見出し画像

しくじり留学体験記

英山明慶
Max Planck Institute for Biology of Ageing (ドイツ)
2012年 立命館大学生命科学部卒
2016年 大阪大学大学院生命機能研究科博士課程修了(5年一貫制)
2016年-2017年 大阪大学博士研究員
2017年から現職(ポスドク)

350、突然ですがこれ何の数字だと思いますか?正解は私が学部時代にとったTOEICのスコアです。どうでしょう?これを聞いて少し親近感、場合によっては軽蔑 (?笑) の目をもったのではないでしょうか?この私が今もなお海外でポスドクをしているから不思議です (しかも4年間) 。そんな私のポスドク生活の情報を共有できればなと思い、今この文を書いています。最初に言っておきますが、これは決して成功したキラキラ研究者の話ではありません。海外に来て多くのしくじりを経て、今もなおポスドクとして過ごしている、そんな凡人の数々のしくじり話です。

さて、本来ならば自己紹介や留学の経緯などをお話しするのですが、私のしくじりが多いこともあり、全てを書くとかなりの長文になってしいます。なので、ここでは代表的なしくじりのみに焦点を当てて早速述べていきたいと思います。

しくじりその1 やっぱり英語に苦労する

当たり前ですね (笑) 。正直ここに来た当初はボスも含めてラボメンバーの言ってることの半分も理解していなかったと思います。ボスとのディスカッションの際も、お互いの言っていることが理解できないことが度々ありました。何が辛かったかというと、「言っていることの何が分からないのか分からない。」といった状況がほとんどで聞き返すのも無理でした。ただ、渡独まで全く準備していなかったわけではありません。日本ではオンライン英会話などを利用して準備していましたがそれでもです。本当に英語能力の無い自分を呪いました。結局どうしたかと言うと時間が解決しました。元も子もないですね(笑)。4年経った今、ようやく「何が分からないかが分かる。」というとこまで来ました。それにここはドイツでラボメンバーも世界各国から来ています。よく考えると多くの人にとっても英語は第二言語です。流暢に英語を喋っているメンバーの英語をよく聞いてみると文法的に間違っていることがたびたびあります。つまり間違ってもいいから話し続けることが大事です。ちなみに私より断然英語が流暢な韓国人のラボメンバー (自分と同時期にラボにjoin) が最近になって、「自分はここに来た当初は皆の話していることが分からないことが多々あったけど、4年たってようやく理解できるようになったよ。」と言っているのを聞いて愕然としました。彼はここに来る前はスイスに数年留学しており、それなりの英語力は備えていたはずだからです。そんな彼でも英語で苦労するんだから、元からできない自分が苦労するのは尚更だと腑に落ちました。つまり、言葉に不安があるのは我々だけではないということです。暴論かもしれませんが、できないことが当たり前と思い飛び込む勇気が大事だと思います。

しくじりその2 ラボの転換期に適応できなかった

ちょうど私がここに来た時、ラボは転換期を迎えている時期でした。ここに来る前はラボから出た過去の論文を読み漁り、研究のアプローチや方向性はなんとなく思い描いていました。また、フェローシップの応募のために自分が行うプロジェクトについてもボスと話し合っていました。ただ、ここに来るまでのタイムラグもあり、ラボの方向性が変っていく時期にjoinしたのです。私から見て今のボスが一流のトップ研究者たる所以は、基本能力の高さはもちろんですが、研究の流行や旬を敏感に察知する能力です。この研究の潮流を読むというのは予算獲得などラボ運営をしていくためには重要なファクターです。今となってはこの重要さを深く理解しています。しかし、そのラボが転換して向く方向と、私の科学的興味が残念ながら合致しなかったのです。自分は世界の研究潮流などお構いなしに自分の興味に沿った研究しか見ていませんでした。環境が変わったんだから何でも学んでやろう、手を出してやろうという心の余裕が必要だったんだと思います。上記の流れから当初は自分の興味のままに突き進んでいたのですが、結果としてラボのメインストリームから外れていきました。自分が招いたことでありますが、こうなると孤独になります。自分と似たような研究をしているのが基本的に自分しかいないからです。また、上述のように英語力の無い私が、分野の離れた研究をしているラボメンバーとディスカッションするのも苦労しました。これは海外に限ったことではないですが、ラボの方向性は変わっていくものだと認識することも、予期せぬミスマッチを避けるのに大事なことかもしれません。

しくじりその3 意識しすぎた短絡的キャリアプラン

さて、どうして心の余裕がなかったのか、今となってはその理由が分かります。自分が思い描いたキャリアプランにこだわり過ぎたのです。ここに来たばかりのころ、初っ端から数多くの外国特有のトラブルに遭遇しました。そのストレスもあってか、できるだけ早く日本に帰ってやろうと思っていました。そこで思い描いたプランとして、ここで2-3年で論文一報出してから日本に帰り、助教などの教員ポジションを得た後、独立ポジションを目指そうと思いました。そのため「何がなんでも早く論文を!」という意識が植え着いてしまったのです。もちろん研究は形にしてなんぼですから、この気概は悪くないと思います。ただ、最短で論文をという意識を強く持つあまり、上述のように新たな視点や、自分の研究と関連性の無い部分にも目を向けるといった心の余裕が無くなっていました。これだと多くの成長できるチャンスを逃しているように思います。結果を出すのはもちろん大事ですが、そこにこだわりすぎず、柔軟に考えを変えていくことも大切だと思います。結果的に大きくはないですが論文は出せました。それでも、私は日本に帰らずに今もドイツに残っています(笑)。色々ありましたが、この国が好きになっていたのです。価値観も年月が経てば変わっていくものです。

以上、私が留学でやらかした代表的なしくじりを3つをご紹介しました。
最後に、海外在住に限らず、今なお不安に駆られている私と同じような研究者の方々へお伝えしたいことがあります。たしかにアカデミアの世界はどうしても不安が付きまといます。思い悩んでいるのはあなた一人だけではありません。正直に言いますと、私は毎日のように研究者を辞めようかどうか悩んでいます。今後もどうなるかわかりません。上述のしくじりを美談にできるほど成功もしていません。それでも、研究や研究以外も含めて数多くのことを経験できた海外留学、これにチャレンジしたことは間違っていなかったとハッキリ言えます。これからもそれぞれの道に向かって一緒に頑張っていきましょう。


他のキャリアパスにもご興味がある方はUJAのwebサイト、キャリアセミナーのページ

ご自身のキャリア選択についてのご経験をシェアしていただける方は、こちらまで、ご連絡をお願いいたします。

一般社団法人海外日本人研究者ネットワーク(UJA)の活動はこちらの協賛企業の皆様に支えられています。

国立研究開発法人科学技術振興機構 ロゴ

日本ジェネティクス ロゴ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?