神社の境内でのだまし合い
幼少のころ、よく八幡神社の縁日に連れて行ってもらった。
そこでは、「金魚すくい」ならぬ、「カメすくい」というのがあって、文字通り、小さなミドリガメをすくうことができるのだけど、これがめちゃくちゃ難しい。
すくう道具の持ち手は針金でできていて、二股に分かれた先に、お椀型のモナカがついている。ところが、カメをすくおうとするとモナカがすぐにシナシナに破けてしまう。
店のおっちゃんが、
「ほれ、こうやってやるんだよ。簡単だろ。」
と見本を見せてくれて、なるほど、確かにおっちゃんは何匹何匹も簡単に捕まえる。
それをみて、僕ら子供たちは一生懸命マネをするんだけど、どうしてもうまく捕まえられない。
「どうしてなんだろう」
と僕は考えて、じっくりとおっちゃんの捕まえ方を見る。そして、よーく、よーく観察する。そして、ついに気がついた。
おっちゃんが使う針金と、僕らに渡された針金のカタチが違っていた。
そう、すくい方じゃなくて、道具が違っていたんだ。
なんだ、インチキじゃん!
まあ、いいや。もともとカメはそこまで好きじゃなかったし、そもそも持って帰ってもお母さんに怒られるだろうし。
*****
そう強がって、僕は、大好きなスーパーボールすくいをすることにした。そして、カメすくいの教訓を得て、道具をよく観察することにした。
スーパーボールすくいの道具も、お椀型のモナカですくう。そのモナカは、針金じゃなくて、割り箸の持ち手の先にくっついている洗濯ばさみに挟まれている。
「スーパーボールすくい、1回ね。はいよ~」
と道具を渡される。
う~む、どうも、洗濯ばさみの位置が悪い。
モナカのヘリを洗濯ばさみでちょこんとつまんでいるだけ。これじゃあ、スーパーボールをモナカに乗せたら、重みですぐにモナカが破けてしまう。
やっぱり、インチキじゃん!
そこで、僕は、店のおっちゃんに気づかれないように、手元で洗濯ばさみの位置をすばやく変えることにした。モナカの重心に向かって、洗濯ばさみでガッチリとモナカをつかむ。
そしたら、とれるとれる。狙っていたキラキラのスーパーボールも、ラグビーボール型のスーパーボールもしっかりとれた。
調子に乗っていると、
「ダメだよ、位置変えちゃあ」
と、おっちゃんにバレた。
「次から、インチキしちゃだめだぞ」
と諭されて、僕は、そっちだってインチキじゃんと思ったけれど、すくったスーパーボールはくれたから、まあ、いいかと思った。
*****
でも、そんな、店のおっちゃんといたずらっ子のやりとりも、まわりの大人たちは微笑ましく見守っていたわけで、
その後もファミコンがほしくて引いた「くじ引き」も、ラジコンを釣りたくてひもを引っ張った「宝釣り」も、あれは当たらないんだと子どもながらに気づいていき、世の中そんなにうまい話はないことを悟った。
多くのハズレと失敗を経験し、悔しい気持ちと折り合いをつけるすべを学んでいった。
子どもの僕は本気だったけれど、大人たちは、すべてをわかった上で楽しんでいたんだ。神社の境内で繰り広げられるグレーゾーンのだまし合いは、それはそれで勉強になった。
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