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【翻訳】ポケモンからユンゲラーを追放した男

ついにその時が来た、と言うべきでしょう。およそ20年ぶりにユンゲラーがポケカに戻ってくるようです。

そもそもユンゲラー解禁という情報は、かのユリ・ゲラー自身によるツイートが発端でした。いわゆるユンゲラー裁判については、過去の翻訳や、その他たくさんのネット上の記事で経緯を追うことができますが、そのユリ・ゲラー自身がユンゲラー復活をネタバレしたことは、先日ちょっとした話題になっていました。

今回の翻訳は、ユンゲラー解禁の背景について、ユリ・ゲラー本人に取材した記事の翻訳です。1月末の記事にもかかわらず作業完了が4月になってしまいましたが、かえってタイミングが良かったかもしれません。

記事前半はユンゲラー裁判についてや、考えを変えるに至った経緯がユリ・ゲラー本人から語られます。文章量は多いですが、新しい情報も多く、とても面白く読める内容です。
そして後半は、記事の筆者自身とユリ・ゲラーとの個人的なやりとりが中心です。ポケモンとは無関係な内容ではあるものの、ユリ・ゲラーの言葉はどれも心に刺さるものがあり、実際のところ私自身はこの後半部分のほうが好きです。もしお時間があれば、最後まで一気にお読みいただきたいと思います。

いつも通り、誤訳や意訳の責任は全てうきにんに属します。文中の画像やリンクは元記事から拝借しています。

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"Meet The Man Who Got Kadabra Banned From Pokémon For 20 Years"
https://kotaku.com/pokemon-tcg-uri-geller-kadabra-card-ban-nintendo-1850050358
By John Walker, January 30, 2023

先週報じられた通り、スプーン曲げポケモン、ユンゲラーが、20年ぶりにポケモンカードに戻ってくるそうだ。私はそもそも、なぜユンゲラーが消えることになったのか、その背景を余す所なく知りたいと考えていた。だがその中で思いがけず私は、数十年間忌み嫌っていた男と交友関係を結ぶこととなる。かの有名な奇術師にしてスプーン破壊師、ユリ・ゲラーその人である。

黄色い身体に曲がったスプーンを持った超能力ポケモン、ユンゲラーは、1990年代後半に登場した最初のポケモン151匹のうちの1匹だ。 ユリ・ゲラーから発想を得たとなれば、当人へのリスペクトと解釈するのが一般的かもしれないが、ゲラーの認識は違っていた。2000年に、自身の姿を元にしたカードを発見したユリ・ゲラーは、任天堂に対し訴訟を起こしたのである。
その訴訟が実際に裁判所の中で争われることはなかったものの、任天堂側も理解を示し、2003年のSkyridgeのパック[訳注:ユンゲラーが最後に登場したe4をさす]以降、黄色い身体で髭の長いキツネのような外観を描いたカードは登場していない。
だが2020年になってゲラーは、あの行為が誤っていたこと、そして同カードに対する申し立ては取り消したい旨を明言した。そして先週、リークにより、初代の151匹を扱った今夏発売のセットで、ユンゲラーがついに帰ってくることが明らかになったのである。

ユリ・ゲラーとは誰で、ポケモンカードとの関係は何なのか

30歳以下の方々に説明すると、ユリ・ゲラーとはイスラエル出身のタレントであり、スプーンを曲げて壊す、いわゆる「超能力」で世界的に有名な人物だった。ゲラーは、スプーン曲げや、その他の手品は超自然的なパワーの証明であり、自身がその「エネルギー」と交信できると称していた。
世界中の軽薄なテレビ局がゲラーの特番を組み、時には生放送で、ゲラーはお決まりの芸を披露した。ほとんどいつも視聴者からの電話が入り、それは引き出しの中のスプーンが曲がったというものや、止まっていた時計が突然動き出したというものや、あるいは不思議にもゲラーが描いた絵とまったく同じ絵を描いてしまっていた、という報告であった。
ゲラーの真実を暴こうとする試みも数多く行われた(うまくいったものも複数ある)にも関わらず、ゲラーの芸当は、当人の類稀なるセルフプロモーションの才能により、数十年ものあいだ続けられたのである。

