【翻訳】ユリ・ゲラー対ユンゲラー:消えたポケモンカードの謎
昨年11月末、ユリ・ゲラーの突然のツイートにより、ポケモンカード界隈にどよめきが起こりました。ユンゲラー、カード化解禁。
そのツイート前後については前回記事で翻訳し、まとめましたが、いわゆるユンゲラー裁判そのものついては、多くの方が、まとめサイトやまとめ動画などで、断片的ながらも経緯や結末に触れたのではと思います。
今回の翻訳は、このユンゲラー裁判に関する記事の決定版といわれる海外記事の全文訳です。
Motherboard/VICEというメディアのドイツ語版に2018年に掲載されたこの記事は、ユリ・ゲラーおよび弁護士へのインタビュー、また当時の裁判記録文書にまで触れた非常に詳細かつ長大な記事で、現在日本語で読めるユリゲラー裁判情報の多くが、直接的または間接的に、この記事を元にしています。
とはいえ原文はドイツ語のため、いままで日本語訳がありませんでした。翻訳にはけっこうな時間がかかりましたが、ユンゲラー裁判に関する情報の決定版として、あるいはポケカの歴史のいちエピソードとして、ぜひお読みいただければと思います。
いつも通り、誤訳の責任はすべて僕うきにんに属します。
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https://www.vice.com/de/article/pa947m/uri-gellers-kampf-gegen-pokemon-kadabra-nintendo
Uri Geller vs. Kadabra: The bizarre story behind the missing Pokemon card
10.19, 2018
ポケモンカードからユンゲラーはなぜ消えたのか。ポケモンファンは長年に渡り、その理由について頭を悩ませてきた。ユリ・ゲラーによる訴訟が恐らくその背景ではないか。Motherboardは過去の裁判記録を探し、また超能力者本人にも話を聞いた。
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ユンゲラーはなぜ消えたのか。これまでポケモンファンは、この愛すべきエスパーポケモンに何が起こったのか、考えを巡らせてきた。ビデオゲームには繰り返し登場しているものの、およそ15年もの間、この人気カードゲームからは姿を消しているのだ。目下ユンゲラーのカードは製作されていない。そしてまた、ユンゲラーが最後にテレビアニメに登場したのも、12年も前のことだ。
なぜユンゲラーはこのような目に遭っているのだろうか? 誰のせいで姿を消しているのだろうか? 多くのファンにとって、答えは明白だった。イスラエル人の、世界的に知られたスプーン曲げ超能力者、ユリ・ゲラーだ。
このポケモン都市伝説をめぐっては、複数のジャーナリストやポケモンファンたちが、検証動画や記事の形で、その背後のストーリーを解明しようと繰り返し試みてきた。これまでのところは、十分な情報がないために、その試みは上手くいっていないように思える。当時の記事には、ユリ・ゲラーと任天堂の間の訴訟について記載があるものの、それがどのように終結し、現在のユリ・ゲラーがどう考えているかについては、情報がないのが現状である。
だがMotherboardは当時の裁判記録を発見し、またユリ・ゲラー本人と、当時の弁護士から、当時の事情について話を聞くことに成功した。私たちはまた10月10日から、任天堂と株式会社ポケモンに対しても、広報室に宛てたメールと電話を通じて、本件について問い合わせを続けている。彼らの側から見た本件の事情や裁判の経過、また裁判以外での何らかの決着がなかったのかを知るためである。だが現在のところ、任天堂、株式会社ポケモン、ともに回答はない。
だが裁判記録から得た情報と、当時この件に関わった人々との会話により、このポケモンに関する物語をある程度まで再構成することができた。そしてまた、ユンゲラーが戻ってくる希望についても。
