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「好きを仕事にする」そんな理想に惑わされず、今を選ぶ

2020.07.05 rewrite

このブログを初めて書いた頃は、“生きにくい社会”という言葉がよく聞かれましたが、様々な学者がそれを論じ説明してきましたが、そのどの説明よりもわかりやすく私たちに提示してくれたのは新型コロナウイルスがもたらした社会です。

日本の経済的豊かさは、世界経済と技術が発展し続ける中で停滞してきた。その事象が日本を経済的豊かさから一歩ずつ遠ざからせてきました。

でも “ 豊かさ ” とは、なんでしょうか?

日本はバブル期。株の時価総額で世界的に見ても日本企業が名を連ね、平成不況が始まる前の日本が豊かだったと聞かれれば、多くの人が

「日本は(狂乱的に)豊かだった」

と、言うでしょう。

では、バブルが終わった不況の最中、失われた20年の最中、日本は豊かだったのでしょうか。それともそうじゃなかったのでしょうか?

遡って江戸時代は豊かだったのでしょうか?

国を変えて他の国は今現在豊かでしょうか?

アメリカは豊かか?中国は豊かか?幸せの国と言われるブータンは豊かか?

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この答えに対して言えるのは、豊かさには絶対的なものと相対的なものがあるということです。

相対的な豊かさと言うのは、今のこの時代の、世界のほぼ全てを担っている価値観です。

「江戸時代や、明治時代より物質的に便利になり、物も増えて美味しいものも食べられる。豊かだ。」

「あの国よりも多くの1時間あたりの賃金額を得られる。豊かだ。」

「10年前よりも世界的に見てGDPの順位が低い。豊かじゃない。」

「隣のあの人は自分より儲けている。自分は豊かじゃない。」

今の時代の豊かさとは、誰かの、何かに対する相対的な豊かさです。

「平成不況を通して、日本は豊かではなくなった。」

と言う人が大勢いますし、私自身もそう思う一面がありますが、平成不況の中でも多くの人の生活は100円ショップや24時間営業のスーパーが増えて便利になり、ものによる豊かさはほぼ損なっていません。むしろ、デフレで物の値段が下がったことによって、生活水準をそこまで大きく変えなくても過去よりも豊かな生活をできる人が多い。

そう、人は物質的にみると、江戸時代や、明治時代よりも恵まれているのです。暑い夏だけを切り取って考えても、クーラーがあれば、冷蔵庫もある、生鮮食品もいつだって手に入るし、遠方への移動にも、情報収集にも苦労しない。

では、なぜ、“日本は貧しくなった”と言う視点になるか?と言うと、比較する先が変化したからです。

テレビを見れば芸能人の華やかな情報が入ってきて、ネットを見れば世界各国がどんどん経済的に豊かになっていく情報、成長の状況が、望む望まない関係なく入ってくる。

他国が豊かになり続けた結果、相対的に日本は横ばい。

その相対的な価値が、日本の豊かさが切り取り、日本は豊かでないという評価になっていく。

価値変化とは何か。と考えた時、価値のないものと価値のあるものの交換はあり得ません。

本来なら等価交換で、某漫画的?に言えば質量保存の法則が働きます。

どこかに豊かさがあれば、そのために犠牲になっている何かがいる。

古代ローマが華やかだったのは征服した国からやってきた奴隷制度による豊かさで、現代であれば海外の安い人件費の生産力での豊かさです。

つまり国家間の経済規模の格差を等価交換を行った故に、経済格差が高いところは豊かだったと言えます。

そして全く別の事例をあげてみます。

「今の国民年金制度はなぜ成り立つのでしょうか?」

それは日本がこの先の未来は人口増加をし続け、その子供達が年金を払う人として増え続けるという言う非常に不確定な要素を等価交換の対象にしていたからです。

ですが、その等価交換である対象の人口増加がなくなった時点で、成り立つはずのない不等式が何十年も放置され続けてきました。

この事例を身の回りに置き換えていけば、今の日本はこれらが全てと言っていいほど当てはまっていきます。

・終身雇用(年功序列)
・正規・非正規社員との格差
・日本の国債発行額

小さな事例を上げればきりがありません。

しかも、代償にしているもののほとんどが“未来の〇〇”です。

それゆえに、みんなが先行きが見えなくなり、生きにくい社会という認識が広がっています。

ですが、2020年のコロナを境にして、多くの人がここは放置していては先がないと気づきました。

この先に豊かでなくなる日本でどうやって生きていけばいいのか?

その選択肢のうちの一つの答えとして、冒頭に書いた、相対的な豊かさではなく、絶対的な豊かさへの移行が考えられます。

この絶対的な豊かさとは、

「他者を圧倒するほどの豊かさを手に入れよう!」

・・・と、いうものではありません。ここ数年で急激に言われるようになった「好きなことで生きていく」「好きを仕事にする」という生き方です。

自分の好きなことに熱中し、他者と比較しない。自分が楽しい。それで生きていく。

・・・ただ、それって物凄く難しいのです。

なぜ難しいのかというと、そういう絶対的な豊かさの捉え方を世の中の大多数の人たちがこの数十年、数百年してきたことがないからです。ずっとずっと私たちの社会は相対的な豊かさで生きてきました。

絶対的な豊かさを選んで生きてきた突然変異的な人たちは、世間から変わり者として排除されてきました。

常識だからと、前例がないからと。

好きなことで生きていくと言っても、最低限生きていく必要にかられ、生活の最低限の安全性というのも大事になり、そのジレンマから結局「好きなことで生きたいくのは無理」と判断されてきました。

ただ、この1年2年の技術革新、そしてコロナの時代になって、その環境が急激に整備されてきました。

相対的な豊かさから絶対的な豊かさへの考え方の移行は無理のようにも見えますが、大きな壁を乗り越えていくものではなく

グラデーションのように、生き方を塗り替えていけばいいと思うのです。

乗り越えようとするから無理であって、グラデーションに塗り替える感覚であれば、考え方のスイッチを変えられる人がいるように思います。

下記は数年前に高校生に向けて「生きがいを仕事にする」をテーマに好きと得意をもとに仕事を考える実体験型?講義で使った資料をまとめたものです。

こちらもいつかアフターコロナに向けてリライトしたいなと思いますが、多くの人がこれからの変化の時代を楽しく受け入れ、変化していくといいなと願っています。



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