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ボカロP、作曲と批評。広島大学図書館司書。 https://www.ukiyojingu.com/

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    図書館の展示記録

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    都市巡礼、解説文。

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    2000年代インターネットと初音ミクについて

  • 2000字程度の日記シリーズ

    文字数2,000字程度、1日で書ききるエッセイ集

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初音ミクの表皮——ボーカロイドの15年から見る「初音ミク」と「私たち」

(約27,000字) 本企画はobscure.さん主催の、ボーカロイドに情緒を破壊されている人々による企画「#ボカロリスナーアドベントカレンダー2022」の15日に投稿したnoteです。うきよさんはメイン枠に出遅れたので、ゆるめ枠の12月15日に参加しました。私もボーカロイドに情緒を破壊されつくされているので、そんな思いがいっぱいな長文が以下に続きます。休み休み読んでいただければと思います。 はじめに2022年11月17日に紅白歌合戦の出演アーティストが解禁されたとき、そ

    • 「知識のつけ方・書き方」ブックリスト(図書館展示記録: 2)

      (約4,800文字) 知識を身に着ける本を読む本 / M.J.アドラー, C.V.ドーレン [著] ; 外山滋比古, 槇未知子訳. -- 講談社, 1997. -- (講談社学術文庫 ; [1299])読書力 / 齋藤孝著. -- 岩波書店, 2002. -- (岩波新書 ; 新赤版 801). 乱読のセレンディピティ : 思いがけないことを発見するための読書術 / 外山滋比古著. -- 扶桑社, 2014. 私の読書 / 「図書」編集部編. -- 岩波書店, 1983.

      • 3.機械的都市——顕在的中心:『都市巡礼』について

        (約7,000字) 20世紀を代表するモダニズム建築家アルド・ロッシの偉大な著作『都市の建築』の頁をめくると、冒頭すぐの段階で「芸術作品としての都市」という言葉が登場する[1]。彼は都市における象徴的な建築物——のちにロッシが「都市的創成物」というものと芸術作品を比較し、両者は互いに無意識から生成される一方、前者は集団的で後者を個人的であるとして区分した[2]。都市的創成物を無意識の表出=抑圧されたものと解釈する視線は一見精神分析的だが、とはいえ、モーリス・アルヴァックスの

        • 初音ミクの水色——消失点にいる「君」を探して

          (約5,900字) 徹底された構造午前7時40分、出勤時刻の数分前にこの文章を書き始めた。大学に10年近く所属してきた私は晴れてそのまま大学に就職し、少なくとも気が変わらない間は今後30年間に渡って大学に籍を置くことになるだろう。新しく住み始めた東広島市は空がとても高く、星がとてもきれいだ。だがその代わり、大阪や東京で見たような摩天楼は一切ない。それに対しては、どこか物足りない感覚を覚えるのは気のせいではない。 関西で培ってきた人間関係を切ったつもりは一切ないが、とはいえ

        • 固定された記事

        初音ミクの表皮——ボーカロイドの15年から見る「初音ミク」と「私たち」

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        記事

          2.多孔的都市——哲学の終焉:『都市巡礼』について

           (約4,300字)  シャノンとウィーバーによる『情報通信の理論』やノーバート・ウィーナーによる『サイバネティクス』を一つの皮切りに展開されてきた情報科学的なものの見方が[1]、今日の社会でこれほど支配的となるとは誰しも想定しなかったと思う。私たちは一日に一回は必ず手元のスマートフォン上でインターネットにアクセスするだけでなく、都市の景色に溶け込んだデジタルサイネージをはじめとした各種スクリーンを通して、嫌でも情報空間へ強制的に没入させられる。都市部の公共交通機関では個人

          2.多孔的都市——哲学の終焉:『都市巡礼』について

          「広大と芸術」ブックリスト+α(図書館展示記録: 1)