だが任天堂を訴えたのは、一度限りの異常行動でもなければ、かつてマイケル・ジャクソンの「親友」であった変人のテレビ外での奇行の瞬間というわけでもない。任天堂を提訴したのと同時期に、ゲラーは私が寄稿していた”PC Format”という雑誌にも裁判を起こしたのである。それはこの手品師のことを「手品師」と書いたという耐え難い罪に対してであった(後にゲラーは私に、この行動は良くない選択だったと認めたのだが)。
Future Publishing社はゲラーを追いやるために途方もない金額を払う羽目となり、その瞬間から、我々ライターが書く一言一句まで、出版社側は別次元の神経質さと恐れをもって目を光らせることとなってしまった。

あえて言っておくが、私はファンでは全くない。

ユリ・ゲラーと話をしたのは、今回が初めてではなかった。今でも恥ずかしく思うが、十代のころ、イギリスでユリ・ゲラーが出演していたラジオ番組に、私はいたずら電話を掛けたものだった。ゲラーは私のことなどお見通しであり、そしてそのとき私は重要なことをひとつ学んだ。この男は間抜けなどでは全くないのだ。
神秘的なパワーとやらについて、ゲラーは荒唐無稽なたわごとをばらまき、全く無意味な内容を言って回ったかもしれない。安っぽいはずの手品を、超常現象の証拠だと言って金儲けをしたかもしれない。だが頭の切れる男でなければ、そんなことはできないのだ。

現在76歳のゲラーは、母国イスラエルで、妻と、そして長年のビジネスパートナーであり義弟のシピ・シュトラングと共に暮らしている。76歳ともなれば、身体も衰え、見た目にも歳を取っただろうと思うかもしれない。だが、ゲラーの手品の仕掛けが誰でも分かる代物だったのに反して、ゲラーの見た目がいまだに50代のように若々しく、テレビに出ていた全盛期と変わらないテンションであたりを動き回っているのは、いったいどういうことだろうか、私には説明できなかった。ちなみにこれは、私とゲラーが会話をした後日、ゲラーが私の息子にどうしても送りたいと言って送り付けてきたスプーン曲げ動画を見たから分かったことなのだが。もしかするとゲラーは不死身なのかもしれない。ピラミッドの中で寝ていることと関係でもあるのだろう。

「もう25万回近くも見られているんだよ」。金曜の午後の電話で、ユンゲラーについてのツイートに関し、ゲラーは興奮気味に言った。今では30万閲覧を超えていることを知ったのは、日曜の夜にゲラーがWhatsAppのアプリでわざわざ印を書き込んでスクリーンショットを送ってきたからである。
電話の中でゲラーは、過去と現在の、自身が成し遂げてきた数えきれない偉業について、時には筋道立てて、時にはまったく唐突に、私に語ってきた。この週末の間に、私は、ゲラーを絶賛する記事のリンクを当の本人から15本以上も受け取った。

ゲラーはようやくユンゲラーの話に戻った。「そのとき私は東京にいた」と、しかしそう言い出すや否や、すぐに話は逸れ、自身が日本で長年にわたってどれほど有名なのかを私に語った。「日本では70年代の前半から大きなテレビ番組を何本もやっている」。
そして2000年、ゲラーはショッピングモールの中で、カードを手に持った子供たちに囲まれていた。「子供たちがこう言うんだ、ユンゲラーだ!と」。それは紛れもなく、日本語でローマ字読みしたユリ・ゲラーの名前に基づいたネーミングだった。
「カードを手に取って私は言ったんだ。何てこった、私の名前がカードに書いてあるぞ、と。任天堂のポケモンのところからは何の連絡もなかった。私は本当に頭に来たのだよ」

ゲラーは任天堂をロサンゼルスの裁判所に引っ張っていったものの、ゲラー曰く、「何も起きなかった」。にもかかわらず、ユンゲラーもまた、二度と登場しなかった。
「おそらくユンゲラーは、子供のころに私をテレビで見ていたデザイナーが生み出したのだろう。私は東京タワーの最上階でテレビ番組をやって、日本中のスプーンを曲げてやったものだった。そうしてユンゲラーが生まれた、というのが私の仮説だ」

