国道二号線を東へ走れ
1970年代、ゆういちの少年期シリーズ
はじめに
1971年1月8日、大阪から鹿児島に家族でマイカー帰省し、楽しいお正月を終えてUターン中、山口県小郡での出来事だった。
当時は高速道路もなく、ひたすら国道を走り続ける我慢比べのような旅。
舗装道路は三分咲きの時代だったか?
はじまり、はじまり
よく舞い上がる真っ白な凧を器用に作ってくれた腰の曲がったおじいちゃん。
お餅を火鉢で炙って食べさせてくれる優しいおばあちゃんと思っていたら、プロレス中継が始まると馬場が投げられる度に、我にその衝撃が伝わってくるかのように体が反応し、猪木にタッチすると三毛も逃げ出すほどの声援を送る激しいおばあちゃん。
鹿児島のお正月は、お年玉もたくさんもらって大金持ちになり、僕の夢の中では鹿児島で撮影された楽しかった思い出の映像が再生されていた。
フィルムの回る音が心地よい、「カタカタカタカタ・・・・・・」
突然場面が切り替わり、昼間だというのに空は真っ黒になり、花崗岩の奇岩で埋め尽くされた冬の冷たい海岸になっていた。ドドーンと波しぶきが高く上がったのと同時に僕は目を覚ました。
お父ちゃんの小さい自動車に家族全員で乗り、鹿児島から大阪へ移動中だったことを思い出した。もし、車酔いコンテストがあるならば、日本一になる自信がある僕は車の中だということでまた嫌な気分になった。
車に少し乗るだけで、胃が踊り“ウェッ”っときて夜店で持ち帰る金魚袋ぐらいの重さのビニール袋を口にあてて、中の何かに語りかけているありさまだ。
そういうことを考えるから、また“ウェッ”とくるのだけど、車はエンジンがかかりっ放しだがどこかに停まっているので、金魚袋などいらないと思う。
少し寒い……
横の弟は毛布に潜ってぐっすり眠っている。
今や子ども向けテレビ番組で大人気のケロヨンやロバくんの夢でも見ているのだろうと思いながら背中に手をあてて暖かくしてあげた。
横になっているので真っ暗な空しか見えない。
ただ、窓ガラスにかき氷のようなものが貼り付いては流れ、付いては流れを繰り返しているので、冷たい雨か雪が降っていることだけはわかった。
体を起こして窓から外を見ると、な、な、何と銀世界が広がっている。
暗い雪の中に僕らの自動車がポツリと一台だけ。
どこまでも雪、雪、雪の、雪国。
こんな雪を初め見た。
反対側の窓を見たら、ここよりもずいぶん高い土手の上が車のヘッドライトやテールライトで眩しく、たくさんの乗用車やトラックがノロノロと走っている。
僕は、土手の上の車と雪の中の、この車の共通点が見つからず、理解に苦しんだ。
寝起きだから頭が働かないのかもしれないけど、おかしい、実におかしい。
ただ、雪山かどこかでこの車が遭難していることは確かのようだった。
もう一度、土手の上をよく見ると、車の人達がみんな僕らを見ながら走っていることに気がついた。
はっ!口がぽかんと開いて、目がだんだん大きく開いてきた。
あの土手からこの車は滑り落ちたのだ。
何か凄いことがあると「パンパカパーン、パンパンパ、パンパカパーン、今週のハイライト」って叫ぶはずの僕でも、ショックでそのセリフを発する回路が起動しなかった。
お父ちゃんと、お母ちゃんは、僕たちに説明することもできないくらい緊迫した状態で、わけのわからない話をしている。
“電話”、“警察”、“追っかける”、“ナンバー”という断片的な言葉だけが耳に入ってくる。
お父ちゃんは、次にどういう行動をすべきか、頭の中の本のページを必死になってめくっているようだけど、指が乾燥しすぎてページがめくることが出来なかったり、焦ってしまって沢山のページをめくってしまい、答えがまるっきり見つからないみたいだ。
それとは対照的にお母ちゃんは、突然車から降りて、軽装のまま雪国の山を登るように土手を上がり、すぐに戻ると紙と鉛筆を震える手に持って再び土手を上がって行った。