ユリ・ゲラー、自身に似たポケモンを発見する
世紀の変わり目を間近に控えたある時、ユリ・ゲラーは、東京に存在する「ゲラー」は自分だけではないのだと気がついた。1999年、東京でクリスマスのショッピングを楽しんでいたユリ・ゲラーが発見したもう一人の「ゲラー」は、ポケモンだった。彼が見つけたポケモンのカードには、奇妙な生物が描かれていた。黄色い身体、伸び放題のあごひげ、強烈な目つき、そして手には、曲がったスプーン。それは、ポケモンのKadabraだった。
だがカード名の日本語のカタカナは"Kadabra"という綴りではなかった。そのカード名は、どこかユリ・ゲラーの名前に似ていた。ユンゲラー。彼が決心したのはその時だった。手遅れになる前に、ポケモンと戦わなければならない。世界一有名な「ゲラー」の座を、このポケモンに奪われる前に。
これまでのファンタジー上のキャラクターで、これほどまで急速に人気となり、また文化的な影響力持つようになったものは、ポケモン以外にはほぼ存在しない。1996年に、バトルもする可愛いモンスターたちが2本のゲームボーイソフトとして世に出てからは、どんなポップカルチャーもオタク文化も、ポケモンを抜きにしては語ることができなくなった。1996年からの市場規模は累計700億ユーロにも及び、そのメディア影響力は、ハローキティよりも、くまのプーさんよりも、そして『スター・ウォーズ』よりも強い。
このメディア帝国の中においては、これまで、ポケモンのゲーム、アニメ、カードゲーム、そしておもちゃにまつわる、数多くの都市伝説が誕生してきた。てんかんの発作を誘発するアニメエピソード、自殺を唆すような奇妙な音楽などだ。
それらの都市伝説は、その多くが解明されている。例えば自殺音楽などは、ファンの創作に過ぎなかった。だが今日に至っても、ポケモンファンが気になって仕方がない謎がある。ユリ・ゲラー対ポケモンのバトルだ。
「当時はとても腹が立っていた」。あれから20年が経ち、現在71歳になったユリ・ゲラーは、Motherboardのインタビューに答えた。空港で、アメリカのラジオ局から電話が来るのを待っている間、彼は私たちとの電話に応じてくれた。私たちの編集者がユリ・ゲラーにインタビューの依頼をすると、「この番号にかけてくれ」というメールが本人から返ってきたのだった。
「あまりに腹が立っていたのだ、任天堂を訴えるほどに」と、ユリ・ゲラーは空港で答えた。
エスパーポケモンユンゲラーと、ユリ・ゲラーとの関連性
ユリ・ゲラーは言う。ドイツ語と英語で"Kadabra"という名のポケモンのカードを見たのは、1999年だった。曲がったスプーンを持ち、念力攻撃で敵を倒す「サイコ」ポケモン、ユンゲラーは、初代のポケモンのビデオゲームから存在していた。
だがユリ・ゲラーがそれに気がついたのは、ポケモンブームがカードゲームのおかげでもう一段階上の盛り上がりを見せた、ちょうど世紀の変わり目の直前の頃だった。このスプーンの類似は明らかだった。ユリ・ゲラーこそ、カメラが回っている目の前で、自身の念力のみを使ってスプーンを曲げることで世界的スターになった人間である。だが彼を悩ませたのは、スプーンを持つエスパーポケモンの外見ではなかった。それは名前だった。
すべてのポケモンは、日本語でそれぞれ別々の名前を持ってる。ユンゲラーも例外ではない。日本語では、このポケモンは"Yungerer"あるいは"Un-Geller"と発音すべきだろう。
だがここで興味深いのは、文字の綴りの方である。このポケモンの日本語の綴り(ユンゲラー)は、Uri Geller=ユリ・ゲラーの日本語の綴りと非常によく似ている。この点は、YouTuberのクリス・チャップマンが、本件の事実のうちの公然となっている背景を入念に検証した動画の中で、詳しく説明している。
