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比喩。持論・弐

ありがたいことに第1回・思考についての持論に好評をいただき、第2回を書く気になった。
この回では、会話や人間関係において多用される「比喩」について持論を述べる回にしようと思う。
前回ほど長い文章にはしないつもりなので、サクッと読んでいただけると嬉しい。


なぜ比喩を探るのか

はじめに、なぜ私が第2回に「比喩」というトピックを選んだかという理由について説明する。
ひとこと「ハッと思いついたから。」と言えばそれまでなのだが、
もう少し文章を書かないとnoteとして読みごたえがないだろう。
以前もnoteに記載したが、YouTubeで相対性理論や量子力学など、物理学の解説動画を見るのが私の最近のマイブームである。先日も移動中にその動画を聴きながら運転していたのだが、そこでの話に「物理学は言い換えようと思えばいくらでも言い換えが可能である。ただその本質はいつも一つであり言い換えができたところで何の新しい発見にもなっていない。」というものがあった。
その言葉がずっと頭に残っており、ふと人間は例え話を多用するよなあと思った瞬間にリンクした。
そうか、僕たちがいつもする例え話や比喩はただの外堀でありその中にもっと大切なものが隠れているのか。と。
そう思った瞬間私の思考は停止を知らず、車と共に走り抜けた。
それと同時に、比喩はコミュニケーションにおける大切な手段であることにも気づいた。

比喩の意味を調べてみた

車で比喩について考えついた結論を書く前に、辞書的な比喩の意味を見て深掘りしていこうと思う。
辞書的な意味は以下の通りである。

比喩

比喩(ひゆ)とは、一つ事象概念を他の事象概念例え表現する手法である。具体的な事象感情抽象的な概念置き換えることで、理解しやすく、印象的な表現作り出す。比喩は、文学作品日常会話広告など多岐にわたる分野用いられる。 比喩には、直接的な比較を行う「明喩」や、間接的な比較を行う「暗喩」など、様々な形式存在する例えば、「彼の頭脳コンピュータのようだ」という表現明喩であり、「彼はだ」という表現暗喩である。また、比喩的な表現は、時にはそのまま新たな語彙として定着することもある。例えば、「ウェブサーフする」は、インターネット上で情報探す行為を、海上サーフボード乗る行為例えた比喩表現である。

実用日本語表現辞典

かっこつけて深掘りとか書いたけど、別にこれ以上でもこれ以下でもなさそうやな。辞書ってすげえ。
この辞書の説明を読んで、比喩とは純粋にある概念を他の事象で例えるだけのものだと思っていたが、文学的に用いることで、多少意味が伝わりづらくなっても読み手の記憶に残りやすい独特な印象を残すことができることに気がついた。
ただ、「比喩の意味」に関しては、
"一つ事象概念を他の事象概念例え表現する手法である。"
この説明に尽きると思う。ただ単に、「例え」である。

意味から紐解く比喩の使い方

比喩は、たくさんの場面で使えるものである。というか日常的にほぼ全ての人が使っている。
一つ有名な比喩を取り上げる。「人がゴミのようだ」は、某大佐が放った言葉であるが、もちろん人はゴミではない。このセリフは、人がゴミのように簡単に静粛できてしまうのか、はたまた何も見えないくらいたくさん見下しているのか、それ以外の意味があるのか。このセリフはおそらくみている人に理解を委ねている。
このように、比喩文章自体に現実的な意味はないが、その意味の中に本質が隠れている。これが比喩である。つまり比喩文章自体に意味はない。それを聞き手が自分なりに汲み取って本質として捉えているのである。
このように、比喩の使い方は、うまく言語ができない概念や事象を、全く別の意味のない文章を用いて表現することで、本質の感覚を相手の中に送り込む手段である。

比喩の本質

この章に自分の1番大切なことを書こうと思って手が進まず、一日寝かせてみたらまとまるどころかすっかりスカスカになってしまった。なんてこった。

僕たちは日常的に比喩を多用している訳であるが、極端に言えばその言葉自体になんの意味もない。その言葉のみを聞いて理解したとしても本当の理解には繋がらない。
ではなんのために日本人は比喩を多用するのか。
それは周囲の人間との会話レベルとの相違を軽減するためである。
これはどちらが優れているとか劣っているとかの話ではない。
前回の投稿で詳しく述べたが、人間はそれぞれの生まれ育った環境によって高次思考により生活しており、そのクセや特性は唯一無二で同じものは一つとしてない。
そのため会話に齟齬が発生するのを防ぐため、比喩によりトピックの一般化を図り本質を伝えているのである。
高次思考にクセが存在するせいで、比喩を用いてもその文体のみでは若干の誤解が生まれる可能性がある。比喩はおそらくその程度なのである。
そのため、比喩の本質は、その中身である。
比喩を使った者が何を伝えたいか。その本質は何かを見極めないと、その者の意見を完全に理解したとは言えないのである。
この本質を自分なりに理解して他者との共通認識にできる人間が、コミュにケーションの上で信頼関係を気付けたり、相手に好印象を与えられる人であると僕は考える。
時に比喩を使われた人は、自分なりの語彙を用いた比喩で聞き返すことがあるが、これはとても理想的で、お互いの語彙で本質を表現し、お互いに理解できれば、そこで初めて意思疎通が図れたことになる。その上、お互いにこの人はわかってくれているという安心感をも与えることができる。
このように、比喩をうまく使えて、うまくその本質を理解できることがコミュニケーションにおける重要な点なのである。

以上のことから、僕は比喩の本質は、コミュニケーションにおける自身の意見の本質を効果的に伝えるツールである。

おわりに

さて、この投稿の締めに入るが、書き終えて読み返すと、なんだか当たり前のことしか書いてないような気がしてきた。
しかし、当たり前のことであっても、自身の経験やクセを鑑みて、ある事象について深く考えることは非常に有意義なことだと思っている。
自己理解にかなり有用な手助けになってくれるし、それを文章化することで記録もできる。
この投稿を始めてから、日常生活における些細なことも深く考えるようになったし、それを記録することで記憶にも残り、新しい発見にもつながることが増えてきたような気がする。
皆さんもぜひ当たり前だと思っていることを振り返り、今一度考え直してみてはいかがだろうか、きっと有意義な時間になることだろう。

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