大高宗馬さん - 日本のいなかの町づくりをしたい人
多国籍チームでの実務
私は建築学の修士課程2年目です。が、去年(2022年)の12月から休学して奨学金で渡英し、設計事務所のジュニア・アーキテクトとして働いています。KPF(Kohn Pedersen Fox)というアメリカに本社がある大手の建築会社のロンドン事務所で、ヨーロッパやアジア、世界中から様々な国籍の人が集まっています。
5~6人のプロジェクトチームの中で、リーダーの指示に従い、コンペのアイディア出しをしたり、図面を引いたり、ポスト・セールスのリサーチを進めたり、幅広い実務に携わっています。
多国籍チームでディスカッションしながら仕事をするということは望んできた環境ですが、英語がまだまだな私にとって、会議はいつもリスニングのテストのようなものです。全力で集中してもわからないことは周りの人に追加で教えてもらったり、準備を工夫したりしながら、なんとか役に立とうと必死で頑張っています。
建築を選んだきっかけ
私は子供の頃から生きものが好きでした。建築に進まなければ獣医になりたいと本気で考えていた時期もあったほどです。
子供の頃は、セキセイインコや、お祭りですくってきた金魚を飼っていました。それもかわいかったですが、本当はずっと自分の犬が欲しいなあと思っていました。
でも、当時住んでいた小さなアパートではそれが許されないことは分かっていたので、住みたい家の想像を膨らませて絵を描いたりしていました。大きな犬と住める夢の家です。建築、設計に興味が芽生えたのは、そんなところからだった気がします。
故郷の町の思い出
来年の夏には復学の予定ですが、私がロングスパンで仕事にしていきたいと思っていることは、実は、日本の田舎のまちづくりです。
大きな都会よりも、地方の田舎町に関心があります。日本の各地にかつてあった風景、それぞれの土地の歴史を背負った小さな伝統や産業が息づいていて、住む人たちも未来に希望を感じていきいきしているような、地方の町を作る人になりたいと考えています。
その理由を問われると、昔話になってしまいますが...
一つ目の話は地元の街並みの話です。
うちの近所には、立派な邸宅が何件も立ち並ぶ、お屋敷町がありました。キンモクセイやマメツゲの生垣にぐるりと囲まれているような、古い日本建築です。木造の立派な門が開いている時には、奥の玄関へと続く敷石や、手入れの行き届いた庭木の様子を垣間見られることもありました。別世界のようでしたが、わたしはその、遠くまで生垣がずらっと並んでいる景観が好きでした。
ところが、ある時から10年ほどの間に、それらのお屋敷が次々と姿を消し、潰された跡地には小さな住宅が4〜5個建ち並び、街はがらっと様変わりしてしまいました。
当時まだ子供だったので、それが専門的な視点から良いことか悪いことかというような判断はできませんでした。でも、なんとなく、愛着のある街並みが、すごい速さで全国どこにでもあるようなハウスメーカーの宅地に変わってしまったのは、ちょっと嫌でした。
大学に入り建築や都市を勉強すると、それがいわゆる「ミニ開発」と呼ばれる、まちの住みやすさをそこねる開発手法だと知ることになります。
二つ目の話は私の祖父が経営していた、小さな和菓子屋の話です。
車道と線路に挟まれた、小さな古い木造の家の一階が和菓子工場で、二階は祖父が寝起きする部屋でした。子供の頃、学校の終わった後や休みの日に、その工場に手伝いに行くのが、私は好きでした。小さな和菓子に季節の風物を映す工夫に、伝統工芸の楽しさを感じていました。
その和菓子屋は、私が高校生になる前に大手の食品メーカーに押されて潰れてしまいました。祖父母は経済的にかなり苦しいところまでいき、最終的に自己破産申告までしていた記憶があります。当時、母も大変そうでした。
でも、ここ何十年かの日本ではそれと同じなことが全国的にあちこちで起きていたのだと思います。地方の伝統的な小さな産業の風景が失われていくことが。
これらの体験の背景には、日本の構造的な問題があります。短命な不動産サイクルと、地方産業の衰退です。ロンドンに来る前に地方のまちづくりプロジェクトに関わったこともあるのですが、そこでもその二つの問題が如実にあらわれていて、他人事と思えませんでした。
そんなわけで、わたしは、地方産業を助けるような建築士になりたいのです。そこに住む人が生業にする産業は、町の景観を作るとても大切な要素でもあります。
ロンドンの街並みに思うこと
今、平日はフルタイムで働いていますが、休みの日にはできるだけあちこち、いろいろな街並みや建築を見て回っています。
ロンドンの住宅街ですごいと思うのは、道路沿いに綺麗に揃っている建物の裏にコミューナル・ガーデンと呼ばれる、その区画の住人が利用できる緑豊かな共有の庭があるのです。航空写真で見るとわかりやすいですが、それが広域にわたって共有される設計の型になっています。道幅が広く、大きな街路樹も多く、それで街全体の景観が美しいというのも「参った!」と思います。
イギリスの地方都市もそれぞれに個性的な街並みです。田舎にいくとまるでファンタジーの世界に迷い込んだような古い街並みが残っていて、そんなところに2泊くらいしてまたロンドンに戻ってくると、急に時間の流れが早くなり「ああ、仕事だあ〜」と現実に引き戻されます。「オズの魔法使い」のドロシーみたいに、しばし別世界に飛ばされていたような気がするんですよね。
どこに行っても平坦な街並みになってしまっている日本のニュータウンなどに、どうしたらこんな魅力を持たせられるだろうかと、私はいつも考えこんでしまいます。
もうひとつ、ロンドンに来て気づいたのは、建築のDX(デジタル・トランスフォーメーション)やコンピューテーショナル・デザインが、日本のそれよりもだいぶ進んでいるということです。あと1年、こちらにいるうちにそのようなスキルをできるだけ吸収して日本に持ち帰りたいと思います。
本当は他のヨーロッパの都市も見てみたいとは思うのですが、航空券は高いのでたくさんは行けません。それでも帰国前にお金をためて、何ヶ所かはヨーロッパの他の国の古い街並みを見に行けたらと思っています。ベネチアとか、行ってみたいです。
脊髄反射で動いてみる
先日、英国赤門学友会のパブ会に初参加しました。金融関係の方が多く、在学中の身の私はいちばんの若手でした。でも、普段関わることのない方々との交流の中で予想もしなかった話をきいて視野がひろがることもあり、とても楽しい時間が過ごせました。
私は、誰かに聞いた「センスは移動距離に比例する」という言葉っていいなと思っています。同世代のことを思うと、みんな論文を仕上げねばとか就職を決めなければとか、目の前のゴールに精一杯になってしまいがちなのですが、若いからこそ、ちょっとでも興味があれば、考えすぎずに脊髄反射で飛び出してもいいのではないかと思います。
今、そうして好きなことをさせてもらっている自分はすごく恵まれていると思います。
推薦状を書いてくださった先生、受け入れてくださった職場、奨学金を出してくださったウシオ財団、そして、きちんと育ててくれた両親に、感謝しています。この先、良い仕事ができる建築家になって社会に恩返しをしていきたいと思っています。