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性別の話で自意識ライジングするかい?

 クギベラは成長時に性転換することで体の模様や色が変化するらしい。変化前の個体をイニシャルフェイズ。最終的な変化をした個体をターミナルフェイズと呼称するそうな。
人間においても、性別という枠組み自体をもっと柔軟なものにしたほうが無理なく生きられるんじゃないかという気がしている。

 ある女性が多い業界の専門学校を受験して不合格した折も、「実績・経歴・成績に問題がなくても男性は受からない」「高額の学費さえ払えば誰でも入れるようなところしかない」とその業界の先輩に言われたこともあった。
 あのアナウンサーの言ったように「それぞれの地獄を生きている」んだな。私はかわいい女の子に生まれたかったし、なりたかった。
性転換も視野に入れてずっと迷って、三十路に至る辺りで生え際が後退したことで「こりゃあ今更かわいい女の子にはなれないかな」と、諦めがついた。
 松井冬子さんを特集したNHKの番組で、坊主頭だった頃の彼女の写真を見て美しさに感嘆し、真似して自分も一分刈りにした。でもどちらにせよルッキズムに呪われ続けている気はする。

 最近、子どもからも出会い頭に「ハゲ!」と言われる。にも関わらず介護の現場では利用者のお年寄りから「ちょっとお兄さん」などと呼ばれる。
本心ではお兄さんよりお姉さんでありたかったし、そもそもハゲてきたからおじさんとしての自覚が芽生えているものだから、私には自分がお兄さんだという自意識はない。

 結婚したときも選択的夫婦別姓以前の問題なのだなとあきれたことがあった。
改姓手続きに役所に行ったとき、先に私の姓が変わった旨話して用紙にもそう書いたにも関わらず、「名字が変わったのは奥様の方ではないんですね」と女性の側の氏が変わることを前提にした扱いをくり返し受けた。
ただでさえ改姓は手続きも多く時間がかかるので怒りを通り越して悲しくなった。

 日本でも後天的に同性婚となったフウフの事例を読んだことがある。
私もいつかターミナルフェイズに変化して同性婚になるかもしれない。
でも加齢によって性別がアイデンティティを占めるウエイトが減ってきている気がする。
 AロマンティックやAセクシャルとは対極にいる恋愛体質だから、なかなか彼らの立場を上手く想像できないけれど、恋愛至上主義には懐疑的になったほうが良いとは思う。
私自身にそういうところがあるから説得力がないのか、だからこそ主体的に発信して理解を示すほうがいいのか考えあぐねているが。
 恋はいつでも初舞台なので、しようがすまいが大したことではない。暇人のすることだ。

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