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孤独な超能力者。宮部みゆき/クロスファイア

いくら見つめても右手から炎が上がることはなかった。平熱を超えることもなく、指先の向こう側が揺らめくこともない。私は今日も変わらないどこにでもいる一般人のようだ。

超能力が扱われる作品を読み終わったあとは必ずと言っていいほど「ふっん!」の掛け声に合わせて右手に力を入れてみる。一般人を自称するくせに一般的な26歳の言動とは思えない。

超能力が物語のツールとして作用する時、超能力者は圧倒的な存在としてが登場することが多い。
ただ"圧倒的"に限って言えばこの世界にも存在する。底なしの財力、他者を寄せ付けない運動神経、存在そのものに感謝される顔面、じゃんけんに負けない運、あとは人を惹きつけるカリスマ性なんかは超能力に最も近いかもしれない。そう考えるとなんだかこの世は超能力者だらけにも思える。

しかし彼らは圧倒的であって、絶対的ではない。超能力者は、完全な意味で人の能力を超えた存在であり、人に課せられた法やルールに縛られない絶対的な力を持つ人間のことである。

青木淳子は常人にはない力を持って生まれた。念じるだけですべてを燃やす念力放火能力―。ある夜、瀕死の男性を“始末”しようとしている若者四人を目撃した淳子は、瞬時に三人を焼殺する。しかし一人は逃走。淳子は息絶えた男性に誓う。「必ず、仇はとってあげるからね」正義とは何か!?裁きとは何か!?哀しき「スーパーヒロイン」の死闘を圧倒的筆致で描く。
BOOKデータベースより

この物語は2人の主人公の対比で書かれている。
主人公の淳子は念力放火能力(パイロキネシス)を持った超能力者だ。指先一本で対象を炭にすることができる。彼女はこの力を自らの正義のために行使する。その正義とは法の抜け道や空白をを極刑で埋めていく正義だ。
対して、原因不明の焼死事件を追う石津ちか子は婦人警官である。彼女もまた正義のために奔走する。この正義は警察という組織の意義にあたる正義、つまり法である。
この関係から2人の正義ぶつけ合いで物語は進みそうだが、私はあらすじに書いてあるような「正義とは何か!?」はテーマではなく、個人対組織、もっと言えば少数派と多数派の関係が対比構造がテーマに置かれているように見えた。

気づいて欲しいと、淳子は心から願った。なぜなら知っているからだ。自分の倦怠、自分の不満、自分の欲求を、罪もない他人の命と引き換えにするような人間の末路がどうなるかということを。少なくともあたし、青木淳子は、そういう連中をどう扱うかということを。
上巻p.102

淳子は絶対的な力を持つが故に誰とも分かり合えず能力を隠しながら孤独に生きてきた。物語の中で彼女が出会う人たちは悪意に殺される犠牲者、または淳子が殺戮する対象として描かれる。出会いと別れを虚しく繰り返し、誰とも結ばれない手に燃えたぎる正義を纏いながら彼女は1人で突き進んでいく。

反面、婦人警官ちか子は様々な出会いを通じて真相に近づく。捜査の中で彼女は仲間を増やし、協力者に囲まれながら着実に一歩ずつ正義の道を進んでいく。そしてなによりちか子の出会いには"別れ"が用意されていない。
この極端すぎる対比が淳子の孤独を際立たせていた。

物語の後半、淳子は同じような超能力をもつ集団ガーディアンと接触し、そこで相手を"押す"力を持った浩一と出会う。誰とも分かり合えない秘密を共有できる相手との出会いは2人が恋人関係を結ぶ理由に十分すぎるが、やはりこの出会いすら悲しい別れに結ばれる。

「幸せというのは、いつだって点なんです。なかなか線にはならない。それは真実も同じですがね」
下巻p.355

伸ばした手は誰とも繋げない。そんな悲しいことがあるか。超能力者はみんなに親しまれるヒーローとして書かれることが多い。しかし現実は超人的な存在、人の形をした人ならざる者は脅威であり社会から排除されるのだ。
ラストシーンで多少救いはあったが…なんともやるせない物語。本を閉じた私は平熱を保った両手を静かに握った。

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