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手帳を書いてめくる楽しさを語りたい

こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。

最近、日常の様々な物事や手帳の使い方について、いろいろ実験しています。

今年に入ってからより一層、物事と物事の「繋がり」のようなものに気づくことが増えて、全く別の場所で耳にした言葉がまた別の場所で活きてきたり、繋がったりしていて面白いのです。(抽象的すぎてわからん)

「実験」という言葉は、通っているヨガの先生から頂いたもの。

去年の夏からホットヨガに通っていて、いつも固定の先生の授業ばかり受けていたのだけど、今年から在宅時間が増えたことで別の先生の授業も受けられるようになり、そんな中で出会えた方なのだけど。

その方のお人柄?雰囲気?がとても素敵で、ほんっとに憧れ。

眩しすぎない笑顔、まろやかなお話の仕方、一人一人の生徒に声をかけるその心、必ず「今日もありがとね〜」と言ってお見送りをする姿勢。

こちらが「ありがとう」なのに先生に「ありがとう」って言われるとかもう!!!っていつも思って、気合いを入れた「ありがとう」を言いたいのに、パワーヨガなのでヘトヘトすぎて「あっした〜」くらいのことしか言えない自分、無念。

本当に、「あぁ、ヨガで心と身体を整えていて、いつも機嫌よく健やかに過ごされているのだろうなぁ…」という余裕が感じられる方で、一緒にいるだけでなんか元気が出るの。

その方から「ヨガの時間は自分の身体の変化に気づいたり、実験をする時間にしたら良いよ」と教えて頂きました。

この姿勢をしたらどうなるだろう、もう少しここを曲げてみたらどうなるだろう、その時の心の動きはどうなるだろう、心地よいかな?

みたいな「実験」。

そして、この「実験」の姿勢、ヨガだけじゃなくて様々な物事について取り入れられるぞ??って思って手帳に取り入れようとしてるんだ〜ってお話です。

何でも「実験」って思ったら、失敗してもそれはただの「成功までの道のり」「経験」になるから、心軽く挑戦できるよね。

過去のページを振り返って書く必要性はあるのか、ないのか?

このテーマは、正直ずーっと思っていたこと。

私の手帳の書き方は、数年間同じっぽく見せかけて少しず〜つ違います。(詳しくは発売中のZINEにて紹介してます)

今年からは、まず行動メモを書いてから肉付けしていく方式をとっていて、その日のうちにその日のページを書く量がこれくらい。

書き途中のページだらけ

ここから後で書こ〜て思って書くんだけど、「いつ書くか」というのは完全に自分の書きたい欲に託しているのでなかなか埋まらん。

書きたい日のページをペラペラしながら、今日はこの日に思いを馳せよう〜と思ったらそのページを書く感じにしている。

なぜこんな非効率的な(?)書き方をしているかというと、私にとっての手帳はただただ楽しいもので、日々を愛でるためにあるものなので

(もちろん手帳は人間として成長するツールでもあるし物は言いようというかすべての原点が手帳とも言える)(だから手帳で夢を叶える!というテーマなどには興味があるしはるにち手帳にはそういう要素もあるけど手帳に何か書いただけで願いが叶うわけではない)(心の声が長すぎる)(この話また別でしよ)

書かなきゃ!みたいな気持ちで書いても楽しくないし、書かなくても何も困らないのでゆるゆると楽しく書けそうな時にだけ書く。

あと、過去を振り返ってページをペラペラするってのが「手帳めくリエーター」っぽいところでもあって、ペラペラする過程でアイデアが生まれたり、わくわくしたりするの。

人と比べるんじゃなくて過去の自分と比べるようになれるから、良い。

で、そんな感じでゆるゆるとしているので、しばらく放置なページもあります。

あと少しじゃん

あと数分書けばおわりじゃん!みたいなページがほぼ毎日ある。今書けば良いじゃん、と思う笑

マステかわいすぎ

そして、最近思ったのです。ここ、全部書く必要あるかな???って。

別に手帳は埋めるためのものでもないし、自分が楽しければ良いので、じゃあ書かなくても困らないかな〜って。

だから、行動メモに追加で書き足さないというのを少しの期間やってみました。(実験!)

で、そのまま日々が流れていってそういう少しだけスキマのあるページがどんどん増えていったのだけど、少しずつモヤモヤとしてきて。

スキマがあるということにモヤモヤしているのではなくて、「その日が締まっていない」みたいな感覚が生まれていることにモヤモヤしているのだと気づいた。

「締める」というのは、スマホのカメラロールやスマホのメモ帳にその日の出来事、気づきをメモした情報たちがきちんと書ききれているか、取りこぼしている内容がないかをチェックして「はい、この日もよく生きましたね〜」と振り返ること。(今考えた笑)(日々何気なくやってることを言語化することの難しさ)

だから、埋める埋めないは関係なく、きちんとその日を締める儀式をすれば良いのだな、と自分の中でわかりました。

振り返って書くことのメリット

その日を思い出す

その日のうちにその日のページを書くのではなく、後から振り返って書くことのメリットについて考えました。

メリット①楽しかった記憶が蘇る

これについては、手帳に楽しいことをメインで書いてる人向けのメリットというか、毎日ネガティブに埋もれてしまっている人にはメリットにならないかもしれない(言い方の冷たさ)