チャップマンは論じている。この言葉遊びは、偶然の一致の結果ではない。このポケモンの進化ラインも、実在の人物の日本語名での言葉遊びなのである。このポケモンの最終形態はドイツ語では"Simsala"というが、日本語では「フーディン」という。この名前は、脱出トリックで世界的に有名だったステージマジシャン、ハリー・フーディーニと瓜二つである。
「任天堂は私を、邪悪で、オカルト的な姿に変えてしまった」。2000年11月の記事で、ロサンゼルス・タイムズ紙は、ユリ・ゲラーのそのようなコメントを掲載している。「任天堂は、私の名前と、私の代名詞である曲がったスプーンを奪うことで、私のアイデンティティを奪ったのである」
だがポケモンの名前における著名人からの借用は、そう珍しいわけではない。有名人に基づいた名前をつけられたのは、ユンゲラーだけではないのである。
最も知られた例は、格闘タイプの2体のポケモン、サワムラー="Kicklee"とエビワラー="Nockchan"だろう。これらの名前は明確に、格闘家であり映画俳優であった、ブルース・リー(Bruce Lee)とジャッキー・チェン(Jackie Chan)から採られている。
そしてファンwikiであるBulbapediaによると、日本語名も、たとえばエビワラーは、日本人ボクサーの海老原博幸から採られている。とはいえ、当のボクサーの親族が裁判を起こしたという話はないようである。
ロサンゼルス・タイムズ紙によると、ユリ・ゲラーと弁護士がとりわけ問題視したのは、特定の「邪悪な」ユンゲラーだった。そしてまたこのポケモン自体にも、反ユダヤ主義的な部分がありそうだ、と当の短い記事は書いている。このモンスターの頭部には星印が描かれ、腹部には蛇のような模様が刻まれているが、これはナチス親衛隊(SS)の紋章を意味するものだ、とユリ・ゲラーと弁護士は記事中で語っている。
だがこの非難は、相当な想像力を働かせなければ口にはできない。頭部の星のマークはダビデの星とは似ても似つかず、また腹部の蛇のような模様は、ナチス親衛隊の紋章とは異なった形をしている。ポケモンファンたちはこのユリ・ゲラーの告発を、ブログやウェブサイトで幾度となく茶化している。
だがユリ・ゲラーは、問題を別の形で語ってくれた。「任天堂は私に何も聞いてこなかったのだ」。Motherboardとのインタビューで、彼はこのように答えた。「ただ問い合わせをくれたらよかったのだ。そうしたなら私も、"いいとも、もちろんだ"と答えただろう。だが、誰からも事前の問い合わせはなかったのだ」
ユリ・ゲラーはユンゲラーへの告発からいかにネタにされるようになったか
ケーシィ、ユンゲラー、フーディンは、初代ポケモンの151匹の中では、比較的知名度のあるポケモンである。『ポケモン赤/青』のプレイヤーのほとんどにとって、ケーシィは、最初に遭遇するエスパーポケモンであるはずだ[訳注:海外では緑版ではなく赤と青が同時発売された]。当時のファンの間では、エスパーはとりわけ強力なタイプだと考えられていた。これを証明するために、複雑なダメージ計算に基づいた長大なYouTube動画が作られたりもしている。
だがエスパーポケモンの強さにも、対価はある。捕まえるのが難しいのだ。ケーシィは、危険を感知するや否や、バトルからテレポートで離脱する。ケーシィをうまくゲットできた者は、進化後のユンゲラーやフーディンという、ゲームで最も強力なモンスターのうちの一匹という形でその対価を得られるのだ。ユンゲラーやフーディンは、サイコキネシスやサイケこうせんといった攻撃により、敵を片っ端から吹き飛ばすことができるのだ。
そしてこの世界的に有名な超能力者は、当時すでにファンから愛されていたこのポケモンを相手に、自身との類似点が多すぎるという理由により、非難を始めたのである。中には、ユリ・ゲラーのこの申し立ては、自身を再び話題に上らせるための回りくどい試みなのだろうと言う者もいた。例えば当時のとある記事は、この件で批評の槍玉に上がっているのは、任天堂でもユンゲラーでもなく、ユリ・ゲラー本人である、と伝えている。
