声、とは / 森山直太朗 20thアニバーサリーツアー 素晴らしい世界
季節はすっかり秋深くなったこの頃ですが、今年の夏に私が体験した“きらめき時間”の中から、綴ってみようと思います。お盆の入り、8月13日に行われた森山直太朗さんのコンサート霧島市民会館公演を観に行ったことについて。
(※この先、演奏曲目などに触れています)
私の暮らす町からほど近い、霧島市民会館。国宝・霧島神宮を擁する、鹿児島県霧島市の市街地にあります。おそらくもう何十年も前に建てられた1フロアだけの客席を持ち、直太朗さんにとてもよく似合っているなあと思わせる会場でした。レトロな雰囲気の小さなホールに集まった老若男女はみんなが親戚みたいで、あたたかな空気が流れていました。
1曲目、“花”から始まったコンサート。もうはじめから、涙を流してしまいました。直太朗さんは20年来応援しているアーティストで、思い出も思い入れもたくさん。けれどそうでなくとも、直太朗さんの声にはなんというか「手当て」みたいな力が宿っていて、それは「心地よくなる」を通り越し、人を「助ける」とか「救う」とかそういった類いのものなのです。聴く人にそっと寄り添って、心身を浄化させたり、心の傷を癒やしたり、心を安定させたり…。そういう優しくてあたたかな不思議な力が宿っている、声。
私は数年前から歌をうたいはじめ、今も自分のペースで続けているのですが、時が経るにつれ私自身の歌や、歌い手の皆さんに対する視点がずいぶんと変わってきました。私が大切にしたいと思うのは「音色」で、好きだなあと思う歌い手の皆さんは、声の音色が好みなのだと気づきました。
歌をうたうとき、リズム感や抑揚はもちろん大切なのですが、まあ練習すればなんとかなります(たぶん)。つまり、うまく聴かせる、ことはそれなりにできるということ(もちろん努力次第なのですが)。けれど音色は、本当に、思うようにいかない。こんな声を出したいといくら望んでも、届くためには練習だけでは足りない。私はいつもそこで「ああ、むずかしい」と嘆いてしまいます。
声の音色には「人間としての姿」が、そのまま表れるような気がします。声はよく生まれ持ったもの、授かりもの、だといわれますが、素質以上にその人の持つ人間性や、日々の生活とその積み重ねが大きく出るものなのだな、と思うのです。その日の心持ちや心身の状態によっても変化するので、「いい声」を保つことは本当にむずかしい。だから、心に響く声を持つ歌い手の皆さんの日々に思いをはせると、頭が上がりません。本当に、本当に、彼らはすごい。
コンサート冒頭のMCで、直太朗さんは「どうも、“この身の限り唄をする者”森山直太朗です!」とあいさつをしました。この日も演奏された“花鳥風月”の歌詞を引用したものなのですが、私はそこに彼の心意気を見たような気がしてじーんとしてしまいました。歌を聞いてくださる聴き手への自己紹介であるとともに、一生歌と向き合い続ける自分と歌への約束、のような言葉。昔から、コンサートで気持ちを伝えるときには照れ隠しのためのおふざけ要素を入れてしまう直太朗さんでしたが(そういうとき、少しさびしくもありました)、豊かに歳を重ねてきた今、思いをまっすぐに伝えてくれたことがとてもうれしかったです。
そして最後に「さくら」を、マイクを通さずに直にうたってくれました。20年の歩みを経た彼の歌声は、優しくてあたたかく、明るくて繊細な、直太朗さんそのもの。とても頼もしい、今の「さくら」でした。
私はこれまでの人生で、苦しいときや前に進めないとき、彼の歌にたくさん助けられてきました。歌を愛する一人として、直太朗さんの一ファンとして、これからも彼の歌が誰かにとっての"暗闇にさす一筋の光"であったらいいなあと思います。20周年おめでとう。これからもずっとずっと歌っていてください。どうぞ、よろしくお願いいたします。
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