・あぁ〜この日のご飯おいしかったな
・カフェの店員さんがとても健やかでよかった
・お天気良くてありがとう
・確定申告終わらせられてハピネス

みたいな、ささやかな楽しかった記憶をぽつぽつと思い出して、しみじみとする気持ち。これが日々を愛でることの第一歩な気もする。

メリット②人の良き言葉が当たり前化していって自然と成長する

私は手帳に、noteで尊敬している方々が書いていた言葉やネットで出会った言葉、人からもらった言葉などを結構書いているので

それらをもう一度読み込むことで、自分の中に少しずつインプットされて、意識できる。意識したことが無意識に入っていくと、当たり前になる。

メモメモ

私はすぐ、睡眠について「あ〜今日もこんなに寝てしまった」と思って落ち込みがちでした。(ここに書いてあるのは何時間しか寝てない、の方だけど、私は逆笑)

でも、確かにもうその現実は変えられないし、たくさん寝たことは健康的で良いのだから、起きてすぐ「あ〜しまった」と思うのはやめようと、これを読み返すと思う。

昔休みの日に昼過ぎまで爆睡しちゃって、よせぴー(旦那)に「寝過ぎちゃったよ〜(後悔)、起こしてって言ったじゃん〜(寝たの自分のくせに人のせいにする)」って言ったら

「え、休みの日にちゃんと休んだんだから良いじゃん!何がだめなの?」みたいなこと言われたのを思い出した。その通り。変えられない過去に苛立って不機嫌になっていた昔の私よ、今は成長したぞ!!!(未だに早起きは苦手笑)

そして、なんだか最近は当たり前化できているのかな、あまり睡眠時間に執着することがなくなりました。

たぶん人生で一番今がよく寝てるので、これからあまり寝れない人生が来たときのために寝溜めしておこ、くらいのテンション(そんなことできるんか)

ありがとう、糸井さん!!!(このメモは糸井重里さんの言葉なの)

そしてありがとう、よせぴー(旦那)!!(本人にも伝えた)

メリット③忘れてたことを思い出せる

これは!!本当に助かること!!!

本当に忘れちゃ困ることは、マンスリーページにスケジュールとして入れ込むので大丈夫なのだけど(この書くことをそもそも忘れるとダブルブッキングしてハイパー焦る)

別にそんなに大事じゃないけど思い出せたらまぁ嬉しい、みたいなことが思い出せる。笑

日々いろいろなこと吸収しすぎて、いろいろなこと忘れるよね。

そしてその忘れてたことを思い出したら、また新しく吸収したことを忘れていって、無限ループ。そういう物語書けそう、おもろ。

この前あったのは、韓国ドラマの前編後編の配信日が違って、前編を見終わったところで「また後編出たらみよ〜」と思っていた作品を、手帳を振り返って書いたことで思い出せたこと!!

忘れがち

後編が配信されて少ししてから前編を観たページを書いていて、「これ何のドラマだっけ?」となって調べたら思い出せたのです。。。ありがとう。。。このタイミングでこのページ書いたことも何かご縁を感じるような。。。(いろんなことにご縁感じすぎ)

手帳書いてなかったら、このまま後編を見ずにこのドラマの存在まるまる忘れているところだった(そのくらいだったのなら観なくても良いのでは笑)(実際後編観たらなんかあんまり面白くなくて集中できなかったのは内緒)

書いて、めくって振り返るまでが私の手帳なのだろうなぁ

楽しいが詰まっている

ただ書いておしまい!スッキリ!っていう手帳術は存在すると思うし、後で読み返した時の自分を想像してしまって素直に書けない(その時の自分を受け入れられなかったらどうしよう、みたいな?)という方がいることも知っているけれど

私の場合は、これを読んだ未来の自分がどう思うかということをあまり考えていないのかもしれないな。

というより、「死ぬ時に最高でいたい」という人生目標があるので

今日より明日が、明日より明後日が1ミリでも1ミクロンでも面白かったり成長していたりしているに違いない!と信じているからこそ、未来の自分が過去の自分を見て失望するのではなくて

あぁ、よく生きたね、と思ってくれるに違いない!と思っているのかもしれない。知らんけど。(また壮大な話をしている)

めくる、っていう部分に関しては、もう本当に自分の手帳に限らず人の手帳をめくらせてほしいと常に思っているよ。

自分の手帳はめくる=過去を振り返る、なイメージが強いけれど

人の手帳はそこまで読んだらなんか申し訳ないので(私の手帳が人に読まれることは全然嫌じゃないけど)ただその音を楽しませてもらう、みたいな感じでめくりたい。

書いてるインクとか、貼ってあるものとか、紙質によってその音は全然違うから、その音を聞き分けることはできないけど、世界に同じ音の出る手帳なんてどこ探してもないんだろうなぁ〜と思うとなんだか感慨深いね。(感慨深いって国語の授業以外で初めて言ったかもしれん)

いつか手帳書くのが好きな人々と実際に集まって、手帳の音を楽しんだり書いてあることを共有する時間が作れたら最高だな〜。

そんなことを思った日でした。
読んでくれた人、ありがとう!!!

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