[2000字エッセイ#6]こだまに乗って、偶然を発見する
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6月19日。緊急事態宣言が解除される直前の日に、私は新幹線に乗って東京に向かっている。京都から東京に向かうことを「上京」ということに対する納得のいかなさを抱きながら、新幹線は京都駅を出発した。本当は昨日に出発する予定だったが、6月19日と18日を取り違えた私は新幹線の切符を間違って買い、スケジュールが一日ずれてしまった。本来であれば容易に変更はできたはずなのだが、購入した「ぷらっとこだま」のチケットは日程変更ができなかった。どうしてこんなミスをしたのだろう、疲れていたのだろうかと思いながら、そう考えても仕方がないので、6月19日の朝9時に京都を出るこだまに乗り込んだ。列車はにわか雨の中、東京に向かう。
こだまは各駅に停車しながら、少しずつ東京に接近していく。基本的にのぞみを使用していることが多い私にとって、こだまでゆっくり向かうのはおよそ10年ぶりの経験だ。なじみのない、聞いたことのない駅をいくつも停車しながら、途中多くののぞみとひかりに追い抜かされていく経験は、中学生だったころに乗った新幹線の記憶を私から引っ張り出してくる。大寒波でポイントが凍って、新幹線車内で数時間も閉じ込められた。大変な思いもしたが、めったに乗れない新幹線の車窓からすれ違う500系をはじめとした新幹線を眺めている時間は、とても楽しかったと記憶している。
はじめて新幹線に乗ったのはさらに昔、私の誕生日に父親に乗せてもらったときだった。鉄道が大好きだった小さい頃の自分にとって、新幹線は憧れだった。乗れることの期待を胸に抱いて乗車したのだが、特に指定席をとっているわけでもなく、私が年末生まれがために大晦日の帰省ラッシュとも見事に衝突し、混雑極まる車内のデッキから車窓を眺めることで精いっぱいだった。あれからおよそ20年、自由席にすら座れなかった私はこだまの指定席券を手に、新幹線の座席に座っている。
そろそろ静岡県だろうか、聞いたことのない駅で何度も停車し、通過待ちする。東京・京都間という長距離を新幹線で初めて乗った10年前、長い時間をかける新幹線の移動で私は自分の地理的現在地がどこにいるか、分からずにいた。だが、当時は自分がどこにいるか分からなくとも、両親が必ず降りる駅を教えてくれた。両親についていけばおのずと目的地に到着できた。小学校の修学旅行で広島に向かった際も、必ず学校の先生に降りる駅を何度も伝えられた。現在、どこかわからない場所の駅で通過待ちをするこだまにいる私の周りに、降りる駅を伝えてくれる人はいない。終点まで降りる必要もない私に現在地の把握は決して必要ないが、一度東京駅に降り立ったらその後、自分で道を探さないといけない。いわば「引率」がいなくなった私は、どこに連れていかれるかをわからない不安にかられながら、自分で自分を引率しないといけない。
しかし、私が私の身体を自由に引率できることは、決して悪いことだけではないだろう。自らで自らを引率しなければいけない自分は、他者に誘導されないゆえの多くの発見をすることができる。京都駅の電光掲示板を見たとき、先発ののぞみと自発のこだまとの間にある無数もの停車駅の差に、私は驚愕した。のぞみにはあるはずの車内販売がこだまにはなかったことに、若干がっかりもした。名古屋あたりでは車掌の声がかわり、男声から女声になった。ぷらっとこだまの利用者が集中して配置された新幹線の11号車には、人は少ないものの様々な人が乗り降りしていた。私の座った席の隣に誰かが来ることはなかったが、知らないうちに後ろに人がいて、そしていなくなっていた。こうしたさまざまな人の行き来は、スーツをまとったビジネスマンがキーボードをたたく音で充満するのぞみにはない、こだま特有の空気かもしれない。誰かの引率で旅をする場合、そのような偶然に、私は目を向けられただろうか。引率されないことによる不安感を抱えながらも、こうした「不安」と「偶然の発見」こそ、私に新しい発見を提供してくれる貴重な要素だ。
浜松駅を出発したこだまは、アナウンスを聞き逃してしまったのか、あるいはいつもそうなのか、次の停車駅案内が聞こえてなかった。ここかどこかわからない感覚に陥りながら、こだまは東京に向かう。人の行き来が制限され、オンライン会議をはじめあらゆるものが情報空間に実装される中、新幹線で移動して対面で話すといった機会も確実に減少した。あるいはそれ以前から、特に東海道新幹線はスピーディかつ効率よく、大量のビジネス客を運ぶことに力を注いできた。すべての車両がN700系で統一され、かつ多くの列車がのぞみとなった今の東海道新幹線には、500系は私の記憶の中にしかない。そんな中、こだまでの旅は、効率化とは真逆な、アナログなものだ。しかし、そこには効率化によって切り捨てられてきた、無数の偶然がある。私は自分の身体を引率しながら、記憶を想起しつつ、無数もの偶然を見つけているのだ。
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