ゲーム雑誌IGNは、ユリ・ゲラーの申し立てに対し、彼を「まさに奇怪である」と断じた上で、このエスパーポケモンとユリ・ゲラーに関してこのような皮肉の言葉を載せている。「本当に、驚くほどよく似ている」。
また任天堂も明らかに、ユリ・ゲラーを少し茶化した言い方をしている。「ユリ・ゲラー氏の名前にちなんだポケモンが生まれるほど、日本で氏のファンが多いとは思えない」と、任天堂の広報担当者は、イギリスのガーディアン紙に対し、当時の中では本件について最も詳細に書かれた記事の中で答えている。
だがユリ・ゲラーの名は、ドイツやアメリカや、他の国々のみならず、日本でもよく知られていたのだ。また彼には、日本との特別な関係もあった。「一年間、日本に住んでいたこともある」と彼はMotherboardのインタビューに答えた。「その時の私は、自分探しの旅をしていた。何も構わず、ひたすらに節操のない旅だ。そんな時、ジョン・レノンが私に言ったのだ。日本で、自分自身の霊的な力を探求しに行くといい、と」。
70年代後半、ユリ・ゲラーは家族と共に日本に移った。世間から隔絶された、人里離れた森の中に住んでいたのだという。だが当時の彼の姿は、日本のテレビ番組で見ることができる。
「日本では、私は1973年から知られていたのだ。日本で私の名前を聞かない週はないほどだ」と、彼は電話で答えてくれた。日本のメディアでユリ・ゲラーの名前が登場すると、彼のGoogle Alertの通知が鳴るのだ。
当時の彼は、周囲からの軽蔑的なコメントにも、自分の意思を曲げることはなかった。1999年のユリ・ゲラーは、任天堂が名前とトレードマークを奪い、彼を許可なくおぞましい化け物へと仕立て上げたと信じて疑わなかった。彼は任天堂を相手に訴訟を起こした。ガーディアン紙によると、賠償金の請求額は1億ドルと伝えられている。
ユリ・ゲラー、ポケモンの権利保有者に戦いを起こす
今となっては、ユリ・ゲラーは、1億ドルの賠償請求のことは覚えていないという。「毎日本当にいろんなことが起こるんだ」と彼は電話越しに答えた。例えば現在は、イスラエルのヤッフォにオープン予定のユリ・ゲラー博物館にかかりきりなのだという。そこでは「世界一大きな曲がったスプーン」が展示される予定だそうだ。「裁判絡みのことは思い出せないんだよ」とユリ・ゲラーは言う。
1999年の時点では、ユリ・ゲラーは、任天堂に対して日本で訴訟を起こし、喜田村洋一弁護士が裁判の準備をしているとガーディアン紙に語っていた。私たちは日本での裁判に関する文章を探し回ったが、私たちも、日本にいる私たちVICEのスタッフも、見つけることができなかった。また喜田村弁護士のコンタクト先も、ネット上には見当たらなかった。
だが裁判はあった。それはしかし、アメリカにおいてである。ユリ・ゲラーと、彼の弁護士であったジェフリー・C・ブリッグスは、ロサンゼルスのカリフォルニア連邦裁判所にて訴訟を起こした。Motherboardは、2001年から2003年にかけての、その裁判記録文書を入手することができた。
裁判記録によると、ユリ・ゲラーの懸念はいくつかの点に渡っていたことがわかる。任天堂は、彼の名前とイメージを意図的に借用することで、彼のプライバシーを侵害している。そして任天堂は、彼の「ブランド」を毀損しようとしている。この背後には、このスプーンポケモンが、スプーン曲げ師ユリ・ゲラーと一方的に競合してしまうのではという恐怖があるように思える。
ユリ・ゲラーは、リヒテンシュタインに拠点を置くSambracal社と共同で訴訟を起こしている。裁判記録によれば、この会社はユリ・ゲラーを従業員として登録しており、彼の名前とイメージに関する権利を保有していた。裁判は、2001年に、任天堂と、Nintendo of America社を相手取って行われた。だがこの裁判は、ユリ・ゲラーにとっては失望する展開となった。
