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中3、コロナ禍で不登校気味になり通信制高校へ

中学3年生の冬、様々なことがストレスの原因となった結果、週2日しか学校へ行かなくなった。
そんな1年前の話を時系列順に書き残しておこうと思う。
色んな方に見ていただけたらすごく嬉しい。
※長文(3500文字超え)

勉強嫌いをこじらせ、親、きょうだいからの勉強圧で突発性難聴

3年生に進級して最初にブチ当たった壁はこれだ。
私には8つ上の兄と4つ上の姉がいる。
問題集を借りて採点してもらったり、分からない問題を教えてもらったり、受験生にとってすごくありがたい存在だった。

部活を引退して、さぁ本気で受験勉強へ取り掛かるぞという時期に、私は勉強が嫌いになった。
昔はそれなりに楽しくて好きだった勉強が、楽しくなくなってしまった。
何の為に勉強をしているのか分からなくなってしまった。

昔から並に勉強して並以上の点数を取る、なんていう中途半端な勉強をしていた私。
親はいつも三者面談で「ちゃんとやればもっと取れると思うんですけどね」と担任に苦笑いをしていた。
三者面談のあとは決まって「そろそろ本気で勉強したら?やればできるんだから」と私に言った。

私は姉と同じ高校を志望していた。
偏差値は60ちょっと。
最初に模試を受けた時の判定はBくらいだったと思う。
私の兄はちょっとだけ過干渉に思えた。
「今のうちから計画立てとけよ」と、私と一緒に受験カレンダーを作り、私に過去問を解く課題を与えた。
兄が家に帰ってくると「今日はどんくらい勉強した?」だとか、「スマホばっかいじってっと高校落ちるぞ!」なんて冗談もよく言ってきた。
もう既に勉強を嫌いになっていた当時の私は、兄を鬱陶しく思ってしまった。

そんな中3の夏、私の左耳に変な感覚があった。
耳に入った音が数キー高くなって二重に聞こえるような、気持ち悪いハモリを聞かされているみたいな感覚。
音楽が好きな私にとって音が正常に聞こえないことは死活問題だったので、この耳の異常について調べると「難聴」の文字が目に入り、途端に怖くなってすぐ母に言った。
なんやかんやあって耳鼻科にかかり「名前を付けるなら突発性難聴でしょうね〜」と言われたのでよっぽど軽度だったんだろうと思うが、学校に行けばチャイムの音程が気持ち悪いし、左側で喋られると聞き取りにくいし、「これで軽度なのかよ!?」と泣きたい気分だった。

ストレスが原因で突発性難聴を発症したが、ストレスのもとは勉強だけじゃなくセクシャリティで悩んでいたのもあったと思う。
「勉強圧」と書いてしまったが、親や兄姉は私に勉強を酷く強要した訳でもない。
加害者は誰一人いないし、私も被害者ではなく、ただ色々と深く考え込んでしまう上にメンタルの弱いタイプだから、体調を崩したり、学校に行く頻度が落ちただけなのだ。

とんでもなく相性の悪い国語教師

薬を飲んで耳の聞こえも治ってきた頃、3年生から授業担当だった国語教師との相性が悪すぎるな、と思うようになっていた。
後にこれが最大の原因となり、週に3日学校を休むことになる。
その先生は板書をほとんどせず、まずは教科書を丸読みしていって、それから先生が内容について問題提起していき、生徒が2人1組になって話して、手を挙げて議論をしていくような授業スタイルだった。
丸読みだけで授業が潰れることも珍しくなかった。
これが結構、苦しかった。

「2人1組で話し合ったのだから、手を挙げてそれを発表するのは当たり前」と先生は考えていたようで、全員の手が挙がるまで話し合いを繰り返させ、次の問題提起に移るタイミングも先生の気分次第だった。
最初は独特な人だなと思いながらも手を挙げそれっぽく発表して凌いでいた。

議論するスタイルとは言え、最初は先生の問題提起から始まり、その問題提起は先生なりの解釈の上にあるため、「そもそも先生の解釈がなんか納得できない」と思ってもそこに対する意見は言えない。
納得できない解釈を前提に話し合いを進めさせられて、納得できない話し合いの結論を発表させられることが、私にとって苦しかった。

他人へ向けた他人の悪口に傷つく

「THE・繊細人間」みたいな内容である。
自分へ向けられた訳でもない他人の悪口に傷ついてしまうのだ。
「不快になる」ことを「心が汚れる」と表現するならば、他人の悪口は私の心を確実に「消耗」させていたと思う。