その点において、ゲラーは半分正しい。ユンゲラーは、ケーシィからフーディンへと3段階に進化するポケモンの真ん中である。ケーシィは、超能力者と呼ばれたエドガー・ケーシィの日本語名に基づき、フーディンは、ハリー・フーディーニの日本語名を彷彿とさせる。
ユンゲラーは、ゼナーカード[訳注:超能力実験で使われる、記号が書かれたカード]にありそうなシンボルが目立つように描かれているものの、3体とも、そのキツネのような外見は、どちらかといえば神秘的な超能力と結び付けてデザインされている。
他の初代のポケモン同様、この3体も、杉森建氏の生み出した創造物である。氏はゲラーよりも20歳年下であり、ということは多感な頃にゲラーのテレビ番組を見ていた可能性は充分にあるだろう。もっとも、日本中のスプーンが曲がったはずもないのだが。

なぜユリ・ゲラーは考えを変えたのか

「もう20年も経った」とゲラーは言った。「世界中から、何千通もメールや手紙が来るんだ。それこそ、子供から、大人から、老人からもだ。そしてその全員が、ユンゲラーを返してやってくれ、と言ってくるんだ」。なんということか。
「そうしているうちに、私にも孫ができた。孫娘たちはロサンゼルスに住んでいるんだが……なあ、ポケモンについて孫娘とおしゃべりをし、そして孫娘がポケモンのおもちゃで遊んでるのを見たとき、私は思ったんだ、いったい何てことをしてしまったんだ、とね。私の行いは間違っていた。あのポケモンはユリ・ゲラーへの尊敬の証しじゃないか! そして私はポケモンの社長に手紙を書き、あのポケモンを禁止から解き放ってやることにしたのだ」

その返事として受け取ったのは、「素敵な手紙」だったそうだ。そしてゲラーは、イスラエルにある自身のミュージアム内に、ポケモンカードのためだけの壁面を作った。イスラエルの、エルサレム北西部にある街、ヤッファに、そのミュージアムは実在している。そこではゲラーが個人客向けのガイドツアーまでしてくれる。
「そして」とゲラーは付け加えた。「あのポケモンが帰ってくると聞いたんだ。どれほど嬉しかったか! 君には分かるまい。嬉しくてたまらないんだよ。そしてSNSで、許しを請うことにしたんだ」

この夏にユンゲラーが帰ってきたら、ゲラーもパックからそのカードを引き当てようとするのだろうか。「私をからかっているのか!?」とゲラーは噴き出した。「今の私はポケモンの大ファンなのだよ!」。
引き当てたカードたちはアクリルガラスに嵌めて、自身のミュージアムの壁に飾る予定だという。おそらくは値付けもするのだろう。ゲラーは、ポケモンカードに詳しい地元の人間が、コレクションにレアカードを加える手伝いをしてくれている、とも言った。
ユンゲラー以外に好きなポケモンはいるのか、と尋ねると、しかしゲラーはすぐに話題を変え、ポケモンカードの中には数百万円で売買されているものもあるのは本当か、と尋ね返してきたのだった。

こちらが次の質問をする前に、ゲラーは話題を好き放題に混ぜ返し始めた。「今の私は本当に幸せで、驚くことばかりで、まるで狐につままれた気分だよ。狐につままれた。良い言葉だ。私は今やポケモンファミリーの一部なのだから。なあ、誰も気づいてはいないだろうが、例えば何年もかかって、このささやかなスプーン曲げを世界中の文化の中に根付かせたのは、我ながら本当に驚くべきことだと思っているのだよ」。
全て同意だ、と言って何とか話を遮ろうとしたが、ゲラーは構わずに続けた。 「例えばだね、映画のマトリックスでは、キアヌ・リーブスが子供からスプーン曲げを教えてもらうだろう。ジョージ・クルーニーも、ロバート・デニーロも、私の役を演じたことがある。そうだ、これは自慢だとも。インキュバスのような有名なロックバンドの歌の歌詞でも、あるいは色々な映画の中にも、私の名前が登場するのだよ。ウッディ・アレンも映画の中で私の名前を出した。ひとつ、誰も知らない面白い話をしてやろう。小さなスツールが必要になって、私と妻のハンナはIKEAに行ったんだ。IKEAが大好きだからね。そして売り場の隅のほうでスツールを見つけた。私はハンナに言ったんだ。あれがいい、脚が曲がっているからね、と。それから近くまで行って手に持ってみたら、驚いたね、商品名がユリと言うじゃないか」
その他もろもろ、ゲラーが代理人やマネージャーや宣伝担当もなしにどのようにやってきたか(だが間違いなく、その役目は全てシピ・シュトラングがこなしてきたのだが)、また息つく暇もなくゲラーは、成功の秘密を説明し始めた。オリジナリティだ、と。
「金属曲げの歴史上、誰もやったことがなかったオリジナルなことを、私は造り出したのだ。CIAが私のついての報告を書いたし、色々な論争も……」

