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上手に生きられない。でも、

上手に生きられる人が羨ましい。

最近、生きるのが上手な人が周りに多くて息苦しさを感じてしまうことが多々ある。

もしかしたら私も少しは上手く生きられるタイプかもしれないと思うことはあるが、それでも私の周りにいる人間には到底及ばない。

私は自分の人生で妥協ばかりしている気がする。普段は意識していないけど、いまよく考えてみたらかなり普段から妥協しながら生きている。

どうせ自分なんか、が常に頭にある。自分が何かの中心にいないことが当たり前になっている。これは私がやらなくても他にもっと上手くできる人がいるし、と思ってしまう。そしてだいたい私の方が上手くやれてたなぁって思う。ほんとうにタチが悪い。が、それを言うことができないのでどうにもならない。言ってみようとも思わない。

ほんとうはもっと主体的に生きたい。先生は主体的な子が好きなんでしょ。
もっと主体的になれって言う。主体的な人間しかいない社会がまわるのかよく考えろ。どうして全員が全員同じようにならないといけないのか。

きっと上手に生きられる人は自分を使い分けることができるんだ。先生が求めている人間になろうとしてなれる。人事が求めている人材を演じることができる。

私にはそれができない。だってそうでしょ。それは私じゃないから。
私は私でなくなってしまったら終わりだと自分で思ってる。
自分だけは持っていないとダメだ。自分のことは自分で守らないと。
本当の自分を守ることができるのは私しかいないんだから。

どんなに生きづらくても自分でいられないようなら意味がない。生きている意味がない。周りに合わせず、誰かが求めている自分にもならず、自分のまま生きていきたい。

そしてそれを認めてくれる人だけを大切にして生きていきたい。


いいんだよ、自分のこと大事にしてくれない人なんて大事にしなくて。
自分のことを大事にしてくれる人だけを大事にして生きていかないとパンクしてしまう。

私は生きるのが下手くそだなと思うことが日々生きていて多いけど、だからと言って上手くなりたいとも思わなくて。生きるのが下手な分、同じような人だったり、自分よりも生きづらさを抱えていたりする人の気持ちに寄り添えると思うから。

書き出しで 上手に生きられる人が羨ましい なんて書いたけど羨ましがることなんてないのかもしれない。

上手に生きられない自分を愛してあげようと思う。


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