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日曜は私に嘘を運ぶ.2 〜再会〜


日曜の昼下がり。買い物を忘れてしまった私は夫が仕事で帰ってこないことを良いことに初めてGo eat と呼ばれる宅配サービスを利用した。お店から料理を受け取り、それを近くの宅配員が注文された利用者の家まで運んでくれるシステム。私は気になっていたインドカレー屋でそれを利用し、彼と出会った。最初はこんな場所まで届けてくれたお礼にと家で少しだけ休憩してもらおうと思っていただけだった。だけど、彼の服にコーヒーを溢してしまい、久々に見た若い男の鍛えられた身体を見てしまい、一瞬にして欲望に脳を支配されてしまった。本当はこんなことをするはずではなかった。それでも自分の身体を巡る暑くなった何かは止まることを知らない。全身に血液のように巡ったものは最早自分自身でも止めることができない。外では雨が降り続き、風呂場ではシャワーの水の音と男女の吐息が交わり、背徳的な甘さと刺激的な快感が二人の熱で溶け合い、時間や罪悪感さえも忘れさせた。

それが2週間も前の日曜の出来事。

あの日から私は夫が仕事の日曜日は宅配サービスを利用している。生活資金から切り崩すと気付かれてしまうため、結婚前から密かに溜めていたへそくりから注文している。だがここ2週間、日曜に同じようにあのインドカレー屋でカレーを注文し、同じように宅配サービスでここまで持ってきて貰っているが、その2回とも別の宅配員。

あの日以来彼とは会えていない。

何度かこれで良いんだ。と自分の中で踏ん切りをつけようとしたこともあった。だが忘れようとすればするほどあの日のことが、あの時の感覚が全身を襲って切なくなってくる。私の中の熱いものが、熱を帯びたまま冷めようとしないのだ。
夫が休みの日に交わりを求めて行為に及んでも、夫の快楽を満たすだけで、私の気持ちは嘘まみれ。夫のために夫が望む声や表情で心を覆い隠すのだ。
行為が終われば夫は決まって疲れ果てたようにぐっすり眠りにつく。隣で目を瞑り、夫が完全に熟睡したことを確認したところで私は一人リビングで静かに身体を拭く。今まで嫌だとは一度も思わなかったはずなのに、あれ以来夫に自分の身体を見られることもベタベタ触られることも嫌になった。多分、身体が、脳が、心が芽生えてしまったあの気持ちに逆らえなくなってしまったのだ。
「はぁ、、、。」思わず溢れる深いため息。夜更けの静かなリビングにはいくら小さな声でもよく響く。反響した自分の声に心の中でまたため息をつく。ふと携帯のカレンダーに目を落とし、予定のない日曜に寂しさを感じる。
今度こそは、、、。そんな叶うかもわからない一抹の希望を胸に私は夫が眠る寝室へと戻るのだった。


土曜。この日珍しく夫が一緒に出かけようと持ちかけてきた。ここのところ、ずっと家のことばかりで疲れていたのもあり、気晴らしも兼ねて一緒に出かけることにした。
夫と出かけるのも数週間ぶり。休みの日は決まって仕事で疲れているなどと言って寝ているか、自分の趣味に耽っている。たまに家事も手伝ってはくれるが、少し洗濯物を取り込んだだけで手伝った気になって、その後は満足そうにしているだけ。昔はよく一緒に出かけたり、料理も一緒にやっていたが最近はそれも少なくなっている。だが、そんな夫が久しぶりにこうして出かけようと言ってくれたことは内心嬉しかった。
朝から軽く家事を済ませて、昼ごろから出かけ始める。車で少し遠い場所まで足を伸ばし、気になっていた雑貨屋やアパレルを周り、テレビで予告編が流れて気になっていたホラー映画も見ることができた。ホラーが少し苦手な夫はこの映画のパンフレットを見ただけで嫌々言っていたが、半ば無理やり腕を引っ張り椅子に座らせ大人しくさせた。
案の定、映画が始まりホラーシーンに差し掛かるとびくびくと身体を震わせ、ビビり度がピークに到達する。その懐かしいその姿に思わずクスッとなった。
忘れていた昔の気持ち。消えかかっていた思いが徐々に記憶として頭の中に甦っていく。
あの毎日が楽しかった日々はもうここにはない。だけど、思い出ならある。その思い出を今日だけはと噛み締めるように過ごそうと心に決めた。

