桜の代償 【長編ミステリー】#1
年間発行される日本硬貨の枚数、数にして約100万枚。それに対して日本における年間の犯罪件数は年号が改元されてから約80万件ほど。硬貨発行数と対称して比較するというのも的外れな気もするが、一度考えてみて欲しい。日常生活を送る上で必ず一度は目にする硬貨と日常生活でよっぽどでなければ出会うはずのない犯罪の発生率が20万しか変わらない。これを【たった】と取るか【‥も】と取るか、それは個人の価値観の問題でもあるが、実際この犯罪の推移は警察が認知できている範囲の話で、本来はこれを遥かに超えるであろう数の犯罪がこの日本では起きている。
こう考えれば、日常生活に於いて硬貨よりも犯罪に出会う確率の方が身近に思えてはこないだろうか?
超ストレス社会と言われ始めている世の中で、皆が心の中に何かしらの闇を抱えている。その時限爆弾のようなものがいつ暴発を起こしてしまうかは本人ですらわからない。世間の犯罪のほとんどが計画性のない突発的に起こしてしまうものなのだから。では、逆に全ての犯罪に計画性があり、犯人がそれを正確に遂行することが出来る人間だとしたら?
おそらくこの国は一瞬にして血の海になってしまうだろう。
最近奇妙な事件が日本中を騒がせている。
手口や場所が問題視されているのではなく、犯人が現場に残していく証拠品が奇妙なのである。
それは【100円玉】。普段我々が物を買うために使われるあの100円玉なのだ。
警察は捜査当初、ただの殺人事件として取り扱っていたが、司法解剖の結果でその考えは大きく変わった。
発見時、被害者の両手足首に糸のようなものの跡があったため一度拉致監禁された後に殺されたことは明白化されていたが、遺体を警察が運ぶ際見た目の体格の割に異常なまでの体重の軽さがどうしても気になり、解剖したところ胃の中は全くの空。食物の分解された欠片すらなく、代わりに人の消化液で分解されないようプラスチックの袋に入れられた100円玉が一枚発見された。
明らかに人為的に飲まされたと思われる100円玉が犯人は何の意味を持って被害者に飲ませたのか、その謎と犯人の行方を残したまま捜査の権限は本庁の捜査一課に委ねられた。
都内某所。時刻は午前8時を回った頃。ランニングに勤しむ60代男性が日課のコースとしてよく訪れる公園にて、その途中休憩のため近くに設置されたベンチに腰掛けた際、ウェアー越しに臀部が何か濡れたような感覚に気づく。初めは塗り立てのペンキにでも座ってしまったのだと思い、触れて確かめてみたところペンキではなく大量に飛び散ってた血液だと判明。驚きのあまりその場で尻餅をついてしまい、ふと視線がベンチの下に移ったところで腹にナイフが突き刺さった遺体を発見。警察に通報し、今ちょうど事情聴取を受けている最中とのこと。そして遺体には例のごとく100円玉が埋め込まれていたらしい。
「これで何人目だ、この妙な事件の被害者は」
「これでちょうど、20人目です。」
「ちっ、こんなにも人が死んでいるというのになんの手がかりも見つけられないのか、俺たちは!」
遺体を前に苛立ちながらも悔しがる中年で加齢臭きつそうで無精髭を生やしているのが、こんな成りだが私の直属の上司で警部補である。
いかにも犯罪者みたいな面構えをしているがこれでも昔は検挙率1、2を争うを凄腕刑事だったらしいが、ある事件で犯人に多大な怪我を負わせたことで謹慎を喰らっていた。しかしその謹慎期間も過ぎ、捜査一課に戻っていた最初の事件がこの連続殺人事件だった。
長い間現場に出ていなかった反動からか、初めは勢いが強すぎて空回り気味だったが相次ぐ被害者の死に是が非でも冷静さを取り戻さなくていけない状況になってきた。
現に今、目の前で遺体を前に犯人への苛立ちを隠せずにいるがその眼は衰えを知らないと言うぐらいに鋭い。
