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未来は夢想のままがいい

私は未来について考えることが苦手だ。
10年後、5年後、1年後の自分の姿すら、遠い未来のことだと感じる。
自分のことではあるものの、どこか現実味のない、他人事のような気持ちになってしまう。私には、1ヶ月後の自分の姿をイメージすることすら難しい。

日々、今を生きるのに精いっぱいで、目の前のことしか見えていない。
それに加え、「現実的な未来」を考えるのが怖いのだ。考えたくない、とすら思ってしまう。

その一方で、「今ではないどこか」について思いを馳せることは多い。
過去を悔いたり、脳内で過去をやり直すように映像が浮かんでくることも多いが、漠然と未来をイメージすることもある。
ただ、このとき自分の脳に浮かぶ「未来」は、自分にとって「現実的な未来」ではないのだ。「こんなことがあったらいいな」「こうなってほしいな」という妄想でしかなく、本当に現実になるイメージは湧かない。あくまでも非現実的な「夢」のような印象だ。

ただ、日常で現実の未来に目を向けていないわけではない。
仕事中は大抵、「あと〇時間で退勤だ」「あと〇日で休みだ」などと考えて、どうにかこうにか頑張っている。「休める」という未来が、今を頑張る気力になっている。
しかし、ここで考えている「休みの時間」も、私にとっては漠然としている気がする。ただただ今という現実が大変だと感じるから、「休める未来」も現実逃避の一環として考えずにはいられないだけかもしれない。

「休みの日にはあれをしたい、これもしたい」と考えはするが、いざ休日になれば何もやる気が出なかったりもする。現実逃避のために夢想していた「今ではない未来」が、いざ目の前にやってくると途端に「今の現実」になってしまうからだ。
「現実から逃れるために待ち望んでいた未来」「漠然としていた楽しみ」が、「どうにもできない今目の前にある現実」「具体的な現在」になってしまう。それがなんだか、寂しくて悲しい。

「現実的な未来」は大変なものであり、「非現実的な未来」は妄想にすぎない。私の中では、そんな認識ができてしまっているようだ。

「早く実現してほしい未来がある」「今この瞬間の現実が最高に楽しい」と感じたり考えたりしていたことも、これまでたくさんあった。
最近の自分の日々を思い返してみても、そういったことが全くなかったわけではない。
とはいえ、この頃はどうしても、逃げたい現実と考えたくない未来の方が多いと感じてしまう。

非現実的な、夢想にすぎない「未来」をみる。
今の自分にとって、それが一番心地良いのだ。