「本件には、64という番号が振られた日本のポケモンのカードが関与している」。2001年8月17日付の裁判記録において、争点が初めて述べられている。「カード上のキャラクター名は日本語のカタカナで書かれており、それはユリ・ゲラーの名前と非常によく似ている。名前の類似性および、曲がったスプーンを持った姿により、この訴訟は提起された」
なぜ裁判官は、ユンゲラーとユリ・ゲラーが似ていると断定しなかったのか
だがこの「非常によく」のところは、裁判において争われることはなかった。争点は他の箇所となった。すなわちユリ・ゲラーの市民籍(州籍)である。当時のカリフォルニアの法律においては、訴訟の上では市民籍が極めて重要だったのである。
訴訟のため、ユリ・ゲラーはカリフォルニアでの人格権を求めたが、これは非常に困難だった。なぜなら裁判記録によれば、「ユリ・ゲラーはイスラエルとイギリスに居住しており、同等のプライバシー権が当地でも存在するかを裁判所は判断しなければならないが、そのような権利は存在しない」。裁判所は任天堂の主張を認めた。裁判の一要素であった、ユリ・ゲラーの人格権に関しては、2001年8月16日に訴えが棄却されている。
「これにより、訴訟の残りの部分も極めて困難なものとなった」。ユリ・ゲラーの当時の弁護士であったジェフリー・C・ブリッグスは、Motherboardへのメールで、当時の出来事を認めつつそのように語った。だが当時のユリ・ゲラーと弁護士は、そこでは諦めなかった。そこからさらに2年近くも法廷闘争は続いたのである。
彼らが解決したかったのは、以下の点であった。このポケモンはユリ・ゲラーの商標権を侵害しているか? つまりユンゲラーの存在によって人々は、「ゲラー」と聞けば、イスラエル人のスプーン曲げ師よりもエスパーポケモンを思い浮かべるようになるか? 問題をややこしくしているのは、まさにこの点であった。
誰がユンゲラーのカードの責任を取れるのか
ユンゲラー問題の責任が誰にあるのかを明確にするのは簡単なことではなかった。ポケモンのビデオゲームを販売しているのは、もちろん任天堂である。だが今回の争点となっているポケモンカードに関しては、日米の複数の会社が流通網を形成しているのだ。
「日本語のポケモンカードの輸入、製造、販売にNintendo of America社が関与しているという十分な証拠は、存在しない」という判断が、2002年11月にフローレンス=マリー・クーパー裁判官によって下されている。なぜ任天堂を訴えているのか、その理由をユリ・ゲラーとブリッグス弁護士が述べたことに対してであった。
例えば、日本語のポケモンカードを扱った雑誌は存在する。例えば、eBayオークションで、日本国外でもカードは手に入る。だが裁判所の判断は以下の通りであった。日本語カードのほとんどは日本で販売されている。そのため、ユリ・ゲラーの賠償請求は無効と判断せざるを得ない。なぜならポケモンがユリ・ゲラーの名誉等を傷つけたかを判断するには日本の商標法を参照しなければならないが、ユリ・ゲラーは、日本では商標登録を行っていない。
「賠償請求のためには、ユリ・ゲラーは、日本の法律下においても、自身のブランドが十分に認知されていると証明しなければならない」と裁判記録には記されている。ユリ・ゲラーは世界的な有名人であるが、裁判所はそうは見なさなかったようだ。
ユリ・ゲラーはユンゲラーとの戦いに敗れた。裁判所は任天堂を支持した。2003年3月3日、ユリ・ゲラーの訴えは棄却されている。弁護士費用と裁判費用は、両者がそれぞれ負担することとされた。
ユリ・ゲラーと任天堂の今後
ビデオゲームでは、ユンゲラーはテレポートというワザを使える。状況が好ましくないときには、戦いから離脱すればよいのだ。だがユンゲラーは、訴訟後、裁判記録から消えただけではなかった。カードゲームからも姿を消してしまったのだ。