「これから解剖を行うため確証はないのですが、おそらく、、、。」
「ああ、多分な。これが20人目なら腹部に入れられているのは昭和62年の100円玉だろう。」
既に判明していることは二つある。
1.犯人は被害者を殺害後、または殺害直後体内に100円玉一枚、それも丁寧に指紋まで拭き取り、プラスチックの袋に入れた後埋め込む。そしてその遺体はわざと気づかせるための細工を施す。第一の事件は発見場所からほど近い人通りのある公道に血のついたナイフを。今回の場合はランナーの多い公園のベンチに血を撒いてベンチ下の遺体を発見させる。
2.犯人が殺害後に残す100円玉は殺す事に発行年数が新しくなっている。始まりの事件では昭和42年硬貨。一度目の時点では100円玉が人体に入っていたと言うだけで年数そのものに着目はしていなかった。しかし同じ事件が起きていく度に証拠として上げられる100円玉の年数が新しくなっていることに5人目の殺人でようやく気がついた。そこでようやく犯人が計画性を持って犯行を行なっていることが浮き彫りとなった。
そこからさらに15人。計20人の死者を出していながら未だそれ以上の手がかりすら手にできていない。証拠として被害者と共に残される100円玉が、まるでこの殺人を止めてみろと挑発されているようで
一課の人間のフラストレーションも溜まっていくばかり。正直な話一課の中でも、特に若手の捜査官は半ばこの犯人を捕まえることはできないのではないか?と諦めかけている人間も出てきている始末。ここまでくるとそう思いたくなるのもわかる気がする。
「犯人の目的って、なんなんでしょう?100円玉を発行年から順に残すなんて。」
私はふと、電子タバコを吸いながら資料を眺める警部補に呟くように聞いた。空を流れる鼠色の曇り空に濁った煙を吐きながら答える。
「さあな、イカれた殺人犯の考えることなんざ共感したくもねぇよ」
「小説とかによくある【死とは美学】みたいなやつでもあるんですかね」この軽率な言葉が警部補の地雷を踏んだらしく、吸い切る前の電子タバコを引き抜き、鬼の形相で吸い殻を手で揉み砕いた。
「殺人に美学もくそもあるか、人の死は死、殺人は殺人、そしてそれをやる奴は人じゃねぇ。バケモンだ。」警部補の風をも切る鋭い眼光はバディの私でも一瞬にして緊張してしまう。警部補の殺人に対する意識は一課でも群を抜いている。それには理由があるのだが、今はまだ話すべきではない。
20人目の事件が起きてから今日で11日が経とうとしていた。今まで事件の発生にこんなにも時間が経過することはなかった。20人の犠牲者が出ている連続殺人事件なだけに終始一課の人間も気は抜けない日々を過ごしていたが、1週間を経過したところで若手と一部の中堅の刑事たちに気の緩みが見え隠れするようになっていた。
昼下がりの気持ちがいい青空の元ではタバコを吸いながら事件のことを話す若手の先輩に当たる刑事が犯人は死んだんじゃないか?や何か目的を達成して殺人をやめたのではないか?などなんの根拠もない憶測だけの弱音を吐きながら過ごす様子がちらほらと見られ、同じようにタバコを吸いにやってきた警部補もその話をうっすらと聞いてはいるものの無駄に吸う本数が一本から2本に増え、貧乏ゆすりが起きるだけで特に喝を入れるわけでもなく聞き流していた。
そしてその夜、私は警部補に飲みに誘われ飲み屋街の高架下にぽつりと点在している屋台のラーメン屋に向かった。飲み屋街と言うだけあって一度その通りに足を踏み入れれば一寸先は酒と酔っ払いのおっさんばかりの世界。私には一人では到底踏み込めない世界に緊張までしていた。
屋台のラーメン屋と高架下という条件が相まって電車の走る音と風が少し気になるが、それが独特の空気感を演出し、風で豚骨の匂いを運び腹の虫を目覚めさせる。暖簾をくぐると警部補よりも少し年上だが物腰の柔らかそうな主人が座っていた。