やはり雪山で遭難しているのではないかと自分自身の脳みそが教えてくれた瞬間、お父ちゃんは、運転席から振り向いて状況を話してくれた。
大型トラックから追突されて、ゆっくりとあの土手から滑り落ちたのだと。
追突した大型トラックはそのまま、渋滞の流れにのり、ゆっくり逃げていったと教えてくれた。
僕が先に考えていたことは半分ぐらい当たっていた。
幸い渋滞中の追突なので衝撃はほとんど無かったが、車は道路から外れてしまい土手から滑り落ちたのだと、お父ちゃんはつけ加えた。
さらに、ここは山口県小郡で田んぼの中だとつけ加えた。
この自動車はホンダのN360という軽自動車。
後ろの座席には六歳の弟と僕。
その後ろ座席の足元にはミカン箱をうまく変形させたものが二つ押し込まれ、僕らふたりだけの座敷部屋を作ってくれているので、あぐらをかくか横になっての乗車だ。
お父ちゃんは、ドアを開けて外に出るとゆっくりと、車のうしろに回ってからまた戻ってきた。お父ちゃんは外から、「ウッガレチョッタ」と言った。
鹿児島弁で壊れてたと言ってる。僕は何が壊れていようが、今の雪山の遭難を解決することには関係がないので、何が壊れてたのかは、興味もなく聞くこともしなかった。
運転席に戻ったお父ちゃんは、意味もなくカーラジオのスイッチを押して、ひたすら選曲を始めた。そこそこ、きれいに聞こえる放送を捉えた瞬間、お父ちゃんは「ヘヘッ」と言って僕たちに何かの意思表示をした。
普通小学生は聞かない深夜番組、パリパリする雑音の奥から、つぶやくような話が延々語られた。ずいぶん時間が経った頃、やっぱし“帰ってきたヨッパライ”がかかった。
僕は子どもながら、交通事故で死んでしまう歌がかかったことが場違いであることは理解できたが「♪天国よいとこ一度はおいで」のところは弟といっしょに歌いたかった。しかし、弟は眠っている。ヨッパライが運転する車のエンジンの効果音の場面、その直後に「ワァー」と発したヨッパライの声に重ねたけど、お父ちゃんは、頭の中のページとまだ格闘して、飯粒でひっ付いてめくれないページがあるかのようで、笑ってくれなかった。
そうこうしていると、目を擦りながら、弟がケロヨンとロバくんの夢の世界から目覚めたようだ。
弟が不機嫌そうなので、面倒くさいけど窓の外の渋滞中の車を見ながらケロヨンのモノマネで「バハハーイ!」と声を出したけど無視された。
さらに「ケロヨンとトッポジージョは声が似てるなあ」と弟に問うたけれど、弟は眉間にしわを寄せるように不機嫌な顔をした。しょうがない、とどめに「あの銭湯の風呂桶にはなぁ、ケロヨンって書いてあるでぇ」と言ったら怒ってしまった。
お母ちゃんが土手を登ってから三十分ぐらいで車に戻った。
お母ちゃんは、これより、めでたく我が家の”司令塔”に昇格した瞬間だった。
司令塔が言うには、土手の上で渋滞中の車を追いかけて大型トラックを特定しナンバーをメモするだけが精いっぱいでトラックは行ってしまった。次に、偶然にも深夜三時だというのに電気が灯る会社を発見し、事務所の戸を叩き電話を借り警察に応援を求めたそうだ。
今は、待つしかないと司令塔は言った。
寒い・・・・・・
雪山での遭難だ。
山口が大雪であることで、改めて脳みそが混乱し続けた。
学校の先生からは、沖縄や鹿児島は温かく、北へ行くほど寒くなると教わった。何かの教科書にのっていた雪国の写真といっしょだ。
ここ山口は住んでいる大阪から鹿児島の方向なのになぜなのだろうか・・・
車のエンジンの振動と、臭い暖房のおかげで車酔いコンテストが始まろうとしたので、近くにあった金魚袋を引き寄せたら口の中が酸っぱくなった。車は停まっているので、その時が来たならば外に出て雪の上に思いっきりぶち撒けると思ったら、すごく楽になってケロヨンの真似ができるまで急激に自然回復した。