2023年にユリ・ゲラーと向き合うということ

話が進むにつれて、私はどんどんゲラーのことが好きになっていった。そして同時に、罪悪感を抱き始めてもいた。私はゲラーを騙しているような気分だった。
私は20年以上前から、ジェームズ・ランディが書いた素晴らしい本、『ユリ・ゲラーの真実』を手元に置いている。私はゲラーの演出がどのように作り上げられているかをひとつ残らず研究してきた。
また私は、ジョニー・カールソンの1973年のテレビ番組『トゥナイトショー』で、ゲラーが間抜けな様を晒していた素晴らしい瞬間を、何度も何度も繰り返し見た。その番組でカールソンとランディは、こっそりと、ゲラーがイカサマをできないように全てを仕組んだのだ。

2007年のNBCのテレビ番組『フェノメノン』も素晴らしかったとずっと思っている。生放送で、明らかにひどい偽物とわかる超能力が登場してもなお、ゲラーはそれが本物であるかのように振る舞ってクリス・エンジェルを怒らせ、あわや殴り合いに発展しそうだった[訳注:フェノメノンは視聴者参加型の生放送特番で、ユリ・ゲラーと奇術師のクリス・エンジェルが、出場者のトリックや超能力をジャッジするというもの]。

私はゲラーに関する本を何冊も読み、イギリスのテレビにゲラーが登場するときは可能な限り見て、司会者の間抜けさに腹を立てるのを楽しみにしていた。このような映像がたまらなく好きなのだ。

私は正直に言ってしまいたいと思っていたが、ついにそのチャンスが訪れた。「懐疑論者どもが私の正体とやらを暴こうとすればするほど、私は有名になっていき……」ゲラーがそう話している最中、私は話に割って入った。
「そうですね」と私は言った。「私が言いたかったのはですね、あなたは結局、ジョニー・カールソンの生番組で、真実を暴露されました。にも関わらず、一般の人は今でも、あなたのことを信じているんです」。これではまるで私がゲラーに同調しているみたいではないか!
だが、ゲラーが言っていることは正しいのだ。ゲラーの知名度の多くの部分は、生涯を通じてゲラーを追いかけていたジェームズ・ランディのような人物のおかげでもある。だがもちろん、ランディのような人たちは、単にゲラーの「正体を暴こうとした」わけではないのだ。

「それは違うな」とゲラーは言った。「私はジョニー・カールソンを有名にしたかったのだよ。私は決して正体を暴かれてなどいない。事実、私はリカルド・モンタルバンの握っていたスプーンを曲げてみせた。それでもカールソンは、それを見てせせら笑っていたがね」。だがカールソンは嘲笑していたわけではない。あくまで中立的な立場でいようとしていたのだ。上の動画を見て頂ければ、ゲラーがコメディアンやアマチュア手品師たちを相手に、避けようのない一本道の仕掛けを施していることが分かると思う。
私は反論しようと、ジェームズ・ランディはあなたの正体を見抜いていたと言った。だが、あろうことか、私は「ランディ」という名前をゲラーに対して言ってしまったのだ。ゲラーはもう電話を切るだろうと思った。私はもっと話していたかったのに。

「ランディは私にとって、最高の宣伝役だったよ」とゲラーは言い、私もいっそう柔らかい態度で応じた。「奴が死ぬ前に大量の花束を贈ってやるべきだったな」。ゲラーがそうしてくれていたらよかったのに、と私は思った。
「このユリ・ゲラーの神秘を作り上げたのは、そういった懐疑論者どもだったのだよ。懐疑論者どもがいなければ、今の私は存在しないと言っていい」

この瞬間がどれほど楽しいか、しかしもちろん、口にすることはできなかった。20年前のゲラーだったら、間違いなく、もう電話を切っているだろう。
20年前のゲラーは、テレビに出ても、1970年代の頃のような物腰柔らかな感じは既になく、辛辣で、他人が超能力に疑問を呈すたびに、顔に怒りを浮かべていた。だから私には納得がいくのだ。20年前のゲラーは、自身が周囲からどれほど醜悪に見えるかなど考えることもなく、任天堂相手に裁判を起こしたのだろう。
だが今のゲラーは違う。かつてのような、非科学的な戯言をばら撒くプロの詐欺師ではなく、今のゲラーは温和な、目を輝かせたおしゃべりなマジシャンだった。当時は色々な訴訟でちょっと頭がおかしくなっていて、今となっては後悔しているものもある、などと、ゲラーが認めることはあるだろうか。

