いつの間にかやらなくなってしまった大事なこと
靴紐を"しっかり"結んでから出かけたのは何年振りだろうか?
20代中盤にニューバランスにどハマりして、その時はやたら靴紐をしっかり結んでいた。
良い靴を履いている自分がやたら誇らしげだったし、靴にも足にも愛を注いでいた。
しかし、時が経つにつれて、段々と靴に注ぐ愛情は薄れていった。
最後のニューバランスに至っては、踵がすり減ってなくなっているのにも関わらず、まだ履き続けていた。
とある日、ニューバランスを履いているのに足が疲れやすくなっている自分に気がついた。あと臭くなりがちだし。
「これはちょっとおかしいぞ」と思い始めてきた。
そこで僕は妻に問いかけた。
「⋯⋯ちょっと聞いていい?」
「ん?」
「もしかしてこのニューバランスさ⋯⋯、死んでる?」
「死んでる」
即答だった。
「もうずっと死んでる」
ずっと死んでる?。
⋯⋯なんてことだ。
これは由々しき事態だ。
僕はずっと死んでいる死体を生きていると思い込んで引き摺り回していたっつこと?
⋯⋯とんでもないサイコ野郎じゃないか。
こうして僕は最後のニューバランスを供養した。
死んだ靴に気づくことができたとは言え、そこから靴に対する意識が激変したわけではない。
あいも変わらず靴には無頓着な生活を送っていた。
そんな僕が、最近、なんの前触れもなく、靴紐をキュッと結んで出かけた日があった。
その日は玄関に置いてある靴を見つめて、ふと靴紐の長さが気になっていた。
片方だけ長くて、歩いている途中で踏んづけて解けるのが想像できた。
街中で靴紐が解けるのは面倒だ。
人通りのない隅っこを探して、サッと屈んで手早く結ぶ。
誰を待たせているでも、急げと言われているわけでもない。
でも、なんかモタモタしたくなくて、まるで靴紐なんて最初から解けてなかったかと思えるくらい素早く結ぶ。
そんな風に、靴紐が解けて結んだことは数え切れないほどある。
ただ、それは街中なのでさっと結ぶだけだった。
その日は玄関で座りながら、ゆっくりと靴紐を結ぶ状況となった。
すると、どうだろうか?
久しぶりに靴紐をしっかり結ぼうかな⋯⋯。
なんて思っちゃったのだ。
思っちゃったのでしっかりと靴紐を結んでみた。
”しっかりと足と靴をフィットさせるように意識して”結んだのは本当に久しぶりだった。
小さい頃は玄関で靴紐を解いてから家に上がり、家を出る時は靴紐を結んで出かけていた。母にそういう風に教えてもらっていたはずだった。
それがいつからか、いちいち靴紐を結ぶのが煩わしくなり、ついにはサイズの大きい靴を選んで”履きやすさ”というか、”履き始めやすさ”を優先するようになってしまっていた。
靴紐なんて、わざと緩めに結んで足を入れる穴をガバガバにしているくらいだ。
そんな感じで、ずっとガバガバの靴に慣れていたので、足に吸い付くような靴の感覚は少しだけ違和感があった。
しかし、外に出た歩き出したらそんな違和感はすぐに吹っ飛んだ。
なんとまぁ気持ちの良いこと。
いつもと同じようにただ歩いているだけなのに、何かに成功したような気分だった。
猫背気味の背筋も不思議とピンと伸びている。
「俺は今、地に足をつけて歩みを進めています」
1歩踏み出すたびに周りにそうアピールしているような歩みだった。
「今、俺が歩いてますよ?」
顔はそう言っててもおかしくない顔つきだったと思う。
つまり、ウザいぐらいドヤっていた。
自分という人間は全く何も変わってないのに。
でも、
そんな日があってもいい。
だって、その日のモチベーションは高かったから。
これってすごい大事なこと。
一日を、モチベーションを高く持って、気持ちよく過ごせた。
これ、めちゃくちゃ大切で幸せなこと。
それが靴紐を意識して結ぶだけで味わえた。
結局、僕はまた、靴紐を緩めてガバガバな靴を履く生活を送るのだろう。
でも、ある時また、靴紐を意識して幸せを噛みしめるのだ。
というわけで、靴への愛が薄れている人はチャンスです。
しっかり靴紐を結んで出かけてみてはいかがですか?
ついでに身の回りのいろんなモノに感謝をしてみるのも良いと思います。
より幸せを味わえるかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?