          (約9,000字) 芸術入門・一般書20世紀の美術 : カラー版 / 末永照和 [ほか] 執筆. -- 増補新装. -- 美術出版社, 2013. 現代アートとは何か / 小崎哲哉著. -- 河出書房新社, 2018. 現代アートを殺さないために : ソフトな恐怖政治と表現の自由 / 小崎哲哉著. -- 河出書房新社, 2020. 現代アート10講 / 田中正之編 ; 田中正之 [ほか] 著. -- 武蔵野美術大学出版局, 2017. なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくて

          「広大と芸術」ブックリスト+α(図書館展示記録: 1)

          1.序文——二重のデジタルデトックス:『都市巡礼』について

          (約2,700字)   2016年ごろの大学生だったころに作り始め、翌年から投稿を始めた創作活動は、気づいたら8年以上が経過していた。当時のことはそれほど記憶にもないが、8年が経過した今この時点で当時の言葉を振り返ってみると、なんという意味の軽さに対し、うんざりしてしまうほどだ。当時の私はまだ若かったと思うと同時に、それくらい過去の自分を客観視してしまうほどには、長い年月と経験を経たことを強く感じてしまう。あれから大学院に進み、博士後期課程まで進学はしたが学位は取れず、紆余

          1.序文——二重のデジタルデトックス:『都市巡礼』について

          図書館情報学の専門性に関するノート

          (約5,200字)  マルティン・シュレッティンガーが1808年から1829年にかけて刊行した著作『図書館学全教程試論』を起点に提唱した「図書館学Bibliothekswissenschaft」をルーツにする図書館情報学は[1]、一方で「知識」の解明と組織化を基本的姿勢としつつ、他方で20世紀後半におけるデジタル空間のインフラストラクチャー化に伴う情報技術の過剰な進化への対応のため、その視野を徐々に変容させてきた。1955年にジェイソン・ファーラディンが提唱した「情報学in

          図書館情報学の専門性に関するノート

          遺失物への執着——卒業論文集の巻末言

           多くの人にとって激動の時期だったのだろう論文執筆、或いは学生生活全体の集大成として発行されるこの卒論集の巻末に、ひっそり文章を入れ込む機会を頂けた。すべてを読み終え「あとがき」に至った皆さんは、この文章を見つけてどういう感覚だろう。授業での「本や論文を読む際に『はじめに』と『おわりに』をまず読むと論旨全体の理解がしやすくなる」という私の発言を、皆さんは覚えているだろうか。誰か一人でも記憶されていて、そのうえでこの文章に至ったのであれば、助言者としてこの上ないことである。その

          遺失物への執着——卒業論文集の巻末言

          私達が皮肉なインスタレーションと化す——MUCA展 ICONS of Urban Art 〜バンクシーからカウズまで〜感想

          (約3,300字)  就職活動が本当の意味でひと段落し、来年度から広島の大学で図書館職員をすることになった。日本を代表する大都市とは言え地方にIターンすることになったわけだが、実は自動車免許を何一つ有していない私にとって、免許取得が現在最大の課題となっている。3日前から免許についての情報を収集しつつ、明日以降で諸々の手続きを行う予定だ。いずれにせよ、今日は日曜日なので何もできない。約100日後には京都を離れることだし、せめて京都市内で見られるものを可能な限り見ていこうなんて

          私達が皮肉なインスタレーションと化す——MUCA展 ICONS of Urban Art 〜バンクシーからカウズまで〜感想

          「海辺に揺蕩う言葉たち」への長い導入文、およびこれまでのukiyojinguについて

          (約9,400字) はじめに17時半過ぎに新大阪駅を発車した新幹線は瞬く間に加速し、いつの間にか通路側に座る私からはほとんど視認できないほどのスピードになっている。東京ばななの紙袋を携えた老夫婦が隣に座り、事前に駅で買った弁当を私の隣で食べている。そう言えば、今年は全国中を駆け巡ってきたにも関わらず、いつもケチって高級駅弁は買わなかったなと、ふと思い出した。車内販売で弁当を買って食べるという経験はしたことがないが、もう買うこともないかもしれない。ちょうどこの間、東海道新幹線

