見出し画像

脳を巡る言葉たち

私の脳内では、ぐるぐると言葉が巡っている。
四六時中、というわけではないが、ふと気がつくと何かしらについての思考が止まらなくなっていることも多い。

脳内の言葉は、いろんな形を持っている。
映像であったり、音声であったり、文章であったり。思考を巡らせている間の私の脳内は、大抵とても賑やかだ。

しかし、言葉にはなりきらない、ぼんやりとしたイメージを作っているときもある。無意識に近い状態で思考している場合がそうだ。
無意識の思考は、それが止まった時にハッと我に返る感覚が強くなる。何かを考えていたような余韻はあっても、元々はっきりとした輪郭を持ってすらいなかった思考だから、具体的な内容はあまり思い出せないことも多い。

一方で、無意識の思考から意識的な思考へ変わっていくこともある。そんな時は「自分は今、思考を巡らせている」という意識も強くなる気がしている。最初は無意識でぼんやりしていた脳内のイメージが、徐々に輪郭を持ち始め、はっきりとした言葉として浮かび上がる。
無意識から意識的な思考への変化というより、曖昧なイメージから具体的な文章への変化、と言った方がいいかもしれない。

私の脳内に浮かぶ具体的な文章は、主に2パターンある。
1つは、具体的な誰かに対して話しをするイメージで脳内で一人喋り続ける時。
もう1つは、特定の誰かに対してではないが、SNSに投稿するイメージで脳内で文字を書き続ける時。
どちらにせよ、思い描いた内容をいつか出力することがあるかもしれない、という前提で思考をするとき、脳内に具体的な文章が紡がれていくことが多いのだ。

前者であれば、思考のきっかけは記憶の振り返りであることが多いだろう。
「あの時ああ言えば良かった」「もっとこういうことが話したかったのに」「もっと相応しく表現できる言葉を使いたかった」などと、誰かとの会話の中での自分の発言を思い返し、あれこれと後悔する。そして、もしもう一度同じ問いをされたら、ということを考え始める。あるいは、「もしこの話題について聞かれたら、こういう内容が言いたい」と想像したりもする。
この場合、大抵は具体的な相手をイメージして考え始める。友人であったり先生であったり家族であったり。その相手に対して自分が話をする、という前提で脳内で喋り始めるため、浮かぶ文章は大抵口語である。文章、というよりもはやスピーチに近いようなものになっていくことも多い。
イメージしていた会話の相手の存在が、自分の思考が深まると共に徐々に消えていき、最終的にはただ延々と脳内で独り言を呟いているような状態になる。声に出さないだけで、脳内でずっと一人で喋り続けているのだ。

後者は、「このことについて考えたい」とふと思いついたことを、自分の中で深く掘り下げてみたいと思ったときに考える文章だ。これは後でスマホやパソコンで書くための内容として、脳内でも書き直したりしながら文章を作っていくことが多い。特に以前は、脳内でひたすらTwitterをしているようなイメージだった。(最近だと、noteに書く記事の一部としてイメージしていることも多い。)ふと何かを思いついたとき、それをSNSの投稿の下書き欄に書いているような感覚で、文章として練っていく。深く考えて長い文章を脳内で紡いでいくこともあれば、短い文章を思いついて、表現を少し整えたりしながら脳内にメモする感覚で言葉を考えることもある。このようにして考える脳内の文章は、そっくりそのままの形で出力できるように脳内で整えながら考えることが多い。
だからこそ、このような思考のときは「実際に目に見える形で脳内の文章を記録しておきたい」という気持ちがとても強くなる。もしその場でスマホ等が使える状況であれば、すぐに実際に文字を打って記録する。しかしそれができない状況であれば、脳内のメモがすぐにいっぱいになって忘れていってしまうことが歯がゆくて、もったいない気持ちになって悶々としてしまう。
一度脳内で完成した文章をもう一度出力しようとしても、時間が経ってしまえば記憶も気力もなくなっていく。しかし、脳内だけで留まっている言葉は、目に見える形で出力できるまでぼんやりと頭の片隅にあることも多いため、気が向いたらまた同じことを考えて、そして後日その内容を実際にSNSなどに投稿することも多い。一方で、そのまま放置して消えていく言葉も多い。どうなるかはタイミングと気分次第である。

私の脳内の文章は出力が前提のもと作り上げられていくが、それは自分の中だけで完結するからこそ上手くいくことも多い。だから、実際に自分のための文章をただ書くだけなら、同様に自己完結できる思考の流れの中で作業できるからまだ良いのだ。しかし、実際に相手を目の前にした会話となるとそうもいかない。
私は人と話をすること自体は好きな方だと思うが、会話自体は下手な方だとも思っている。その理由がここにある。

相手を目の前にした生きた会話は、当然ながら自分だけでは完結できない。
相手の言葉に対して、その場で瞬間的に答えを考えて言葉を発するということが、なかなか上手くいかない。「何と言うのが正解だろう」と考えてしまうときは特に、自分の発言がとてもぎこちなくなってしまっていると感じる。

しかし、時にはポンポンと言葉を交わし、テンポよく会話が弾むこともある。そのときは自分の中で会話のための言葉を探す、という意識はほとんどなく、反射的に伝えたい言葉がパッと出てくる。その言葉を相手も受け止めてくれて、またパッと返してくれる。そんなやり取りができるときは、とても嬉しい。
脳で回答を探してしまうのではなく、ちゃんと心を動かして対話できている。そう感じられる会話は、お互いに心地よくて楽しいものだ。

私は脳内でぐるぐると言葉を巡らせ思考を巡らせ、何かと考え込むようなタイプの人間であるが、その性質は良くも悪くもあるだろう。
思考を深めていくのは自分の理解や充実感にも繋がるが、一方で考えすぎて疲れてしまうことも多々ある。人と関わる上でもきっとそう。

時には頭の中だけで考えすぎないように、もう少し気を楽に持てるようになりたいものだ。