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覚悟が決まっている”状態”だと何が起こってもブレなくて一日が楽しい

1時に寝て朝6時に目が覚めた。
いつもより睡眠時間は短いはずなのに目覚めはスッキリしていた。

自覚できるほどのモチベーションが高い朝。
朝活ではnoteの執筆やノーコードの勉強をしたい。
そそくさと準備をして家を出た。

家を出てすぐに神様がちょっかいを出してくる。

近所の建築現場の兄ちゃんが、イライラしていて木材に八つ当たりしていた。

グワッシャーーン!!

大騒音。

もちろん僕は、ビクゥッ!、となる。

建築現場を通り過ぎ、もう少し歩くと、

曲がり角から一組のカップルが歩いてきて、ちょうど僕の目の前を歩く状況になった。
ニヤけたつらのナルシスト風の男は、キャピるんとした女と腕組みしながら僕の目の前を”歩きタバコ”をしながら、”歩道を占領”するようにゆっくり歩いた。


どちらも僕をしっかりイラッとさせた。

しかし、今日やるべきことは変わらないな、と思った。
イラッとはしたが、すぐにやるべきことと事前に向かい合う思考になった。

そして僕はふと思ったのだ。

あぁ、これが覚悟が決まっている状態か、と。

いつもなら「何でやる気のある朝に限って邪魔が入るんだ」と嘆いて、ずっとそのストレスのはけ口を探す1日で潰れていた。

挙げ句の果てには夜中に暴食して、次の日にまで影響を与え、負のスパイラルに陥る始末。

で、次に考えるのは「どうやったらイライラしなくなるのか?」という浅はかな考え。

出した結論はいつも
「そうか何も期待しなければいいのか」
と心を無にして、感情を強制的に抑えて、楽しいものも楽しくなくなる日常を過ごしてしまう。

これははっきり言って悪手だった。

日常に降りかかるイラッとした出来事と、挑戦していることは何も関係ない。
なんとなく頭で分かってはいたが、だからどうしろというのだ?という疑問かつきまとっていた。

その答えは

「イラッとしても良い。ただやるべき事は変わらないので出来るだけ速やかに調整する」

そういう事だった。

それもそのはずだ。

もしかしたら
「曲がり角からナルシスト歩きタバコ男が目の前に割り込んでくるかもしれない」
ということを予測しながら毎日過ごすことは不可能だ。

だから、そんなもののための心の準備なんかいらない。というか、「心の準備」という概念そのものがいらないのかもしれない。

起こったことはすべて現実なのだ。

速やかに受け入れて、速やかに調整する。
調整して、やりたいことのためにやるべき事を積み上げられるか。

それが出来ていれば「覚悟が決まっている」という状態だ。

たた覚悟は瞬間的な概念で一度決まれば不変的なステータスではない。

(この考えについてはコチラでも書いてみたので興味がある人は読んでくれると嬉しいです)


つまり、”覚悟”は”常に変化する状態”なのだ。
もし、些細なことで積み上げが出来なかったとしても、もう一度覚悟のある状態を目指せば良い。

そんな風に覚悟と向き合うと、覚悟って言葉が少し身近な存在になる。

覚悟と友達になれる。

友達だったら、喧嘩しても仲直りできる。

僕はそういう風に考えている。


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