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踵骨骨折奮闘記③

「関心を伝える」(約3000字)

奮闘記②の終わりにつぎは入院生活編と書きましたが、その前に「関心を伝える」と題して、ケアする上での大切な要素について考えてみたいと思います。

さて、踵骨骨折を負い緊急入院するということを決めた私でしたが、仕事中だった妻とようやく電話で話すことができたのは入院することを決めて改めて足の処置を受けているときでした。
救急の看護師さんからは「奥さんに怒られるんじゃないの?」と受傷したことをとがめられることを心配していただきましたが、この質問には少なからず違和感がありました。世の男性、特にお父さんはそんなにも奥さんから怒られているものなのでしょうか?そして、看護師として他に私に聞くことはないのでしょうか?

幸い我が妻は良くできた人で、「けがを負ってしまったものは仕方ないし、そんな怪我負っている人に追い打ちかけても、だれも得しないでしょ」と怒るでも責めるでもなく気遣いの言葉をかけてくれる人でした。これは、ほんと安心できたなぁ。

私の右足にシーネ(ギプスより簡易な足を固定する硬いやつ)を添えて包帯でぐるぐる巻きにする処置を終えた他の看護師さんからも「奥さん怒ってなかった?」と笑顔で聞かれました。続けて聞かれるということは、自損ということで「何やっているの!仕事どうすんの!!」とやっぱり怒られる事案なのでしょう。もしくは、看護師さんの習性でしょうか。しかし、我が家には当てはまりません。

そんなことを考えていると、事務員さんがやってきて入院のしおりや同意書そして高額療養費の手続きの説明をしてくれました。
「病棟は2階の病棟になります」
「同意書には3か所サインしてください」
「病衣は借りられますか?借りる場合はこの書類にサインしてください」
「病室にはテレビがありますが、見る場合はテレビカードを1000円で購入してください」
「テレビを見るときはイヤホンを使ってください。イヤホンは〇〇円で売ってます」
と息継ぎをする暇もないくらい矢継ぎ早に決断を迫られる感覚でした。

書類に目を通していると、続けて地域連携室の相談員さんがやってきて、「入院中の困りごとがあればいつでも相談を」と説明されました。『同業者!』と心の中で値踏みしながら説明に耳を傾け、さて、職業や生活のことを聞かれたらなんて答えようかと考えていたのですが、説明を終えると相談員さんは去っていきました。

ここでようやく気付くわけですが、医師も、看護師も、事務員も、相談員も、私の仕事や生活についてあまり詳しくは聞いてきません。「お仕事は?」<自営です>「そうですか」というやり取りくらいで終了です。「自営は、どんな仕事ですか?」と聞かれたら答える用意はありましたが、「ココの人たち」は詳しく聞いてきません。入院した後に病棟の看護師さんのアナムネで聞かれるのかなと思っていましたが、入院後も一向に聞かれることはありませんでした。

『みなさん自分の業務を全うしているのだろうけど、私(の生活)に関心がないのかな?』

精神科病院で勤めていた頃の私は患者さんの生活歴をしっかり聞きっていました。根掘り葉掘り言いたくないことまで聞くことはしませんが、これから支援するにあたって「あなたの生活に関心がある」ことを伝え、支援に必要な情報を聞き取りしていました。この「あなたの生活に関心がある」ということを伝えることに意味があると考えていました。そのメッセージを感じ取ってか、患者さんやご家族さんも私の質問には協力的に答えてくれる方が多くいらっしゃいました。
だから私も、「骨折の治療が進み退院した後、家で生活したり仕事するにあたって支障がないか、もしあればどうすれば取り除けるかを一緒に考えるために、あなたの今の生活を教えて欲しい」などと質問の意図を説明されれば、きっと喜んで話しただろうと思います。
しかし、、、。

私は、関心を持たれていないことに「ムッ」としていました。『やっぱり医療者っていう人種は治療のことにしか関心がないのかな』と半分あきらめの気持ちもあったと思います。そして、『私は違う、私は支援にあたる者の心得として、患者さんが私のことをそう見ているということに注意を払ってきた』という自負も思い起こしていました。
ただ、『患者じゃなくもっと生活者として私のことを見てよ』という思いが傲慢な自分も呼び起こしてしまって、この後の「ココの人たち」に対する態度に変化を与えてしまったようにも思います。

そして、「ムッ」としたと同時に、自分がかつて医療機関に勤めていたことを隠したい気持ちがあることにも気づきました。『私が同業者だったと分かれば、妙な気を使わせてしまうのではないか?』と思っていたからです。(相手もプロなのだからそんなことはあり得ないでしょうが、、、)だから、「お仕事は?」<自営です>「そうですか」くらいのやり取りで済んでよかったなぁと思った自分もまた偽りのない自分自身なのでした。

このように入院する直前の私は、『もっと聞いてよ』という気持ちと「ほっ」と安堵する気持ちとが同居する複雑な心境になっていました。そして『この病院で大丈夫か?』という思いを持ったまま入院してもいいものかという不安が少しずつ大きくなっていくのを覚えました。怒りや戸惑いです。
でも、『とにかく落ち着きたい』『痛みを何とかしたい』『今更別の病院になんて面倒くさいし迷惑になるし』という思いが勝り、入院することを選びました。

ストレッチャーで運ばれているときに、ふとヨーロッパへ団体旅行をしたことを思い出しました。添乗員さんが同行してバスや列車を乗り継ぎ東欧の国々を巡る旅だったので、添乗員さん頼みのところが大きかった旅です。そしてこの添乗員さん、BESTな人でした。不安になりそうなツアー参加者の心情を慮り、適時不安を取り除く行動や言葉かけをしてくれました。そのたびに私たちは不安なく旅を楽しむことができました。
極め付きは、帰りの国際空港での振る舞いです。その日は空港職員のストライキのため空港の搭乗ゲートが1,2か所に限られており、そこに向かう人、人、人でロビーはごった返していました。団体客である私たちは添乗員さんから離れまいと必死についていくのですが、人種のるつぼと化した集団に秩序はありません。横入りしたり強いものが先に行くという横行がまかり通り、徐々に添乗員さんと離れていきました。
すると「ここ、私ここにいますよ」と声がします。私たちの添乗員さん、大きな声でジャンプしながら自分がここにいることを私たちに伝えてくれました。何度も何度も。「ここですよ」と声が聞こえるたびに安心できたことを覚えています。
「私、先にゲートくぐりますけど、向こうで待ってますからね。あとからゆっくり来てくださいね。皆さんが乗らないと飛行機は飛んで行ったりしないですからね。安心してくださいね」と言って姿が見えなくなりましたが、安心してゲートをくぐり飛行機に乗り込んだことは忘れません。

『彼女のホスピタリティは素晴らしかったな。関心を伝えるっていうのはこういうことだよな、やっぱり』

とそんなことを考えていると、2階病棟に到着しました。ベッドに横たわり、骨折してから今までのことを振り返る、後悔や反省や希望を見出す時間の始まりです。

つづく。つぎこそ、入院生活編のはじまり~。

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