bye-bye/Hello
「今年ももうすぐ終わりか、、、」
夜も更けた午後23時30分。今年もあと30分で終了してまた新しい一年が始まろうとしている。紅白も笑ってはいけないも見てしまい、あとは1人餅の入っているインスタント麺を啜りながら新年の合図が自分から歩いてくるのを待つだけ。
テレビと外をうるさいほど元気に走る暴走族のバイクの音以外は思った以上に静かなもので、世間は家族や恋人、また今の俺みたいに1人家で静かに過ごしているのだろうか?
思えば今年一年は特にこれといって何か挑戦してみたり、経験してみたりなんてしてこなかったなぁ
今年一年を振り返ってみて急に部屋が一つの空間として孤立したかのように静まり返る。
今年は、今年こそは、来年こそは、なんて言い訳を独り言のように毎年呟き続けて何年が経っただろう。
特にやりたいこと、夢とか将来とかそういう抽象的でかつ具体的なイメージが俺にはいつもなかった。
親に言われるがまま高校に行き、言われるがまま4年大学を卒業し、言われるがまま一度は就職もした。
だが、社会や他人の目というものはどうやら俺の心にはどうにも合わなかったようで就職して1年で辞めた。
言われるがままやってきた事がいざ言われなくなるとどうして良いかわからなくなった。答えを求めようにも出題者が側にいないんじゃ問題を聞く事も考えることもできない。
八方塞がりというやつだ。
辞めてから数年、木造50年はざっと経っているオンボロアパートに一人暮らしをし、毎日を惰性で過ごしている生活。
こんな人間が今年とか来年はとか口に出す方が烏滸がましいのではないか?
むしろここまで生きてきたことを褒めて欲しいぐらいでもある。
自殺しようとかは考えた事はないが、死んでも結局は何もできなかったただのぼっちと警察に思われるだけというのがどうにも嫌で腐ってもプライドはあるんだなと自分を嫌味に思う。
今年もあと10分。食べ終わったインスタント麺を流しで軽く濯いでからゴミに入れた。
冬のキッチンは家の中だというのに妙に冷える。木造だからかボロいからなのかはたまた両方か静かになると聴こえてくる隙間風の入る音が心にまで寒さを煽ってくる。
「100均の隙間テープ、全然効果ねぇじゃん」
昔母親が隙間が入ってくるところには隙間テープを埋めるといいよいっていたのを思い出し貼ってみたが、焼け石に水、無駄だったみたいだ。
今年も残り5分。これと言ってすることもなく手寂しさにふと携帯を取り出した。誰かからメッセージすら入ることのない携帯は暇や欲を満たすだけの娯楽箱と化していた。
「暇だし動画でも見るか」動画アプリを開き、一つの動画再生しようとするがなかなかロードが終わらない。
ふと携帯のデータ容量のタブを見てみると既にデータ容量を超えていたことに気づいた。
「はぁ、ついてねぇな」
今年も後3分。特に何もやり残したこともない。
来年を迎えるにはあまりにも普通な時間で、退屈な夜だった。
黙って時間を過ごそうと携帯をテーブルに置いた瞬間だった。
携帯が震えてメッセージが一件。それは母親からだった。
「来年も頑張ってね」そのタイトルで送られてきたメッセージだったがタイトルから綺麗事でもつらつらと書いているのだろうと見るのも嫌になる。
だが、何もすることのないので暇つぶしに読むことにする。
「来年も頑張ってね。
こんなことをいうとあなたは嫌な気持ちになると思うから来年はもう言いません。嫌になったら帰って来ればいいし、もう少し頑張りたかったら頑張ればいい。今やりたい事が無くてもいつかやりたい事は見つかるはず。今はもうすぐ終わります。次は今から来ます。来年はいつか本当にやりたい事を見つけたあなたと母さんは話してみたいです。陰ながら応援しています、母より」
「母さん、、、、」何故か俺は泣いていた。
何を思い、何に感動したのか自分でもよくわからないがきっと心が救われたのだ。
応援なんて望んでない。そんな今の俺の気持ちを汲み取ってくれた母に、側にいなくても息子の心を読めてしまう母という存在に涙したのだ。
外とテレビから同時に流れる除夜の鐘に年が明けたことを知らされる。
「さようなら、2021年。こんにちは、2022年」
来年は頑張ってみるか。
ありがとう、母さん。
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