「おう、親父。俺とこいつにラーメンとビール」
「あいよ、久しぶりだね。お前さんがここにくるのは」
「まぁな、事件と野暮用があってね」目も合わせず会話続ける二人によほどの長い付き合いなのかと推測する。安いパイプの椅子と使い込まれて年季の入ったカウンターテーブルがレトロに映えていい雰囲気だ。腰を落ち着かせると主人がスープの入った器を前に麺を茹で、その間にカウンターの下からそのほかの具材を準備する。ラーメン作りとは間近で見るとこうなっているのかと感心までしてしまう。出されたビールも今時瓶ビール。自分で注ぐタイプにどこか懐かしさすら覚える。
そんな私を横目に隣では警部補が電子タバコを咥えながら神妙な面持ちで出されたビールに口をつけ呟くように私に聞いた。
「100円玉の犯人、何か手がかりは見つかったか
?」
急な問いかけと思った以上にビールの炭酸が強かったことに吹き出しそうになりながらも、なんとか呼吸を整え答えた。
「いえ、犯人の痕跡は指紋やゲソ痕、ましてやDNAの検出すらありません。それこそ完璧というほかないほどに。」
「完璧とは逆を言えば臆病とも取れる。失敗やリスクを恐れているんだ。何事も自分のやること全てがうまくスムーズにいくように頭にビジョンを描く。失敗を恐れ、それでも完璧にこなすやつ程恐ろしい。」妙に語り口調で話す警部補の姿に疑問が浮かんだが、真っ直ぐとした眼差しで目の前の作業をするラーメン屋の主人を見て話す様子に、警察官の勘というやつが働く。
茹で上がった麺を軽快に湯切りし、スープの中へダイブ。彩りのいい具材たちを盛り付け二人の前に差し出された。食欲をそそられる甘美な香りとは裏腹に、頭の中をよぎった勘は刺激的なものだった。
「もしかしてですけど、警部補と主人、2人は知り合いなんですか?客と主人ではなく、もっとなにか」
「なんだ、お前冴えてるな。この人は前に俺が逮捕したことのある男で、今はラーメン屋兼情報屋だ」
「やめてくだせえよ、今は足洗ってラーメン一筋ですよ」
二人の間を流れる空気の違和感はこれだったのか。
なんの根拠があったわけでもないが、これも刑事の勘というものなのか、ふとひらめきのようにあたまに浮かび、たまたまそのひらめきが二人の間柄を言い当てた。この勘が本物の事件でも発揮されれば困らないのに、、、自分自身の不甲斐なさに少し落胆してしまう。警部補はまぁまぁと背中を叩くが、大事な局面の直前で運を使い果たしてしまったような気に苛まれているのも事実だった。
「足を洗ったあんたの耳にも入ってるだろ、例の連続殺人事件」
「そりゃあんだけニュースになってれば嫌でも知ってますよ」
また空気が変わった、、、、。
「そうかい、そういえば娘さんは元気か?」
この一言にラーメン屋の主人の顔色が変わり、並びに警部補のどこか煽るような口調が火に油を注いでいること第三者目線の私でさえ容易に感じ取ることが出来た。
娘、おそらくここでの娘とはこの主人の子供だろう。事件のことやそのほかの話は聞き流すように受け答えをしていたにも関わらず警部補の【娘は元気か?】という、側から聞けばなんらおかしくもない文言にこの雰囲気の変わりようはおかしい。この人の抱える娘さんの事情について、警部補も大きく関わっている。しかし、まだ共に仕事をし始めて日が浅い私にとって、昔からの付き合いである二人の内部事情については知る由もない。
「何がいいたい?いくらあんたでも、言っていいことと悪いことがあるじゃねぇのかい?」
「元気かどうかぐらい聞いて何が悪い?普通のことだろ?」
「、、、帰ってくれ」
「は?」
「帰れって言ってんだい!話すことは何もない!あの子をあんなにした奴は俺が見つけ出す、、、!」
