28歳になったばかりの僕が新海誠の「すずめの戸締まり」について語りたい。

「28も27もそんな変わらんよ。」

おそらく、阪神の監督に復帰した岡田監督ならこんな感じなことを言うだろう。
そう実際になにも変わらない。

25歳の自分はこれが人生のどこか節目だと思ってた。ここで恋人を作らなきゃ、運命なんて甘い言葉を信じなきゃとか、転職するなら今しかない。絶対もっと休みの多くて給料がよくて、人生をよりよくするなら今しかない。
という、妄想だ。

実際に歳を重ねていくうちに、自分は家も職もコミニティも大した変化もなく。未だに阪神タイガースのファンのままでいる。
人はそんな簡単に変わりゃしない、世界の方が簡単に変わっていくから。

2019年夏 当時25歳だった自分は「天気の子」を鑑賞後、深い感動を覚えていた。と同時に新海作品の今後の行く末は、次の作品にかかってくると感じていた。

「君の名は。」の大ヒットでアニメ映画は金になるとわかった偉い人たちは、兎にも角にも乱発してアニメ映画を作りまくり、当時の人気アーティストをタイアップにこれでもかと「君の名は。」ぽい作品を作りコケ続けた。

「天気の子」は一般的な評価はやや落とした中で、拗れた人間(いわゆる僕)にはやたらと突き刺さり、新海誠はやっぱ最高だぜと心の中で絶賛しながらグランドエスケープを聴いて大泣きした。

「天気の子」で描いたのはエヴァンゲリオン(そしてエヴァ自身も庵野と共に呪いからの解放を去年選んだ)から続く日本アニメセカイ系の呪いを終わらせるという世界と君なら、君を選ぶ。それが愛で、それで大丈夫という。「君の名は。」のヒットで無難エンタメの道に走ることもなく三葉と瀧君まで巻き込んで、東京水没を選んだこの作品を見て、おそらく3部作構成で、次作にもチラッと彼ら彼女らは登場するようなそんな期待感をぶった斬ったのが

新海誠 最高傑作という評される
3年ぶりの新作映画

「すずめの戸締まり」 ネタバレ注意

果たして、この映画。
本当に最高傑作だっただろうか?
おそらく違う。

エンタメ度は「君の名は。」には遠く及ばないし、瞬間最大風速は「天気の子」にも敵わない。

瀧君が三葉の命を救おうとしたように、帆高が世界よりも陽菜を選んだように、そこには、明確な何かがあった。
運命の向こう側、両作品ともに共通するテーマでフィクションでしか描けない領域。物語だからできる選択。それが親指と人差し指で運命の相手と出会うこの現代日本に突き刺さる。
それが新海誠作品の良さでもあり恥ずかしさでもある。
RADWIMPSと共に思春期を走り抜けている僕ら世代。
大谷翔平と同じ歳で羽生結弦と同じ歳。そんな人間ばかりじゃなくて、朝6時には電車の中で白目を剥きながら通勤して働いてるのが、僕らなのだ。
世界と戦うどころが、スマホゲームをしながらハラスメントにならない領域で嫌味をいう上司とのコミニケーションを終えれば、いつのまにか消えていなくなりそう後輩たちに囲まれ、知らぬ間にポジションはそこそこ上のほうになってるのが、この大谷羽生結弦世代の我々。
3年前はまだ、瀧君も帆高の気持ちもRADWIMPSの歌もキュンですできたのに、寝てる間に感染病は蔓延して、戦争が起きてるんだから、自分よりもアポカリプスな世界の心配をしてしまう。

こんな僕たちに新海誠の新作が立ちはだかる。

そう、僕たちは変わらずにいた。
と思っていただけで、新海誠もそして僕たちもRADWIMPSすら変わってしまったのだ。

たったの3年で世界の形が大きく変わってしまったように、エンタメの在り方もまた大きく変わってしまった。
歌うことを許されなくなったアーティスト。撮影も進まない映画。そしてそれを摂取することを封じられた僕たち。
かつて、雨が降っていた空が晴れるだけで笑顔になれた僕らはもういない。
どこかの国で地震が起きても、僕らの住む日本で地震が起きても、それすらもまたかと受け入れてしまう時代。

そんな全ての人間に、新海誠はこの作品を作ったのかもしれない。

生きねば。

宮崎駿のジブリ引退作であり、今までのテイストと大きく変わった「風立ちぬ」と同じ。
どんな困難も、どんな運命でも、人は生きて生き抜くことでしか、前には進めない。
生きている権利がある以上、生きるしかない。

「天気の子」が公開される少し前に、京都アニメーションが放火される事件があった。
何人ものクリエイターが唐突に命を奪われる。
「すずめの戸締まり」が公開する前にも、コロナ、ウクライナとロシアの戦争、そして安倍晋三元総理の暗殺。当たり前だったような日常がどんどんと壊され、命はあっさりと消えていった。

そうだよな、もう10年以上前。
ひっくり返った家の中を写メで撮って生きてるとメールが来た、宮城に引っ越した幼馴染を思い出す。
学校は水浸しだし、知り合いも死んだってサラッと言っていた彼とは、もう何年も連絡も取ってないし、いつのまにかLINEから名前も消えてしまった。

人は忘れてしまうのだ。どうやって生きていたのかすらも。

思えば、母親がホステスだった自分は、夜になると孤独で、いつからか幼馴染が毎日遊びにくるようになった。
どうしようもなく寂しい夜は、いつのまにか終わり告げて、なんとなく生きていたけれど、これもまた忘れてしまう。