ファンwikiのBulbapediaによれば、最後のユンゲラーのカードが登場したのは2003年であり、以降は公式のポケモンカードのリストにユンゲラーの姿はない。同じくBulbapediaによれば、アニメでは、2006年のエピソードで少しだけ登場したのみである。
ポケモンを消失させたのは、ユリ・ゲラー最大の手品だろうか。今日に至るまで、多くのポケモンファンは、ユンゲラーの辿った運命はユリ・ゲラーのせいだと考えてきた。つまりユリ・ゲラーは、裁判以外のところで、自身の申し立てを十分に果たしたのだと。
ポケモンのアニメシリーズの監督、日高政光氏のインタビューも、これに対する論拠になっている。「目下のところ、ユンゲラーのことは脇に置いている」。これは訴訟のせいなのだ、と監督は付け加えている。だがこれが真実だったのかどうか、今となっては判断することはできない。
「分からないね」とユリ・ゲラーは電話で答えた。当時の弁護士、ジェフリー・C・ブリッグスも、Motherboardへのメールでこのように綴っている。「訴訟は棄却された。それ以降のことに関して、私に言えることはない」。本件の決着に関して、任天堂にいくら問い合わせメールを送っても、一向に回答は得られていない。
だが今、ユリ・ゲラーは、異なった見方をしている。「おそらく当時は、私は誤った選択をしたのだろう」と、彼はインタビューで答えた。「ポケモンの製作者が日本のテレビで私のことを見たからだ、と、ただそれだけを考えていた。もし昔に戻れるならば、ただ任天堂に話をしに行けばよかったのかもしれない」
例えばユリ・ゲラーは、インタビューによれば、マインドパワーでサッカーボールを動かし、サッカーの試合に干渉したこともある。また新聞記事によれば、スコットランドの島でエジプトの秘宝を見つけたこともある。だがタイムトラベルで過去に戻るのは、彼の能力でもできないことなのだ。
任天堂との和解の可能性
ユリ・ゲラーは、20年前の訴訟にいまだに囚われている。わずか2年前、フェイスブック上のユリ・ゲラーの公認ファンページに、このような投稿があった。「親愛なる友人たちよ、ユンゲラーは私をもとにしていると思うかね? 愛とパワーを込めて、ユリ・XXX」。
この話を捨て去ろうとしないのは、だが彼自身だけではない。「この件について、若い連中から、毎週5通から10通はメールが来る。大抵は」とユリ・ゲラーは言う。「連中はこう言うのだ。"ユンゲラーを奪ったのはお前だ"と。そうでないメッセージは、非常に哲学的な内容のものだが。私は、常に返信することにしている」
現在、ユリ・ゲラーは任天堂とは連絡を取っていない。だが彼は、コンタクトしたいと考えている。「もし今、任天堂が私に連絡を寄越し、このカードを作っていいかと聞けば、私は気にせず許可を出すだろう」と彼はインタビューに答えた。今後の命運はユリ・ゲラーのブランドではなく、ポケモンの側にかかっている。
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以上になります。お読みいただきありがとうございました。
記事の内容は、以下の3点にまとめられると思います。
①ユリ・ゲラーは1999年末に、日本でユンゲラー(恐らくわるいユンゲラー)のカードを目撃し、訴訟を決意した。
②ユリ・ゲラーは、プライバシー権および商標権を主張し、カリフォルニアの連邦裁判所に訴訟を提起した。
③上記訴訟は、記事中で触れられている理由により棄却されている。
いずれにせよこの裁判が終結したあと、ユンゲラーのカードは登場しなくなります。これが、いわゆるユンゲラー裁判といわれる出来事の大筋です。
もっとも、気になるポイントや、この記事で触れていないポイントは他にも残ると思います。そのあたりは、トイさん・やさいさん企画の「ちょいかたりジム」で話をしています。後半のやさいさんのコメント含め、こちらもぜひ聞いてみてください。
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