だが、昔からの防衛本能は、今も働いていた。ゲラーは、自身がただひたすら中傷された当時のことを語り、また生涯ずっと戦ってきた卑劣な反ユダヤ主義についても語った。
それらは劣悪で許しがたい、と私は同情しつつ、しかし話を戻しながら、当時「手品師」と書いたことで訴えたパソコン雑誌のことを覚えているか尋ねた。
「ああ、もちろん」とゲラーはすぐに答えた。「あれも私が愚かだった」。ああ、何と言えばいいのだろう。

だが、その瞬間もすぐに消え失せ、ゲラーは再び、自身が今でもどれほど有名かを実例を挙げて話し始めた。タブロイド雑誌の『デイリー・スター』の表紙を何度飾ったかゲラーは滔々と語った。
それは自慢できることではないですよ、と私が笑いながら言うと、ゲラーは『ガーディアン』や『タイムズ』、『ボストン・グローブ』や『ワシントン・ポスト』にも載ったことがある、と列挙し始めた。
「君にこれだけは言っておきたい」とゲラーは続けて言った。「私は、『タイムズ』よりも、『デイリー・スター』や『ザ・サン』の表紙に載るほうが嬉しいのだよ。なぜだか分かるかね」
私は息を整えて考えてみようとした。政治的な要因? だが私が何か言う前に、ゲラーは自分から答えた。「『ザ・サン』と『タイムズ』がそれぞれどれほど売れているか、グーグルで調べてみるといい」[訳注:ゲラーが挙げた『デイリー・スター』や『ザ・サン』は安っぽい大衆紙。もちろん『タイムズ』のようなお堅い新聞より大衆紙の方が多く売れている]

思わず私は言った。もう76歳なのに、まだ知名度のことを考えているんですか!
「そうとも」とゲラーは答えた。「それこそがユリ・ゲラーじゃないか!」

私は思わず言った。私は『ユリ・ゲラーの真実』を持っていること、ジェームズ・ランディの大ファンであること。
無礼と分かっていることまで私は尋ねた。自身の小細工で人々から集めた金について、罪悪感を抱いたことはあるだろうか、と。

「答えるに値しない」とゲラーは真面目に答えた。ゲラーは私に、ゲラー自身が立ち上げた慈善団体について調べるように言い、その基金のおかげで助かった子供たちについて語った。1000人もの子供たちの命を救い、その半数はパレスチナ人であった、だが君はそんなこと想像もしていないだろう、と言った。
まさに、それは私にとって思いもよらないことだった。「だから君の質問は、答えるに値しない」
だが私は言った。数年前にあなたは、神秘的なエネルギーと交信できるからと言って、裏庭に建てる間抜けなプラスチックのピラミッドを人々に売りつけたではないか、と。だがゲラーは私に構わずに話を続けていた。私は自分が正しいと知りながら、ゲラーを怒らせてしまっていることを申し訳なく感じていた。
神秘的なパワーを持つ超能力者だと偽るような人間が存在していたら、悲嘆に暮れる人々のもとに死者からのメッセージを届けて金を巻き上げる、ふざけた霊媒師のような人間までが出てくる世の中になってしまう(念のために言えば、ゲラーはそこまではしていない)。そんな連中の存在は間違っている。
私はゲラーに言いたかった。ポケモンについて後悔している暇があったら、これまでやってきたこと全部を悔い改めたらどうなのか!

