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性別がイヤなら粛々と自分を生きるしかない

 soarの鈴木信平さんの記事を読んで以来、「男であれず、女になれない」という言葉が引っかかり続けている。
おそらく鈴木さんの事例から拡大して自分に当てはめるから苦しいんだな。
 男らしさや女らしさから外れることをいちいち「男であれなかった」とか「女になれなかった」と言ってたら当然苦しくなる。
 何が苦しいって、いちいち確認することがジェンダー規範の再強化になってしまうからだ。

 そんな話をしてたら「ジェンダー規範がなくなれば多様性でどんな男でも女でもよくなる」と相方が教えてくれた。やっぱあいつ頭いいな。さてはおめぇインテリだな!

 ジェンダー規範を壊していくとしたら粛々と自分の生き方をしていくしかない。でもこの体が窮屈で狭くて毎日辟易する。
 そりゃ生理はないから相当楽をさせてもらってるのかもしれないが。

 つか身体男性同士で話してても、今まで1人も私と同じ悩みを持っている人に会ったことがないのだけど。
座ってるときに股座の邪魔なものが鬱血してしびれるのよね。
『ごきげんよう』に出れたら「ひょっとしたら私だけ?」で話したかったよ。
 マンスプレッティングの話題を見かけるたびに、足を閉じれないくらい邪魔なものが股座についている事例はどの程度あるのだろうと考えてしまう。
 こんなもんなければ良いのにというのは小学生の頃からずっと思ってるけど、結局実行に移さないまま結婚してしまったよ。

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