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日記5月10日 体の声に耳を傾けること

おはようございます。
ゆです。

言葉や前頭葉による意思力みたいなものが強すぎると、自分の体が持っている本来のリズムから離れてしまって、身体に無理を強いるんじゃないか、という話。

ちょうどひと月前ぐらいに、人生史上、最高に気持ちいい散歩をした。セロトニンがドバドバ流れ出て、このまま天国に行っちまうんじゃねえかってぐらいの多幸感に包まれた。その時の方針は「散歩をするために散歩をする」だ。

「目的を実現するために手段を行使する」のではなくて、「目的と手段が一致し、それをしながらにして何かが成されている」ような、そんな感覚。これは体験してみないと分からないなと感じた。

3日後、同じような天気でやろうとしたがダメだった。その時は「3日前のあの幸福感を得るために散歩をする」と意識してしまっていた。そうなると意識が先行して身体との間に歪みが生じる。

これをどういう言葉で、どういう概念でまとめたらいいかな。とりあえず「自然体」としておこう。

躁鬱持ちの自分にはきっと、「その時の気分の波に合わせて、上手に乗りこなす」のが大事な気がしている。躁なら躁、鬱なら鬱のリズムがある。それらも自分の自然体として受け入れ、対処できるとしたら最強に近づける気がする。

その時の何が自然体かは分からないので、色々なことに身を投じていくことも必要だ。まあ、あまりがんばらずに今日も死なずに生きていこう。

ほんとうに、今日も死ななくてえらいんだから。
生きていてすごいんだから。

じゃあまたねー😊

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