だが私は、そうは言わなかった。代わりに、かつてゲラーにいたずら電話を掛けたこと、自分が間抜けだったこと、そして、ゲラーがどれだけ頭の切れる人間かそのとき思い知ったことについて言った。だがもう遅かった。ゲラーはこの会話を終わらせたがっているように思えた。
「質問にはもうだいたい答えただろう」とゲラーは言い、私は同意した。質問の内容にもかかわらず、ゲラーがずっと寛大だったことに、私は感謝を述べた。
だが、それで終わりではなかった。ゲラーは単に、必要なことを全て答えたかを確認したかったのだった。ゲラーは次に、私自身のことを質問し始めた。

「君のことを教えてくれ」とゲラーは言った。「住まいはどこかね」。私は答えた。家族は、とゲラーが聞き、8歳の息子がいると私が答えると、ゲラーは興奮して、WhatsAppの宛先を教えてくれ、明日ミュージアムに行くから、その子のためにスプーン曲げの動画を送ってやろう、と言った。
それからゲラーは私にゲーム業界の評論について訊き、だが次の瞬間には、人生でもっと多くのことを成し遂げろ、金持ちになるためにはビジネスを成功させろ、と私に説き始めた。何事も、思い描けば実現するのだ、とゲラーは言い、私はそれを遮って、それならもうすぐ私にも翼が生えて地球を支配できそうですよと答えたものの、ゲラーは相変わらずの調子だったので、私はふざけるのも止めにした。
「何よりも、君は自分自身の人生の設計者なのだよ」とゲラーは私に言い、「物書きと同時に」やれることを考えなさい、と言った。

そのくらい考えていないわけないでしょう、と私は言いながらも、ゲラーが私のことをこれほど思いやってくれていることに感謝を述べた。「もちろん、当たり前じゃないか!」とゲラーは答えた。

さっきとは全く別のやり方、別の態度で、私はもう一度だけトライしてみた。今や私たちはお互いのことがよく理解できている、と私は言った。手品師として、やはりあなたは素晴らしい。これまでの中で最高の手品師のうちの一人だと思うし、それは誇るべきことだと思う、と。それに対するゲラーの答えは、本当に素敵なものだった。

「3年ほど前に、ブラックプールの町に招待されて行ったときのことだ。4000人もの手品師や占い師の前で講演するという企画だった。面白かったのが、およそ講演の半ばごろだろうか、誰かがいきなり立ち上がって、私に言ったのだ。『なあ認めろよ、あんただってただの手品師だろう!』。私はそいつにこう答えてやったのさ。『なあ、私がこの年齢になって何かを”認める”なんてことをすると思うかね?』」
私は大笑いし、ゲラーも、観客も大笑いしていたよと言った。そしてゲラーは、最後にオスカー・ワイルドの言葉で締めくくろうかと言った。
「人生で最悪なのは、周りの皆から話題にされることではない。人生で最悪なのは、誰からも話題にされないことなのだ」

これ以来、私たちは連絡を取り続けている。ゲラーはWhatsAppで、ゲラー自身に関する記事をいくつも私に送って寄越し、また、家族をイスラエルに連れてきてくれたら歓迎しようとまで申し出てくれた(これには非常に心惹かれた)。そして質問にもさらに答えてくれた。
あるときゲラーは私に1本の記事を送ってきた。それは今年公開予定だという、おかしなイタリア映画についてだったが、映画は1970年代にゲラーをテレビで見た後に超能力に目覚めたというイタリア人の子供たちに関するものだった。この子供たちは大学で調べられたものの、科学的に精査されるには至らなかった、とこの記事は結んでいた。

「この類のネタはいつも科学的調査の一歩手前で終わりますね、おかしなものです!」そう答える私を意に介さず、ゲラーは、来たるべき「シンクロニシティ」というような文言とともに自分が表紙に載っている新刊雑誌の写真を見せてくれた。
のみならずゲラーは、からかいながら、私が「過去に生きるのをやめる」べきであること、「ランディ的なものに囚われるのはやめる」べきであることを、泣き笑いの絵文字つきで送ってきた。
「とはいえ、君のことは好きだがね!」。そうゲラーは付け加え、自身が出演している2017年の動画のリンクを送り付けてきた。
「私もですよ!」。そう私は答えた。「あろうことかユリ・ゲラーと友人になれるなんて、こんなに嬉しいことはありません」

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以上になります。お読みいただきありがとうございました。
記事内容の総括はしませんが、ユンゲラーと任天堂に対する考えを変えたきっかけが孫娘だった、というのは、ちょっと泣かせる話です。そして博物館の一区画がポケカ専用エリアになっているのもびっくりです。

個人的には、最後の講演会でのジョークが大好きです。ユリ・ゲラーはポケモンからユンゲラーを長年にわたって退場させた張本人ではありますが、確かに記事の筆者の言う通り、こちらまでユリ・ゲラーのことが少し好きになってしまう記事だったのではないでしょうか。

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