映画が終わると2人は軽い食事を済ませてショッピングへと向かった。久しぶりに会話も弾み、歩きながらのショッピングは若い頃のデートに似て、どこか新鮮でもあった。たわいもない話が不思議なほど面白く、楽しい。こんな気持ち結婚して数年以来味わっていなかった。いつしか私の中にいた青年の影は姿を消して、真っ新な心を取り戻しつつあった。
昼過ぎの街中は平日だというのに人通りや車も多く、相変わらずごちゃごちゃとしている。人の多さにうんざりして家にいるときぐらいはと今の家に引っ越してきたが、たまにこうしてデートとしてくると息抜きには十分な刺激がある。
「最近ああいうのは多くなったよな。」夫がそう言って指差すのは私が青年と出会ったきっかけの宅配サービスの配達員の姿だった。自転車に身を乗せて、特徴的な大きなリュックサックを背負っている。若い人からお年寄りまで、多種多様な人が利用しているが私自身それを利用し始めたのもここ最近。夫には秘密にしているせいか妙にその話題をされるとドキッとしてしまう。
「いけないお店の料理を配達してくれるのは便利よね。」動揺を悟られないようあくまでも自然に答える。
「君も僕が仕事でいない日は使ってみればいいのに。」
「いいよ、その分高くついちゃうし、、、。」他人越しにみてみればただの日常会話だが、私からすれば口から墓穴を掘ってしまわないかの戦いでもある。自らを自らのいっときの過ちにより戦場に飛び込んでしまった。ここまで精神的に自分を追い詰めることになるとは思ってもいなかった。
出会いと精神は表裏一体なんだと思い知った昼下がりであった。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくる。」ふとコンビニに差し掛かると夫は私を置いてコンビニの中に入っていった。ビルの壁に寄りかかり、夫の帰りを待つ間、車道を通る話していた配達員の姿がが数度目の前を横切った。
彼は今何をしているんだろ、、、。もう3週間近くも前のことだというのにまたあの時の感覚が甦り、人通りの多い街中だというのに身体が疼いてしまう。
震えに膝が保たず、その場に座り込む。その時だった。
「あの、大丈夫ですか?」近くで誰かの声がする。目線の先には男物のスニーカー。夫ではないことは明確だった。呼びかけに答えられない私に、その声の距離はさらに近くなり、肩に手が触れた。人と車の音がひしめき合う中、私に触れる手の声にはどこか覚えがあった。その手を借り、立ち上がるとともに視線も上げていく。そして完全な立ち上がった視線の先にはなんとあの青年が驚きと心配の折り混ざったような表情で立っていた。

「あっ、、、。」「あっ、、、。」顔を見合わせるとお互いに思わず声が出た。偶然の再会に驚きのあまり一瞬硬直し、広い街中のポツンと流れるワンシーンに何故か気まずさが訪れる。私は思い出したあの日の感覚に悶えていたと恥ずかしいところを見られ、恥ずかしさのあまり真っ赤になった顔を咄嗟に隠す。
「あっ、えっと、、、。大丈夫ですか?具合悪いとか、、、。」
そう聞く青年の顔は明らかに戸惑っている様子で、3週間ぶりに見たその顔は私によって刺激が強すぎて、そしてなにより困っている表情がなんとも愛らしかった。

「だ、大丈夫っ!ちょっと立ちくらみしただけ、だから、、、!」
「水かなにか入りますか?俺、持ってますよ!」
「ほんと、大丈夫!もう治ったから、大丈夫!」
必死に青年の心遣いを断ると、少しシュンとした表情で肩がけのバックから取り出した水を再びバックに戻した。
久しぶりに会えたのに、会いたかったのに、また2人で話したかったのに、、、。
だが、そんな感情とは裏腹に何故か私は笑っていた。声を出して笑ってしまっていた。何がおかしいかも自分でも分からず、ただ青年を見つめ笑っていた。それに釣られてか青年の頬も徐々に緊張が緩み、最終的には2人揃って笑っていた。

「、、、久しぶり。最近見なかったからどうしたんかな?って。」
「、、、学校とかあって、やってなかったんです。ようやくテストも終わって落ち着いたんで、再開しようとは思ってますけど。」
「そっか、、、。お疲れ様。」話したい。そんな感情だけが先走ってしまったせいか、うまく言葉が出てこない。本当はこんな世間話のような事を話すつもりじゃないのに、、、。小心者の自分を私は呪いたくなる。会話も続かないまま2人の間に沈黙が流れた。
「お待た、、、せ?」するとようやくコンビニから出てきた夫が私と見知らぬ男が話している状況に鉢合わせした。不思議そうな顔で2人に近づき、私に向かって声をかける。その声にようやく存在に気づき、半ば不審げな表情を青年に向ける夫に事情を説明した。