私と警部補は追い出されるように暖簾をくぐり抜けた。何も言わずズカズカと大股で歩を進める警部補の後を追い、何がなんなのか事情を聞き出そうとしたが、出来なかった。つい数分前まであの主人を煽り散らしていた人間とは思えないほどの凄みが顔や空気感から伝わってくる。私は口から出そうになった言葉たちを飲み込み、ただ隣を同じ速度で歩き進めた。
飲み屋街を抜け、少し肌寒い潮風の吹く通りに出た。オレンジ色の街頭と真っ暗な海がさざ波を立てるその場所はどこか見覚えがあった。それは100円玉殺人の被害者がまだ数人ほどだった頃の事件資料。今では被害者の系統は様々だが、その事件では初めて女性の遺体が発見された。
「あいつの娘が遺体として発見された場所がここだった。ちょうど、今俺が立っている、この場所でな」
その日は1日中雨が降り続く湿気の多い日だった。
当時、俺は扱っていた別の殺人事件の捜査にあたっていた。殺された被害者たちはどれも女性ばかりで絞殺、刺殺、さらには強姦ののちに暴行し殺害など、殺し方はそれぞれ違う方法で殺されていた。犯人は都内の大学に通う大学生だったんだが、犯行の動機が【目が合ったのに無視されたから】だった。当時、その大学生は同級生からいじめを受けていたらしく、仲間内ではぶられたり、無視をされたりとなんとも子供じみたいじめだが、それが奴にとっては相当な精神的ストレスに感じていたらしい。そのストレスが許容範囲の限界を迎えた頃、1人目の殺人でいじめの首謀者である女子大生が刺殺された。その後、奴に対するいじめは無くなったが心に負った精神的ストレスは深く、対象は全く関係のない女性にまで及んだ。まさに四面楚歌だな。そんな精神状態にまで陥っていた奴だが、犯行現場には殺害の証拠となる物を一切残していくことはなかった。あまりの物的、科学的証拠がないために俺たち警察の捜査は難航していた。だが、事件の最後の被害者が殺されたその日、たまたま現場近くをパトロールしていた警官によってあっさりと逮捕された。
「その大学生はそれだけの犯行を繰り返していたのであれば判決は死刑に、、、?」
「普通ならばそうだ。だが長年のいじめ被害で精神的に鬱状態にあったとされて、心神喪失と判断、無罪判決が下された。」
「でも、おかしくないですか?心神喪失って判断がされていたにも関わらず現場にはそれらしい証拠はなかったんですよね?それって、誰かが意図的に証拠を隠蔽したってことじゃ、、、」
「被害者家族は猛反発。再審請求の要望もあったらしいが受け入れられず、事件は終幕。それでも諦めなかった父親の一人が、さっき会ったラーメン屋の親父だ。」それを聞き合致がいった。先程のラーメン屋の主人の反応はそういうことだったのか。肌を撫でる夜の海風が何を思ったのか、ふと急にその姿を消した。波の音も消え、命も消えてしまったこの場所が胸の内のさらに奥深くを抉られるような感覚が込み上げてきた。
「何度も事件が起きてはその被害者家族に会ってはいますが、あそこまで感情を押し殺している人を初めて見ました」
「人にはそれぞれ事情がある。受け入れ方も様々だが、それでも現実を諦めない人間は数少ない。あの人は、その数少ない人間の一人で父親なんだ」真っ暗な海を見つめる警部補の顔がこんなにも悲しみを憂いる表情をしているのを私は見たことがなかった。警部補でもこんな表情を見せるのか、失礼な言い方だがそれほどまでに警部補は誰に弱い一面を見せたことがない。多分こんな顔を見るのは今日が最初で最後な気がする。
「今日帰るぞ、お前も付き合わせて悪かったな」
「いえ、、、」あの日の空のように上空では黒い雲が星々を覆い隠し、代わりに冷たい雨粒をしとしと逃げ場のない悲哀の感情を乗せて降り注いだ。
まさかこんな日に雨とは、事情を知った私の心には妙な胸騒ぎが払いきれない霧のようにまとわりついていた。
そして次の日。私は自分の勘の鋭さを初めて恨むことになる。
第2話へ、続、、、