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村上春樹『風の歌を聴け』




本を閉じたのは、とあるどうしようもなく平凡で、雲の暗い土曜の朝。

私は電車に乗っていた。
昨日から今日の朝にかけて雨が降り続け、街は程よく濡れている。

嫌になる。ときどきの話だ。
トンネルに入ったら傘を閉じ、トンネルから出たら傘をさす。トンネルに入ったらまた傘を閉じる。その繰り返しが。
この前雨が降っていた時、急に嫌になってしまった。嫌になるとき、私はイヤホンをつける。つけて何をするかと言ったら、音楽を聴く以外ないかもしれないが、まあ聴かないときもある。人生もそんな感じ。

とは言え、基本的に私は雨が好きだし、周りの人間もそう認識しているはずだった。

電車を降りたとき、雨がまた少し降ってきた。とても柔らかい、小さな小さな雨粒が髪に、服に、顔につく。傘をさすまでもない。
小降りも大降りもどちらも好きだ。家から出なくて済むのであれば、永遠に大降りの雨が降ればいい。そのまま陸を海の底へ沈めさせればいい。冗談だ。

道中、地面に散らばった花の残骸を見た。建物に入り、誰もいない廊下を歩きながら、窓の外を眺めた。インスタントのカフェオレを飲むために、湯を沸かしている間、コップを洗った。頭の片隅で、『風の歌を聴け』について考えた。

『風の歌を聴け』を読むと、海を見に行きたくなる。読まなくても行きたがっていたかもしれない。海はもう何年も見てない。いや、海自体は見に行っているのだが、故郷の海のことだ。
特別美しい海というわけでもないし、何か思い入れがあるわけでもない。それこそ、住んでいた頃は「見に行きたい」と思って、見に行ったことすらない。多分。

今日の仕事を終えて、外に出る。そもそも仕事をしたのかどうか怪しいが、ともかく今日は終わったのだ。
バスを待っている間、風が横を通り、眼球が僅かに湿る。風が何かを歌っていたのだろうか。きっと歌っていたはずなのだが、何を歌っているのか私には分からなかった。分かってしまったら、もう戻れないのかもしれないと思った。

どこに?

さあ。来た場所も行く場所も私には知る由もない話だ。

あの女の子はどうしてるだろうか。生きているのだろうか。鼠と言い、女の子と言い、行き先が見えるようで見えないのが、この本の良さの一つだと思う。ともかく、3人の女の子を組み合わせたような人だった。

ビーフシチューを作るとき、ふと彼女のことを思い出すだろう、と私は思う。ビーフシチューなんてあまり作らないのだけれど。

今日はポテトフライとコーラを飲もうかなと思った。なぜビールじゃないかって、ビールは苦いからna。

「あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。」

村上春樹『風の歌を聴け』


僕たちはそんな風にして生きている。

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