「彼は、私が具合悪そうにしているのを見て心配してくれただけなの。」
「え、そうなんだ。すいません、ナンパとかかと勘違いしちゃって、、、。」
「あっ、いえ。こちらこそ疑われるような事をしてすいません、、、。」夫の疑いも晴れ、青年と私の話も聞かれていない。そっと胸を撫で下ろし、夫と共に青年にお礼を言って別れることになった。男同士で強い握手を交わし、私は会釈だけで済ませ人混みの中に紛れるようにそれぞれ別の方向に進んでいった。

その後のデートは順調に2人の時間を過ごし、ホテルでディナーを堪能し、求められるがままに愛を育んだ。熱く抱きしめられる身体は熱を帯び、愛の言葉を叫ぶが、その言葉は最早私の心には届いていなかった。今日一日は昔のように2人の時間を過ごして新婚の時の気持ちを取り戻そうと思っていた。だが、その途中で彼にまた出会ってしまった。そこから私の心は再び彼に染まってしまっている。耳元で囁かれる夫の愛より、言葉ではなく身体全身で感じる熱い欲望、肌の触れ合い、艶かしいほどのか細い吐息、何も考えられなくなる欲望の混ざり合いに私の心は奪われてしまった。

ごめんなさい、貴方、、、。そう思いながら私はただ必死に私に注がれる愛を無情に受け止めるのだった。

雨がパラつく日曜の朝。そのままホテルに一泊した私たちは夫が昼から仕事があるという理由で一度自宅へと帰宅し、スーツを身に纏った夫を見送ると私はいつも通り家に1人になった。ベランダから仕事に行く夫の後ろ姿を確認してすぐさま携帯を取った。その行動の心意は一つしかない。手慣れた作業で画面を操作し、完了をタップする。
ポットに水を入れ、湯沸かしのスイッチを押して椅子に座る。手には携帯を握りしめてその瞬間が来るのを今か今かと待ち侘びている。不安はあった。それはギャンブルのように確実性はなく、数多いる人間の中の1人がそれを選ぶ。当たり外れが決まるその瞬間は己の目で見るまではわからない。だが、この時の私に不安なんてものは一切なく、心も落ち着いていた。何故かはわからない。ただ、女のカンとでもいうのだろうか?確実に近づいている彼の気配を心のどこかで感じ取っていた。
背後ではポットの湯を沸かす音と徐々に激しさを増してくる雨の音が重なりあい、あの日の事を思い出させる。目に焼き付いている光景に身を震わせ、疼き出したその時、静かな部屋にインターホンの音が響き渡った。

「、、、、はい。」
恐る恐る確かめるように応えた。

「、、、、僕です。本当は、来ないつもりだったんですけど、、、でも、、、。」
「、、、いいの、開けるわ。」
1分ほど経ち、玄関を叩く鈍い音が鳴った。扉を開けて改めてその顔を確かめる。全身雨に濡れて、どこか哀愁を漂わせる表情。震えで口から漏れ出る吐息が抑え込んでいた心のリミッターを大きな音を立てて破壊した。
腕を掴み、家の中に勢いよく引き込み柔らかな唇を誰かに奪われないように激しく求めた。消えかかっていた声は、次第にその大きさを増すともに身体の酸素を奪っていく。息切れかと錯覚する2人の声はさらに激しさを孕み、肉を貪るため邪魔な服はいらないと身を剥いでいく。
静かな一室に生まれたての姿で欲望を求める2人の男女の肉声がこだまする。
1人は生涯を約束した夫がいる1人の女。
もう1人はその女の欲望に魅せられ、自分の心を抑えることができなくなった若い男。
1週間に一度しか訪れない日曜の昼下がり。そのたった一度を永遠と思える時間に変えるため、2人は内に芽生えた熱いそれを求め合う。外では雨がその熱を外に漏らさないよう降り続けている。

知られてはいけない誰かから2人を守るために。


ホテルの一室。デスクライトの光だけが煌々と白い明かりを灯す中、1人の男が開かれたパソコンを前にイヤホンで耳を空間の音を遮断して何かを聞いている。
徐にポケットからライターを取り出し、テーブルに置かれたタバコに火をつける。
灰色の煙を立ち昇らせ、不敵な笑みを浮かべながらパソコンとイヤホンから流れるその音に聞きいる。漏れ出た音からはどこかで聞き覚えのある男女の声が流れていた。
「やっぱり、僕の直感は当たってた、、、。君は僕以外だとそんな声をするんだね。」
それは2人とは違う熱を帯びた夫、、、いや、1人の男の姿だった。

                   【続く】

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