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変化は当たり前。

「以前」と「今」

 高校生のとき。本当に進路を決めなくちゃと毎日焦っていた、悩んでいた時期。自分の中で譲れなかったのは一人暮らしをすることだった。どうしても家にいたくない時期、帰りたくない時期があった。居場所のなさ?を自分なりに感じていた、のかも知れない。今振り返ってみると、あの時期が謎すぎる。多分、学校という主たる場所があったから比較対象がそれでしかなかったんだと思う。大学生になったとはいえ、このご時世だからキャンパスに通えているわけではないし、未だに教授とも友達?とも会ったことすらないし、何より構内に入ったことすらない。「自分一人で生きていくんだ」「自立したいんだ」と思っていたけど、今はそうは思っていない。むしろ、家という居心地のよさに気づいてしまった。「このままずっと、家にいたいな」と感じる毎日。いっそ大学なんか辞めてバイトしながら公務員試験の勉強して、役場職員にでもなろうかしらなんて考えてる。もちろんそれも選択肢の一つだとは思う。結局どうしたいのかなんて自分が決めることだから(最終的にはね)。そう、結論は「一人暮らし、やっぱりしたくないなあ」ってこと。

選ぶ道――「進路」はどうしよう

 前期の授業もそろそろ終盤。とは言え、全部パソコンと向き合うだけのオンライン授業なんだけど。やりにくいったらありゃしない。そのせいか分からないけど、ストレスが原因の突発性難聴になっちゃって左耳の調子が良くない。聞こえが悪いし眩暈もするし、いろんな音が半音下がって聞こえる。気持ち悪いの最高潮。

 前期が終わるということは後期の準備をしなくちゃいけないということ。時間割はどうしようか?どの分野に進もうか?などなど……。考えるべきことは山積みである。一年生の間は幅広く学ぶ、みたいなスタンスの授業構成だったけど後期からは二年生になったときのことを考えなくちゃならなくなる。(身バレ防止のため詳しいことは伏せるけど)わたしの大学はちょっとばかり特殊で、まるで高校の科目選択・文理選択のようなことをしないといけない。おまけに面接付き。希望が通るとは限らない。やりたいこと、学びたいことが確固としてある人にとっては残酷な制度かもね。わたしはその時その時によって興味があることだったり、やりたいことが柔軟に変化するタイプの人間だから、良く言えば好奇心旺盛でなんでもやってみたいと思える人、悪く言えば飽き性でコロコロ変えがちな人、かな。つまり、やりたいことがたくさんあって、その色々から選ぶことができるから「これ!」と決まっていることがそんなにないということ。もちろん、今のところ進みたい分野はあるけれど。どう転んでも上手くいく可能性は高いけど、仮に気の進まない分野に進んだとしたらそれは完全に不一致になるかも知れない。意欲の低下に繋がっちゃうかもね、きっと。やりたいことはやりたいけど、やりたくないことは徹底的にやりたくない、みたいな感じです。

 とにかく、今やるべきこと(レポートやら学期末テストの勉強やら)に向き合いつつ、来年どうしたいか、これからどうしたいかについて考えないといけない時期を迎えようとしているということです。

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