相当な時間といっしょに、終わりのない渋滞の車も流れた。
こんな深夜だというのに、土手の上のノロノロ運転はまだ続いている。
空腹を感じ始めた頃、遠くから“ウーウーウー”とサイレンが聞こえた。
司令塔が前を向いたまま肩の上でVサインを見せたので、あのサイレンは銀行強盗の犯人を追いかけているのではない、火事でもない、ここに助けが来たのだとすぐにわかった。
今まで、Vサインとサイレンがこんなに嬉しいものだとは知らなかった。
司令塔は目頭を押さえながらハンカチを取り出した。
悲しみじゃなく、感動の涙だとわかったので、トッポジージョの声で「キタキタキタデー」と呟いてあげた。
お父ちゃんは、司令塔が実行した手順と同じページを頭の中で見つけたようだったけど、遅すぎたので、ただの運転手に降格してしまった。
そして運転手は、東海林太郎の何かを口笛で吹き始めたので、司令塔に従いますと意思表示をしたようだった。
サイレンの音が聞こえてからすぐに土手の上に赤い回転灯が鮮やかなパトカーが現れ、気がついた時には、僕は警察官の大きな背中にしがみついていた。
土手の上のパトカーまで大きな背中が運んでくれたので何も心配することはなかった。
大きな背中が助けてくれたので空腹より安心の方がまさったのだろうか、僕はパトカーの中で深い夢の中へ吸い込まれていった・・・・・
・・・・・・
次の朝、運転手が僕の足元のミカン箱を利用して、「ウッガレチョッタ」と言っていた、うしろのトランクの補修に使うと言った。
運転手が、警察署でカッターナイフや大きなテープを借りて、うしろのトランクが半分無くなっている部分をミカン箱で補修した。
運転手はいつものように「ヘッ、ヘッヘーーー」と軽やかな笑いで、照れを隠しているのか、うまくできたと言っているのかわからないけど周りに何らかの意思表示をした。
鹿児島のおじいちゃん家で、運転手がニワトリをつぶそうとしたあの時、絞めたはずのニワトリが手元で生き返ったのに驚いた時の「ヘッ、ヘッヘーーー」という照れを隠す笑いと同じだった。
運転手が「ホイジャ、大阪に向けて出発や」と母国語の鹿児島弁の訛りで、大阪弁を少し織り交ぜて言ったのを合図に、皆で自動車に乗り込んだ。
司令塔は言った、車のナンバーの”ひらがなの一文字”を控えてなかったため、トラックの追跡調査は不可能という報告を聞かしてくれた。あの時は協力的な警察がすぐに検問を開始したが、大型トラックは脇道へ逃げたのだろうということで、残念ながら検問を終えたそうだ。
あれ?僕の足元のミカン箱があるやん、何でやろ?
司令塔が運転手に鹿児島から持って来たミカン箱を切り取って修理することを指示したみたいだ。司令塔は、運転手の笑いの意味を知っているらしく、うしろを気にしながら楽しそうだった。
そして、笑顔になった家族を乗せて車はゆっくりと発車した。
単車のエンジンのような独特な音をばらまきながら。
あの背中の大きい警察官が手を振ってくれたので、「バハハーイ!」とケロヨンのモノマネをしたら弟がケラケラと笑った。
背中の大きい警察官に聞こえてしまったと勘違いして顔が赤くほてってしまった。
念のためにすぐに金魚袋を手元にたぐり寄せ、大阪まで頑張ると心に誓ったのだが、
口の中がすぐに酸っぱくなった。
車に揺られた弟は、すぐにケロヨンとロバくんの夢の世界へ。
車酔いだけは弟に勝てへんわあ。
お兄ちゃんの負けや、弟よ!
ホンダN360は、うしろの痛々しい部分を“たんかん”という赤い字に替えられ、
「もう、雪の田んぼに落とさんといて!」と
後続車に訴えながら国道2号線を東へ向かった。
おわり
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