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評価。持論・参

浮かんだ持論を徒然なるままに記録する持論シリーズ3回目。
今回は、人間生活を送る上で必要不可欠な「評価」についてまとめる。
この内容にはかなり自信があるので、ぜひ最後まで読んでいただきたい。
また、読み手によっては至極当然のことしか書かれていないと感じるかもしれないが、この文章は私の記録としての役割も兼ねているため、容赦してほしい。


はじめに

 さて、私が大学を退学して本業カメラマンフリーターになってからはや1ヶ月が経とうとしている。カメラマンをおこなう傍ら、生活のために接客をメインとする車関係のアルバイトをしているわけであるが、その職場において大学生ではない一社会に出ている人間としてのあり方や行動を再確認することが増えた。
 そこで、アルバイトという小さいコミュニティの中のみであはあるが、自分の評価について考え、そのためにどのような行動や言動をとるべきかについて現時点の指標ができたので、ここに記録する。
 新生活が始まり、新卒社会人として働く人、これから就職を控えている大学生、毎日身を粉にして労働に勤しんでいる社会人。すべての生活する人にとって有意義な文章になると自負しているので、ぜひ読んで参考にしていただけると幸いである。

人間の評価はどのようにしてされるか

 さて、皆さんも想像ができる通り、この世界には非常にたくさんの人間がいて、それぞれが役割を持って行動することによって成立しているわけであるが、その中でも評価される人、されない人がいると思う。では、その評価はどのようにされるのか、自分なりに深掘りして考えたのでこの章に記す。
 いきなり本題から逸れるが、前回までの投稿を読んでいただいている方にはわかると思うが、私の最近のブームは相対性理論や量子力学といった近代的な物理学について学ぶことである。これを学ぶことによって気づいた至極当然だが重要な要素に「物理学は相対的」がある。これは、物理学には必ず観測者がいて、観測者から見た物体などの動きがどのように見えるか、を研究しているということである。これを知った私は、人間の評価も相対的であることに気がついた。
 「評価」というものは自分1人では決定ができない。2人以上の人間がいて、初めて成立する概念である。例えば、「Aくんは走るのが早い」という評価は、他人が自分の能力と比べてAくんのが優れているという事実からくる評価である。このように、他人が評価対象をどう見るかによって初めて評価というのは決定されるのである。私はこの面から、人間関係における評価も物理学と同じで「相対的」であると思った。
 人間の評価というものは、他人がどう見るかによって相対的にされるといっても過言ではない。

評価に関わる2つの要素

 さて、「評価」が相対的に観測者がいて初めて成立するということを述べたわけだが、では、観測者(評価をする人)はどのような基準や条件を持って評価をするかを述べていく。
 「評価」の指針には対象的な2つの要素があると考える。「客観的評価」と「主観的評価」である。この2つについて、簡単に、詳しく説明する。

客観的評価

 これに関しては、誰もが同じ基準で見分けることができる指標である。例えば、私は今接客系の仕事をしているので、そこでは個人の売上高である。職人系の仕事であれば、技術の熟練度、作業速度などが挙げられる。また、学生にとっては、GPAやテストの点数などが客観的評価である。この例のように、誰が見ても概ね同じような評価をする事象が客観的評価である。これはその人が属している環境によって左右はされるが、その環境にいない人でも、ある程度同じような評価をすることが可能である。これを読んでいるあなたが属している環境において、何が客観的評価かを考えてみればすぐ思いつくだろう。

主観的評価

 客観的評価とは反対にもう一つ、主観的評価がある。これは簡単にいうと、評価する人が評価対象を気に入っているかどうかである。これは客観的評価とは違って、数値化や可視化が困難であることが多い。例えば、私の職場であれば、その店の店長や社長が、自分の人間性をどう見ているか。学校で言えば、授業態度がどうであるか、学習に対する姿勢はどうか。などである。この主観的評価に関しては、評価者の人間性によって左右され、人によって全く違う尺度での評価になる。これはコンピュータなどのデジタルテクノロジーが発達した現代では、さらに重要な評価指針である。

2つの評価要素のバランス

 2つの要素について説明したが、この2つがどのように評価に影響するかを説明する。
 まず1番に自分が思うことは、評価は主観的評価がおおよそ8割を占めているということである。いち仕事に関しては、人間一人が行なっているわけではなく、たくさんの人間がそれぞれ同じ目的に向かって協力しながら行なっている。言ってしまえば、客観的評価を得ることはひとりでも十分可能であるが、主観的評価は人との関わり合いのなかで得られるものであり、これが仕事の本質である。そのため、主観的評価の方が全体の評価における比重は自然と重くなる。