人は自然とどこか心に戸締まりをして、前に進んでいる。
行ってきますと言ったあの日から、もう何度も逃げ出したくても、前に進んでいたのだ。

「君の名は。」のようなワクワクも「天気の子」甘酸っぱさも薄れた今作。
2作品とも、9回裏ツーアウト満塁で4番RADWIMPSがコールされれば、結果は逆転サヨナラ満塁ホームランだった。
そんなRADも、今作ではベンチ入りのような存在感。
川村元気は愛も変わらず、センス抜群で「すずめの戸締まり」というタイトルを考えたのは、Mr.Childrenのinnocent worldのイントロを考えた田原さん並みの大仕事。相変わらずのプロモーションだけど、2作品ともに漂ってたコテコテしてくる元気さは薄れたような気もした。

本来、新海誠という監督の作品は「すずめの戸締まり」のような、なんとも言えないけど、いい作品だよねというのがあの人らしい作品なんだろう。
ある意味、鈴芽と共に、新海誠が帰ってきたのかもしれない。
自分の中では、すこし惜しいと感じる。のは前作、前々作が、惜しさを感じさせないぐらいカロリー濃ゆい味付けだったからだ。

残念なポイントは言い出すとキリがない。
何故、イケメンを椅子にしちゃったのかとか、(面白いけど、イケメン時間短すぎて、いっそ椅子のときの方が好き。でもジャニーズを椅子にしちゃうのはやっぱ好き)
どうして世界観をここで一新したのか、瀧君と三葉は東京で沈んだらままだ。(帆高と陽菜ちゃんは出さなくても、ちょっと雨からに晴れに変わるシーン入れたりしてさ)
その上で神木隆之介をもう一度使う謎采配。(神木隆之介演技うますぎて、誰かわかんなかったよエンディングまで、エヴァといいいい仕事しすぎ)
せめて成田凌にしてくれよと思う。
ロードムービーにしたなら、チラッと三葉に「走れー」の一言言わせるぐらいの登場と瀧君に「ちょっと思い出したの昔のこと」ぐらい言わせたら、もっとこう響いた気もする。(結局、世界観が共通にして、しっかりあの世界観を戸締まりして欲しかったのが本音)
災害を未然に防ぐための閉じ師というアイデアを活かせば、もっと集大成ぽくできたような気もする。(震災をテーマにしたのはいいけど、どうせなら、今までの災害、隕石、洪水も閉じ師案件で良かった気もする)
そしてなにより、物凄く作品として良い子ちゃんに収まってしまったところ。
これが何より勿体ない。普通なのだ。まるで新海誠を真似て作っていた、もう忘れてしまった「君の名は」もどきのアニメたちのような、そんな感覚。

去年、物議を醸した、某監督の某TV局のポスト宮崎の某映画は、見終わった後に3時間ほど、文句をいうぐらい酷い映画だったが、なんなら、こっちの方が素直に文句が言えるから、まだ作品として何かしらのパンチはあったのかもしれない。

まぁどっちが面白かったかっていうと、もちろん「すずめの戸締まり」だけど。

さて、さて、長く無駄に長く語ったけど、この映画は、コナンの映画を見に行ったら予告で、二宮和也酒宴、波瑠がヒロインでメインかと思ったら回想シーンにしか出てこない有村架純と何故か映画には出てこないけど主題歌菅田将暉のような、隣で見てた彼女がこれ見たいかもと言っちゃうような、なんとも言えない無難さ。うんYahooレビュー3.7ってとこかなという。映画。

例えば同じような評価どころでも、星1と星5のオンパレードで3.7ぐらいになるような映画でもないというのが、なんともなんともなところで、悪くない。良かったし面白かった。と、でも味付けは薄め。の普通の良作なので、映画館に行って見ても後悔はしません。

いうなれば傑作じゃない大長編ドラえもん以上で、傑作だったときのコナン映画より下ぐらいの作品なので、まぁコナンを見るときぐらいの気持ちでいけば、いい。
ある意味新海誠作品はもう国民的娯楽映画として、抜群の安定感を持っていることを証明した作品でした。

抜群に良かった部分は、鈴芽の靴下が血が付いてた部分。
ああいうところで、女の子から女性の変化をつけていくところ、それを3日ほどの時間軸の映画で明確な成長として説得つけれるシーンをサラッと入れるあたり。やっぱり凄い監督だなと思う。

僕らも新海誠もRADWIMPSもみんな前に進んでいる。
悲しいことも受け入れて、だからまぁ生きようぜ。この世界を。
という珍しく、愛や運命の向こう側よりも、ちょっと現実にチクッと刺さる良き映画でした。

ちなみに

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする
RADWIMPS スパークル
もう少しで運命の向こう もう少しで文明の向こう
もう少しで運命の向こう もう少しで

夢に僕らで帆を張って 来るべき日のために夜を越え
いざ期待だけ満タンで あとはどうにかなるさと 肩を組んだ
RADWIMPS  グランドエスケープ feat. 三浦透子


という感じで見てみると、今作のRADWIMPSが伝えたいことは

何万年後の地球が何色でももういい
まだ誰も知らない顔で 笑う僕を君は
RADWIMPS カナタハルカ

な気がする。1つの諦めの到達点。
それは、今まで、運命の向こう側すら求めて、それ以上の言葉が人類に存在しないところの先を描いてきた、新海誠とRADWIMPSのゴール。

それが「すずめの戸締まり」
そして新しい始まり。

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