「SUPERHEROISM」を彼らが演じる意味~7MEN侍というアイドル~

1. この作品を、アイドルが演じるということ

この作品は、どこにでもいるようなしがない青年の塩っぱい恋愛・日常を描く中で、「彼がなろうとしたスーパーヒーローとは何か」を描いた部分が本題である。このことは物語のラスト、ストーリーテラー(:佐々木大光)から明確に提示されている。

つまり、この作品の主題を大まかにまとめると、「彼ら(ゴタンダ、ピーマン)が目指すべきものとしてのスーパーヒーローとはどういう存在なのか」であるといえる。

ここで、スーパーヒーロー≒アイドルと仮定する。

すると、

「7MEN侍のメンバーとしての中村嶺亜、佐々木大光である二人(≒ゴタンダ、ピーマン)が、目指しているアイドル(≒ヒーロー)とはどういう存在なのか?」

という議論を意味した舞台「スーパーヒーローイズム」が見えてくる。

2. 目に見える価値と人間の本質

物語は、レジ泥棒の正体がチサ(:中村麗乃)という”若くて””可愛い”アルバイトの少女だったことが判明するという結末。ゴタンダやピーマンは彼女に恋をしていたし、周囲もまさか彼女が犯人だとは、疑ったことすらなかった。

それはなぜか。

そもそも彼女は、スーパーマーケットで働く同僚たちと相互に自己開示をし合う(コミュニケーションを取る)ことに意味を見いだせなかった。彼女は「お金」という目に見える価値にしか、スーパーの(特にレジ担当として)アルバイトをする意味を見いだせなかった。

これはすなわち、彼女の目に見える性質"若くて""可愛い"以外の部分、つまり人としての本質部分への理解者が現れなかったことにつながってしまった。

(恐らく、彼女が自分を値踏みする行為からして、彼女自身が"若くて""可愛い"ことにしか自分の価値を見いだせていないのだが、)

だからこそ、彼女が持っていた闇には誰も気づけなかったのである。そしてこのことは、自己開示ができない限り、他人が抱えている闇に周囲が気づくことは不可能であることを意味しているのではないだろうか。

さらに興味深いのは、物語の中心に、チサの窃盗行為が据えられている点である。

この舞台の観客はほぼ大半が、主演2人を中心とする男性タレントのファンであることが予想される。すなわち、若い女性が多いことが予想できる。

観客と最も近い存在を、悪役にする。

目に見えるものにしか価値を見いだせないがゆえに、犯罪を犯す彼女。

ジャニーズを中心とした若手タレントを取り巻く若い女性の現実や犯罪を、ある意味象徴している、といったら流石に言い過ぎかもしれないが、なかなかに皮肉の効いたストーリー展開である。

3. 7 MEN 侍のアイドルイズム

「チサを悪者から救い出すスーパーヒーローを演じることで、ピーマンが彼女から好意を持たれるようにしようという作戦」を決行したことが、かえって彼女の罪(レジ泥棒)を明らかにしてしまう、皮肉な結果につながった。

ここで重要になるのは、作戦の中で彼女が突き飛ばされてしまった際に、ピーマンが「ケガはないか?」と必死に声をかけたことである。

ピーマンにも突き飛ばされた彼女のカバンから大量のお金が出て床中に散らかったことは確実に見えていた(=彼女がレジ泥棒の犯人だったことが分かった、もしくは彼女が何か後ろめたいことを隠していることに気づいた)はずだが、彼はそれにも関わらず、一拍置いて「ケガはないか」と尋ねた。

この行動について、次のように仮定してみる。

ピーマンは、相手が実際どんな人であろうと、いかなる状況であろうと関係がなく、危機に追い込まれているのであれば"スーパーヒーロー"として手を差し伸べるしかない

と感じたのではないか。

するとその姿は、相手を選ばないヒーロー。いつでも、誰にとってでも、光になれるヒーローの姿だと言えるのではないだろうか。

ここで、ヒーロー≒アイドルをあてはめる。

相手が誰であれ、どんな状態であれ、必要そうだと感じたら手を差し伸べてくれるアイドル。

それは、いつでも誰にとってでも、勇気を与えたり、心を救ったり、幸せな気持ちにさせたりできる存在なのである。

ただ、ピーマン同様、スーパーヒーローになろうとしたゴタンダは、

「スーパーヒーローになることは虚しいことだ」と笑顔であっさり告白している。

たとえばこの物語だと、チサとピーマンをくっつけることで、ピーマンのヒーローになろうとしたゴタンダは失敗。さらにチサのヒーローになろうとしたピーマンは、むしろチサから嫌われてしまう。

これは、ゴタンダの力添えでピーマンが差し伸べた手を、チサが振り払ったからである。

すなわち、ヒーローになるには、相手からヒーローの存在を求められる必要があるのだ。

ここで再度、ヒーロー≒アイドルを当てはめると、

アイドルがアイドルになるには、相手からアイドルの存在を求められる必要がある、ということだ。

誰に対しても、どんな時でも手を差し伸べ救おうとする。だが、相手から必要とされなければ、相手を救うことは出来ず、スーパーヒーロー≒アイドルにはなれない。

だが逆に言うと、見返りがなくとも、いつでも、誰に対しても手を差し伸べ、光になろうとする者でなければ、スーパーヒーロー≒アイドルにはなれないということでもある。

実は、この舞台のパンフレットで7 MEN 侍の二人は「愛とは何か」に対して

「見返りを求めないこと」だと回答している。

与えても、手を差し伸べても、見返りを求めないという、彼らの愛。

だからこそ、私はこの舞台を見て改めて、彼らが目指すアイドル像が愛に溢れる温かいものだと確信してしまったのである。

舞台「スーパーヒーローイズム」が、7 MEN 侍というアイドルの温かい"アイドルイズム"を改めて教えてくれたのだ。



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