主観的評価を得るには

 さて、ここまでで評価について細分化して分析ができた。結果主観的評価が全体評価に与える影響が大きいということがわかったが、主観的評価を得るにはどのように振る舞うべきかを記していこうと思う。主観的評価を向上させる自分なりのステップを以下に説明する。このnoteは完全持論であるので、反対や意見大歓迎である。

  1. 評価者を見極める

  2. 評価者の評価基準(ニーズ)を知る

  3. 評価基準について自分ができる行動を探る

  4. 行動する

  5. 評価者の評価を探り評価基準を精査する

  6. 3.に戻り繰り返す

 簡単にこの6ステップである。順を追って説明すると、まずはじめに自分は今いる環境で1番は誰に対しての主観的評価を得るべきかを見極める。これは店舗であれば店長、会社であれば社長、などおそらく見極めは容易であろう。
 評価者が誰かを見極められたら、評価者はその環境において何を求めているか、どのような振る舞いを期待しているかを知る。ここであえて「知る」としているのは、おそらく正解は得られないし、それに対する正解も自身では出せないからである。当たり前だが、評価者は自分ではない。自分ではないということは答えは分かりようがない。しかし、会社の目的や目標などの客観的事実から推測ができたり、評価者も人間であるので、その人の客観的に見た特性がわかれば、ニーズを知ることはできるだろう。ここで注意されたいのは、必ず客観的にみることだ。自身の感情でこの人はこう思っているはずだ。などと決めつけてはいけない。必ずその人がとった行動や言動などの客観的事実から推測するべきである。
 ニーズが知れたら、そのニーズに対して、自分が何をできるかを考える。ここは大いに主観的に考えてよい。自身が行うことであるので、内から湧き出す感情から意思決定を行うべきである。ここで注意されたいことは、無理をしてまでニーズに完璧にそう必要はないということ。自身の意思に反してまで行動を起こすと、自身の肉体にも精神にも悪影響であるため、そこまでするべきではない。というかするな。マジで。経験者語ってる。
 自身のすべきことが決まれば、行動する。実はここが簡単そうで難しい。人間は考えることができても、実は行動することが難しいことがある。大きなことを急にやるのではなく、自身が考えた中で自分が1番すぐできそうな小さいことをすぐやる。そこから始めるといいと思う。
 評価者に対して行動ができたら、そこで終わらせてはいけない。評価者にどんな評価をされたかを客観的に見る。ここも客観的に見なくてはならない。主観的にこう思われたかなとかを決めつけないようにする。客観的にみる指標としては、評価者の行動、表情、言動がある。評価者が表現した事実のみから解析し、どのような基準で評価されていたのかを見極め、改善点を練る。
 改善点がわかったら、3に戻り、自身の行動を改める。評価者の振る舞いを客観的に解析するとは言ったが、自分も結局は人間であるため、その振る舞いを見て自分がどう感じているかをしっかりと深めたい。活動の中でゆっくり考えることは難しいかも知れないが、できるだけ冷静に、自身の感情がどうであるかを生身で感じてほしい。それを踏まえて自分ができることを素直に考えるべきである。自身の意思に反して行動することは、自分の精神状態に悪影響を及ぼす可能性が大いにあるので、必ず自身の感情に正直である必要がある。
 あとはこのサイクルを何回も繰り返し、自身の特性と、相手の行動を擦り合わせていくだけである。

うまくいかないときは

 ここまで理想的な評価を得るための行動サイクルを説明してきたが、人間同士の関わり合いであるため、自分の振る舞いと相手の振る舞いが噛み合わない時があるのは当然のことである。おそらく人は(私自身は特に)そんな時、相手の感情を深読みしすぎて、自分がどうするべきかを見失ってしまうことが多いと思うが、そんな場合は一度自分だけの空間に戻り、自分主体で物事を考えるべきである。
 意外と気付けないと思うが、世界で1番大切なのは自分自身である。逆にいうと、自分以外のことは考えても答えは全く得られない。そのため、何か迷いが生じたときには、一旦その相手のことを考えるのをやめ、自分自身のことだけを考えるといい。自分がどう感じているか。自分がどう振る舞いたいか。自分の価値は何か。そんなことを一度一人で考え直していくと、自ずとどうするべきかがわかってくるはずだ。
 繰り返しになるが、世界で一番大切なのは自分自身であるため、自分の感情や特性に正直に生活していくべきである。

最後に

 今回の記事では、「評価」について深掘りし、それを得るためにどう振る舞うべきかについて持論を述べた。持論であるため、必ずこの通りに振る舞えば結果が出せるわけではないが、これからを生きる若者に大いに参考になると自負しているので、自分なりに生活していただきたい。
 人生に結果はない。全て過程の連続であるため、大いに道草を楽しんでほしい。そこでもっと大切なものが見えてくるだろう。

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