私のクラスには度を過ぎたいじられ方をする子がいた。
小学校も私と同じだった彼は少しクラスメイトを困惑させるような言動が目立つ子で、「何してんの?」「意味分かんないんですけど」みたいに突き放されることが多かった。
クラスメイトは「本人に非があるからだ」と思っていたかもしれないが、私から見れば彼に悪気がないことは100%確かだった。
でも悪口は止まない。
そんなクラスでは息がしづらかった。

それから、国語教師は私だけと相性が悪い訳ではなく、同級生の中で国語教師を好いている人はいないレベルの、もはや清々しい嫌われっぷりだった。
だから国語の授業が終わって先生が教室から出ると、必ず三箇所くらいから先生への悪口なんかが飛んでいた。
「もう先生の授業受けたくないな、もう限界かもしれないな」、それが日に日に積み重なっていった。

遂にダウンし、学校を休む

国語の授業の前夜は「明日こそ絶対に学校行けないわ」と思いながら眠るのが習慣になっていた。
我ながらとんでもねぇナイトルーティーン。
次の日は「あぁ、熱出てないな」と思って朝が始まる。
「逆に国語教師が熱出してるかもな」と己を鼓舞して(尻を叩いて)朝の準備をした。

それで結局学校へ行けてしまうから、お前はまだ限界じゃないと誰かから言われているようだった。
それなのに自分は「もうきっと限界だ!」と思っていたもんだから自己嫌悪に陥る。
結局授業を受けて、ただメンタルがすり減る。
帰ってまた「次の授業は絶対休む」と思いながら寝て、学校に行けてしまって、自己嫌悪……という厳しい流れを何回か繰り返した。

2回目のワクチンを打つ月曜日の朝は、遂に起きられなかった。
「明日の放課後にワクチン打つから何日か休める!」
だからせめて明日の授業は頑張ろう、そう思って眠りについた時に限って、だった。
今日もどうせ元気もやる気もないまま授業を受けて、色んな「嫌い」を増やして帰ってくるんだろうなと思うと、目も開けられなかった。

いつも起きる時間から数分経って、一度母が起こしに来てくれた。
「もう6時半過ぎたよ、起きてきな」
怒らない母の言葉が優しくて、母がいなくなってから泣いた。
国語の授業受けたくない、先生に会いたくない、悪口も聞きたくない、起きたくない。
ずーっとそればっかり思っていたら結構な時間が経っていたようで、また母が起こしに来た。

「学校、行きたくないの?」
ずっとその質問を待っていたんだ、と思った。
でも言葉が出せなくて、ゆっくり頷いた。
理由を問われてもまだ声が出なくて、「言わないと分からないでしょ〜」と母は笑いながら、でも責めずに、急かさずに、私の言葉を待ってくれた。

何十分もかけて理由を話した。
国語の先生と合わないから、授業を受けたくないと。
「じゃあ無理して行かなくていいよ」と、頭を撫でて許してくれた。
出勤直前の父も「ゆっくり休みな」と一言だけ言って家を出た。
昔は学校を休もうとすると「行きたくても行けない人がいるんだから行け」と言った父が、持病があって思うように学校へ行けなかった父が、ものすごく丸くなっていてまた涙が出た。

学校でコロナ陽性者が出たので私の不登校がカモフラージュされる

それからは週に3日、国語の授業がある日に学校を休んだ。
私の学校は感染予防で登校を控える生徒のために、教室に置かれたカメラを生徒用PCと繋いで授業に参加することができた。
私は全く感染予防が理由じゃないがありがたくそのシステムを使い、家でカメラ越しに国語の授業も受けていた。
(カメラ越しなだけなのにめちゃくちゃ授業聞けた)

私が学校を休み始めて数週間後、試験が近いこと、別学年でコロナ陽性者が出たことが重なり、感染予防としてオンライン授業を選択する同級生が急増した。
つまり、同級生から見た私は「みんなよりちょっと早くオンライン授業を選んだ感染予防意識の高いヤツ」なのだ。
すっごく、すっごく自然にカモフラージュされた。

なんやかんやあり通信制高校へ進学

多分このまま高校生になっても勉強を好きになれないだろうな、と思った私は通信制の高校へ進学することを選んだ。
元々電車が嫌いで電車通学に自信がなかったこともあり、学校へ行くのは月2回ほどでいい高校を受験した。

正直高校より先の進路のことは深く考えなかった。
一度思いっきり休暇を取るような感覚で決めた。
その選択は多分間違っていなかった。
「自分に甘すぎじゃない?」と思うくらいが自分には丁度いいんだなと思えた。

コロナ禍と受験が重なった上にストレスで体調不良になり、教師と合わず学校を多く休んだ。
そんな私は通信制高校に通い、音楽の趣味を持ち、セクシャルマイノリティで、ちょっと繊細な人間だ。

これからマイペースにnoteを更新していきます。

見ていただきありがとうございました!

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