          「海辺に揺蕩う言葉たち」への長い導入文、およびこれまでのukiyojinguについて

          魔法と情動に抵抗する——デジタル時代における文学=ソースコードの必要性

          (約5,400字) 情報学と情報科学の交点へ最後にここで文章を書いて公開してから半年くらいは経過しているだろうか。そう思いサイトを開いてみると、最後の更新は5月ごろの写真美術館の感想で止まっている。この間に行なっていた就職活動では散々な目にも合ってきたが、なんだかんだで来年以降の行き先が少なくとも一つは決定したことは安堵したほうがいいのかもしれないとこの時期になって徐々に思うようになってきた。未決定ではあるものの、このまま行くと来年からはメディア芸術関連のキュレーターだ。表

          魔法と情動に抵抗する——デジタル時代における文学=ソースコードの必要性

          写真の「死」に触れる――「TOPコレクション セレンディピティ:日常のなかの予期せぬ素敵な発見」展について

          (約7,300字) 5月21日は、日付が変わった0時時点から動いていた。0時10分に京都駅八条口を出発するバスに乗り、朝7時に東京の秋葉原駅へと降り立つ。何一つ営業していない駅周辺を散策し、山手線と東海道本線を乗り継ぎ秋葉原から神奈川県立文学博物館へ足を運んだ。午後からは文学フリマへ、自身が執筆した原稿が載った本を一冊頂戴しに向かう。今回は早稲田大学ボカロマゾ研究会と、早稲田大学負けヒロイン研究会の二つのサークルの本に寄稿させていただいたが、私が会場から去ろうとする時点で既

          写真の「死」に触れる――「TOPコレクション セレンディピティ:日常のなかの予期せぬ素敵な発見」展について

          1960年代における筆跡の消去は今?——「Re: スタートライン 1963-1970/2023現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係」感想

          (約3,800字)  ついこの間に京都市京セラ美術館に行ったばかりだというのに、また岡崎公園に来ている。先日は京都京セラ美術館に行った後に京都府立美術館に行くことができず、自動ドアが閉まっているところだけを見て帰ったのだが、その帰りに京都国立近代美術館で見かけた「現代美術の動向」という文字列に、ふと興味を持ったのが今日のいきさつだ。先日は京都市京セラ美術館まで自転車で向かったものの、今日はどうしても気が向かずにバスに乗って岡崎に向かおうとする。市バスは京都の繁華街である四条

          1960年代における筆跡の消去は今?——「Re: スタートライン 1963-1970/2023現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係」感想

          過去と未来の接続点=「現在」の表象可能性——「跳躍するつくり手たち:人と自然の未来を見つめるアート、デザイン、テクノロジー」感想

          (約5,000字)  岡崎の5月は例によって人であふれていて、京都市京セラ美術館前にあるバス停では市バス職員とボランティアらしき人が「京都駅に向かわれる方は東山駅から地下鉄を利用してください」と観光客に呼び掛けている。「京都餃子大作戦」なるイベントが開催されていた公園内では園内に子どもの姿も多く、私は自転車を押して公園内をゆっくり歩くことにした。岡崎公園周辺は人が多のはいつものことだが、外国人観光客も戻ってきたこともあってか、徐々にコロナ禍が過去になってきているのだろうかと

          過去と未来の接続点=「現在」の表象可能性——「跳躍するつくり手たち:人と自然の未来を見つめるアート、デザイン、テクノロジー」感想

          不気味な初音ミク——可不や小春六花にない可能性を探して

          (約4,000字) はじめに 3月9日、大学の研究室にHDDを返却してから、大学図書館で京都学派に関する新書を閲覧しようとしたら閉館日だった。私はそそくさと別の大学に足を向けるのだが、そちらも本日は閉館だった。居場所もなく京都市北部を彷徨いつつ、絶妙に遠い距離にある公共図書館に足を向けるのも面倒になった私はついに諦め、家に帰ってきたらもう19時だ。最近は外で活動することも多いだけでなく、花粉も酷いものだ。この時期になると、目を開けることもつらいものだ。そういうこともあってか

          不気味な初音ミク——可不や小春六花にない可能性を探して