちに提示し、郷愁ではない現在進行形の「生」を提示するだろうか。これらが根源的には「死」を帯びていることはもはや避けられないが、そこから僅かでも逃避しようとする痕跡を見ることができるのであれば、これらが評価される理由はきっとそこにあるのかもしれない。

浜田涼《201609 明るい部屋》(2016)、その光を反射して写り込む写真を構える私の姿。
写真は写り込む主体としての「私」を取り入れることによって、その価値を新たに生成していく。著者撮影。

上記の写真は浜田涼《201609 明るい部屋》(2016)を記録として撮影した写真だが、そこには図らずも撮影した自分が写り込んでいた。自分が写ってしまっていることは後で確認して気づいたのだが、図らず撮影されたこの写真が持つ「視線」においてこそ、写真が内包する重要な要素があるように思える。写真そのものと、写真に写り込む自分。この相互干渉においてこそ、写真の「死」と直面することができるのではないかと思う。それは静態的な「写真」と直面する動態的受容者による、「死」と「生」との組み変わりだ。これによって、写真はその「死」という絶対的側面を内包しつつも、受容者によって「生」の方向へわずかながらに進むことが可能ではないだろうか。また、そうして交わされる思考においてこそ、スマートフォンで撮影される写真とはまた異なった写真の本質を知るための手がかりとなるのではないだろうか。


[1] https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4274.html (最終閲覧日:2023年5月24日)
[2] 田中純『都市表象分析Ⅰ』INAX出版、2000年、42頁。
[3] 若林幹夫『都市のアレゴリー』INAX出版、1999年、149-150頁。
[4] ジャック・デリダ『アーカイヴの病』福本修訳、法政大学出版局、2010年。
[5] デリダ、前掲書、2010年、15頁。
[6] デリダ、前掲書、2010年、151-152頁(イタリック体の箇所は原文ママ)。
[7] ジークムント・フロイト「悲哀とメランコリー」井村恒郎・小此木啓吾他訳『フロイト著作集6 自我論・不安本能論』人文書院、1970年、137-149頁。
[8] Google Pixel : 消しゴムマジック篇 https://youtu.be/qiv_LCzEluk (最終閲覧日:2023年5月26日)

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