空地の手品師が教えてくれた社会の窓
1970年代、ゆういちの少年期シリーズ
兄ちゃんが「社会の窓からほら」と言って、魔法のように子どものズボンのチャックから十円玉を出現させた。
え―――、なんでや? 不思議やなあ。
✒✒✒
今日は、大好きな図工もなくつまらない授業がすべて終わったので、これからは僕らの時間割が始まると言いながら、さっさと友達と一緒に学校を出た。
学校の隣にある文房具屋を過ぎると、そこは小学校の校庭の半分ぐらいの広さの空地だ。時々三角ベースの草野球をするので、端っこだけ藪になって真ん中だけがおむすび形の整地状態になっている。
そのおむすびの中で、同じ学校の児童五、六人が、兄ちゃんを囲んでいた。
兄ちゃんの乗ってきたであろう錆びた汚い自転車には荷台に、大工道具入れより小さい木箱が結びつけられ、少し離れたところに置いてある。
何かあったんやろか?
「社会の窓からほら」は、ここでの出来事だったのだ。
友達と顔を見合わせてからワクワクしながら、その兄ちゃんを囲む輪に入った。
兄ちゃんは、汗とカンナ屑が混じった臭いがしなかったので少なくとも大工さんではないとわかった。髪が長く痩せ型なのでコント55号の欽ちゃんを連想したので少しだけ親しみが沸いてきた。ただ髪が長く痩せ型というだけで欽ちゃんと重なった。
ほんとうに不思議だ、チャックの近くから一瞬で十円玉が出現する。
手品だとわかってはいたが、どうやって十円玉を出現させているのかが全くわからない。
「ほな、もういっぺん、やったるでえ、社会の窓からほら」
三十センチぐらいの細い金属棒を僕たちのチャックに向けると、不思議と金属棒の先に十円玉がパッと出現するのだ。
僕は、”社会の窓”という言葉をここで初めて聞き、知ることになった。
欽ちゃんは、チャックを”社会の窓”と言っている。
もし、学校の先生から社会の窓と言う言葉を教えられても、脳みそには刷り込まれることはないだろうが、欽ちゃんが言う社会の窓という言葉は楽しくてすぐに覚えた。
しかし、チャックと社会の窓という言葉がうまく噛み合わず、脳みその中の抽斗を片っ端から開けて関連付けをする作業をしようとしたが思考回路が破綻した。
でも社会の窓の手品は魅力的で、自分でもその手品を使ってみたいと思い始めたころ、欽ちゃんは自転車の荷台から、金属の棒をたくさん見せた。まるで、占いに使う筮竹<ぜいちく>のようにジャラジャラとたくさん。
「二十円やで、買わへんか?」と言い出した。
突然その手品道具を売ると言い出すとは思わなかったので驚いた。
一日のお小遣いが十円で、それも、お母ちゃんからの支給は家に帰ってからなので買えるわけがない。
その場が、お金が絡む取引の話に変わったので、盛り上がっていた僕は半歩後ずさりをしてこのまま消えて家に帰りたくなった。
十円だったら買うかもしれないけど、無料のネタだけ脳みそに記憶して家に帰った。
家に帰ってから、覚えたばかりの”社会の窓”を連呼していたら、弟も真似をするようになったので、難しい言葉を弟に教えることができ兄として嬉しかった。
お母ちゃんは、「あほか」と言って笑っていた。
そして、お母ちゃんに社会の窓の意味を聞いたけど、理解できそうにないので聞いている最中に聞きたくない意思を示すために、僕はでんぐり返しを始める。
でんぐり返しを見たお母ちゃんはほっとしたようで、夕餉の準備を続けた。
もしやと思い、適当な棒を使って「社会の窓からほら」と弟で試したけど十円玉は出てこなかったし、出るわけがなかった。
現場で脳みそに記憶したネタを頼りに、適当な棒の先に十円玉をセロハンテープで取り付けてみることにした。
その仕込みを弟が横から見ていたのはわかっていたけど客側になってもらうことにした。「社会の窓からほら」と言って差し出したら、最初から存在する十円玉は手品でもなんでもなく虚しさだけが残った。
空地で欽ちゃんに出会ってからはどうしても満足感が得られることはなくその日を終えた。
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手品のことはさておき。
あの頃から五十年、あれほど流行した、その「社会の窓」という言葉も気づいた時には死語になっている。社会の窓だけではなく沢山の言葉が消えそうだ、いや消えた。「エアチェック」、「チャンネルを回す」、「半ドン」とか。ちょっと「たんま」と言っても手を止めてくれる人はシニアだけになった。
社会の窓は造語だけれども、最近は加速度的に外来語に侵略されているが、ほんとうにみんな言葉についていけているのだろうか。
最近では、インフルエンサー、サブスク、セキュア、ランサムウェア―・・・
ビジネスでは、アサイン、リスケ、マイルストーン、シェア、ダイバーシティー、ディスティングリッシュ、コンプライアンス、コスパ・・・無限に出てくる。
病院に来る年配者はインフォームドコンセントって理解できているのか?
最近は国会でも議員が海老でんすと言い出した。
日本語の変化したものでは、バズる、エモい、ポチる。
これを書いていてもテレビでツボると言っているありさま。
昔、使っていた言葉が消え、英語をカタカナに変え、日本語の形を変え、
たぶんこのままいけば、意味不明な単語は聞き手に無視され、会話の理解率が下がり、コミュニケーションに障害が出ることになるかもしれない。
我々が止められない外来語の侵略や造語とうまく付き合っていくには、話し相手に応じて言葉を使い分けることがとても大切なことだろう。
少年期の思い出話から大きく脱線してしまった。
社会の窓、メタファー
✔半ドン 半分のドンタク、半日休暇のこと
✔たんま 中断する宣言がタイムであることから、それが変化してたんま
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