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ねこすけ物語

先日、16年と半年の年月を共に過ごした、我が家の三毛猫を看取りました。

大切な存在である猫の看取りまでを経験したものとして、今の気持ちを記録しておこうと思います。

まず、私たちは猫を飼っていますが、もともとは野良猫で、希望して飼ったわけではなく成り行きで飼うことになりました。
一生に二度と同じことはない経験ですし、私達家族とねこの物語をどこかに記録したこともないので、いいきっかけですからこちらに記載しておきたいと思います。

なにしろ大昔の出来事ですから、ゆっくりと思い出しながらできるだけ正確に書いていきます。

出会い

17年前、私が小学2,3年生くらいの時でした。3つ上の姉も昼間家にいたので、おそらく休日だったのでしょう。肌寒くなり始めた、11月初旬のことです。

どこからともなく、激しい猫の鳴き声が聞こえました。止まることなく、何度も何度も。

15分くらいでしょうか。いつまで経っても鳴き止まない声に、私たち姉妹は危機迫るものを感じ、鳴き声の出どころを探しに階下へ降りました。

声を頼りに探し続け、見つけたのは駐輪場の奥の物置に置いてある台車の下でした。泣き続ける子猫。猫は鮭とミルクが好きと幼いながらも知っていた私たちは、ちょうど前の日の晩御飯が焼き鮭だったので、焼き鮭と温かいミルクを持って行きました。

怯えてるのか、なかなかご飯に近づこうとしません。姉が根気強く声をかけ続け、ようやく猫が少しづつ台車の下から出てきてくれ、恐る恐る鮭とミルクに口をつけました。これが私たち家族と猫のご縁の始まりだったのです。

鮭とミルクを平らげた猫ですが、今度は身体が真っ黒なのが気になります。家の中につれてお風呂で洗ってあげました。そうするとお湯が赤く染まるので、どこかから出血してるのではと思い近くの動物病院に連れて行くことにしました。

翌日動物病院につれていくと、まだ生後一週間も経っておらず、体中ダニとノミだらけで掻いてしまい血がでていることがわかりました。「親猫に捨てられたんだろう」と先生は言っていました。親猫とはぐれ、カラスに追われて台車の下に逃げ込んだ、そんなところでしょうか。

誕生日は2005年11月1日と定められました。私達は猫を飼うことなんて想定していなかったので、体調が回復したら野良猫に戻そうと考えており、名前はあえてつけることはありませんでした。

なんでも人の名前に「〇〇すけ」とつけて呼ぶ母だったので、猫は我が家で便宜的にねこすけとよばれはじめました。

ご飯をたべ、身体も綺麗になったので野生に戻しました。ですがその後も餌に困っていたのでしょうか、毎朝5時になると我が家のドアの前で鳴くようになりました。

母が毎朝起きて、卵とごはんで温かいおじやを作り、与えていました。猫は家のなかには入ってくるものの、玄関までしか入ってこず、足をそろえてちょこんとごはんができあがるのを待っているのです。

そうやって毎朝餌を与える関係が始まり1ヶ月か2ヶ月経った頃、毎日来ていたねこすけが2週間ほど姿を見せなくなりました。野生に帰ったのだろうか、まあそんなに執着していなかったし、お別れだね、と家族では話していました。

その頃、当時22時から放送していた「女王の教室」を姉と母と見ていたのです。いつものように女王の教室を見るために遅くまで起きていた私たち兄弟は、ドアの前で一度だけ「ニャア」と声がしたのを耳にしました。私と姉だけ聞こえ、ねこすけかもしれない、とドアを開けると、そこにはおなかを大きくしたねこすけが立っていました。妊娠しているようです。歩き方もなんだかおかしい。

そこから私達は動物病院に夜電話をかけ、深夜12時ごろねこすけを抱き抱えて家族みんなで病院に向かいました。骨折の治療と、また妊娠していましたが、うちでは育てることができないので手術をし、避妊手術もしてもらいました。

骨折の治療のため、安静にしていなくてはいけないので、うちでまた預かることとなりました。

回復した後も、ペット禁止のアパートに住んでいたため、父親が何度もねこすけを外に連れて行き野生に返そうとしたのですが、何度も戻ってくるのです。

そのようにして、ねこすけはわたしの家の正式なペットとなりました。

ねこすけは遠慮がちで控えめ、臆病な猫でした。動物にもHSP(Highly sensitive person)という概念があるのならまさにHSPだろうというくらいには繊細でした。
家族がただならぬ雰囲気のとき、来訪者があるとき、掃除機の音がするときは自分の落ち着く場所で閉じこもっていました。
同時にとても優しい猫でもありました。どうしてわかるのだろう、というくらい、私が落ち込んで沈んでいる時は近くに座ってこちらをジッと眺めているのです。また、母親が体調を崩している時は決まって横で眠っていました。いつもは、わたしたちに自分から近寄ったり甘えたりすることはないのにです。

ねこすけは家族の共通の話題になり、場を和ませてくれる存在であったと思います。わたしも親に笑って欲しくて、ねこすけを使った記憶もあります。

ほんとに大きなものをもたらしてくれました。
死後も尚、です。そのことについては第二弾で書こうと思います。
おわり!


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