マミーボート女湯事件簿
1970年代、ゆういちの少年期シリーズ
森永のマミーを飲むと“マミーボート”が当たるらしく、喉から両手や足が出るぐらいほしいのだけど、マミーボートは永遠のあこがれだ。それもそのはず、銭湯で風呂上がりに毎日マミーは買ってはもらえないから、当たるわけがない。マミーボートは、お風呂で遊べる水中モーター付きの船で、赤と青の船体の下に魚雷のような水中モーターが付いてかなり魅力的だ。
今日は、遊び道具なしで洗面器に石鹸とタオルだけ入れて銭湯。
もし、うちにお風呂があったら夢のような暮らしができたとは思うけど、お風呂があったらいいなという発想もない。それもそのはず、気がついた時からボロアパートに住んでいたから。
両親と弟の四人で、テクテク歩いて五分ほどのところにある銭湯に向かった。日課のひとつなので、苦もなく、寒い冬や、雨の日も、毎日銭湯に通っている。
お母ちゃんは弟を連れて、“ゆ・女”の暖簾をくぐった。
僕は、お父ちゃんより先に “ゆ・男”の暖簾をくぐり重いガラス戸を引いた瞬間に、鼻からお風呂の匂いと湿気を吸い取って、番頭で20円を払った。
脱衣所で服を脱いでいる最中マミーボートを持っているモヤシみたいな少年をみかけたので、実物をこの目に焼き付けようと、必死になってマミーボートを凝視した。いいかげん目に焼き付け終わって、素っ裸になったこともあるので、何もなかったように浴場に駆け込んだ。
たぶん、あのモヤシ少年のマミーボートは、僕の超能力で電池が切れたはず。ヘ、ヘ、ヘ
夕方の銭湯は大好きだ。
天井近くのたくさんの窓が黄金色にキラキラ光り、ほどよい自然光が浴場にそそぎ、露天風呂に行ったことはないが、露天風呂に入っているような気分になって気持ちがいい。それに、エコーがかかる桶の音が、お寺や神社みたいに神聖な気持ちになり、心地よくて素敵だ。
後ろを振り返ると、壁には大きな見慣れた絵が描かれている。
遠くに富士山、手前には湖に浮かぶ神秘的な島。島の中は深緑の松林、赤い鳥居に赤い太鼓橋、誰ひとりいないが弁慶がよく似合うと思う。じっと見ていると、冷たいタイルの中に吸い込まれてしまって帰って来られないような錯覚がする。ここには絵の世界と現実を行ったり来たりできる入口がありそうで怖いのだ。でも、絵の世界に入って鳥居をくぐって太鼓橋を渡って弁慶に会ってみたい。
ここの銭湯の近くに、クミジムショがあるので、入れ墨を見事に入れたおっちゃん達が必ず銭湯にいる。僕から見れば、普通のおっちゃんと比べると、入れ墨が有るか無いかの違いだけで、特別どうこうということはない。このあいだ、お父ちゃんの横で体を洗っている最中にタオルを振り回したら、入れ墨のおっちゃんをしばいてしまって、すかさずお父ちゃんが愛想笑いをして頭を下げたことがあった。その時から、お父ちゃんは入れ墨の人が苦手なのだということがわかった。
もし、お父ちゃんに何か悪いことが起きたら、クミジムショの組長さんの息子の戸田君が僕と友達だから、戸田君に相談する最終手段は想定している。もし、そうなったらお父ちゃんは、何故それを最初から教えてくれなかったのだと言うのだろう……えへへ、まっ、いいや。
僕は小学生の低学年なので、男風呂と女風呂を番頭の前の暖簾をくぐって、行ったり来たりする。お父ちゃんとお母ちゃんの石鹸や手紙のやり取りも依頼されれば、反対側に配達に行き、大人にはできない特権を最大限利用している。
今日は、何の用事もなかったけどフラっと女風呂に行って、お母ちゃんの背中を叩いてから、弟と湯船につかって遊んだ。
今日、フラっと行ったのが間違いだった。
湯気の向こうに、どこかで見た女の子が入ってきたのに気づいた。
しまった、同じクラスの女子、片山だ。
なんで? この銭湯ではいっしょになるはずがないのだけど、たぶん片山の住んでいる地域の銭湯が休みだったからここに来たのだ。
あの、キツイ片山、最悪。
あの甲高い声、こめかみに、げんこつでグリグリされるみたいに不愉快なので片山に間違いない。
僕らの湯船に向かってくる。
弟の横で鼻まで沈んで、浮上した潜水艦みたいになって待機していた。
弟は潜水艦がおもしろいらしく、大波をぶつけてきた。
弟に向かって、これは特殊作戦なのだと目をパチパチさせて合図したが、その信号は大波なんかへっちゃらさーと解釈され、さらに激しく大波をぶつけてきた。
我慢できなくなり、湯船から飛び出したと思ったら片山と目が合ってしまった。
片山は間髪入れずに、「学校で、ゆうたろー、ゆうたろー、学校で、ゆうたろー、ゆうたろー」と言いつけ歌でキツイ顔をして歌い出した。何度も、何度も、歌っている、もうどうにも止まらない。男風呂までエコーがかかって聞こえるぐらい歌っている。
それにしても、片山はなぜ恥ずかしがらないのだろう? まっ、いいや。
こればっかりは、クミジムショの戸田君に相談しても解決しない。
この場での唯一の解決方法は、僕がここから瞬時に消えることだ。
「なに言うてんねん、おまえは、Qたろーか」と捨て台詞を吐いてから、男湯に向かって、円を描くように番頭の前の暖簾に飛び込んだ。
男湯に無事に避難は成功したけど、待ち受けていたのは入れ墨の見事な太ったおっちゃんの腹だった。わんぱく相撲に参加して関取との立合い直後のぶつかりのようになってしまい、その腹に「ペターン」って、ぶつかり、周りの観客から大爆笑されそうだった。
そして、入れ墨の見事な太ったおっちゃんから怒鳴られて、散々な目にあってしまった。
どうやら、モヤシ少年に超能力シグナルを送ったからバチが当たったみたいだ。
マミーボートを持っていることが羨ましく、その気持ちが抑えられなくなって妬みへかわってしまった。
「モヤシ少年よ、ごめんな、ひとつ勉強になったよ」
そう頭の中で格好よくつぶやいた。
そして僕は気持ちを切りかえて、弟の手を引いて家族といっしょにボロアパートへ帰った。
その夜、布団の中に入ると、片山の裸を思い出すのと同時に、とてもいい考えを思いついた。そうだ、片山に超能力シグナルを送って、風邪をひかせて学校を休ませよう。ついでに、今日の記憶を消してやろっと!
それから、一生懸命、布団の中で念じた。
おわり
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