#54 “しあわせをつくるお菓子” 北海道の『顔』が乗り越え繋ぐもの/石屋製菓 石水創さん #BOSSTALK(廣岡俊光)
北海道の活性化を目指すボス達と北海道の未来と経営を楽しく真剣に語り合う「BOSS TALK」。今回は石屋製菓株式会社 代表取締役 石水創さんです。
数々の困難を乗り越えながら、社内に新たな変革や進化をもたらす経営スピリットについてうかがいました。
■ 楽しそうに仕事語る父…「お菓子屋さんの社長になりたい」
―― 石屋製菓さんと言えば「白い恋人」であり、北海道コンサドーレ札幌のオフィシャルトップパートナーですよね。
北海道で初めてのプロスポーツチーム「北海道コンサドーレ札幌」。私の父が立ち上げからずっと関わっていました。
石屋製菓としても私としても、コンサドーレに対する思いはすごく強いです。
北海道民の誇りのようなプロスポーツチームになってくれたので、すごく嬉しいですね。
―― 石水さんで何代目ですか?
私で4代目です。創業者が私の祖父、2代目が私の父、3代目が賞味期限改ざんの不祥事があったときに、北洋銀行から島田(俊平)さんが来てくださって。私が2013年から、4代目です。
――創業当時はどのような商売をされていた会社なんですか?
昭和22年に創業して、政府委託のでんぷん加工場を営んでいました。
創業翌年に、そのでんぷんの粉を使ってドロップ製造を始めたのが、お菓子屋さんになったきっかけです。最初はスーパーの一角にあるような駄菓子屋でした。
―― 家業で菓子を作っていることは、子どもの頃どう思っていましたか?
小さいころから家には常に「白い恋人」がありましたし。「白い恋人」とポテトチップスを同時に食べるみたいな感じでした(笑)。工場にもよく行っていましたし、夏休みにはアルバイトもしました。パートのおばちゃんにも可愛がってもらっていましたね。
あとは、父が家でもすごく楽しそうに仕事の話をしてくれたんです。新商品の試作品を家に持って帰ってくれたり、白い恋人パークの図面を持って帰って「今度こういうのを作ろうと思ってるんだ」とか。
だから、小さいころから「お菓子屋さんの社長に早くなりたいな」と思っていましたね。
―― 大学卒業後はすぐに石屋製菓に入社されたんですか?
はい。最初の3年は現場で白い恋人の仕込みをしたり、ケーキや焼き菓子を作っていました。あとは光塩学園調理製菓専門学校で、お菓子作りのノウハウを学びました。昼間は現場で働いて、夜は専門学校に通いました。
―― 働きながら通うのは大変だったんじゃないですか?
そうですね、でもすごく楽しかったですよ。食べることは好きだったけど、作ることはできなかったし、理論もよく分かっていなかったので。
現場で実際に学びながら、夜に菓子作りを学べるのはすごく楽しい時間でしたね。
―― 今でも現場に出ることはあるんですか?
今はないですね。でも現場が大好きなんです。今でも「現場で黙々とお菓子を作っていたい」という願望はありますね(笑)。手を動かして物を作るというところの興味はすごくあるんですよ。当時から「白い恋人の仕込みを極めたい!」と思うぐらい現場が大好きでしたね。
■ 3か月間売り上げゼロ…立て直しまでの道のり
―― 賞味期限改ざんの不祥事、当時はどう向き合ったんですか?
本当にショックでしたし、なぜこんなことが起きてしまったのかと。いま考えると組織の体制が不十分で、コンプライアンスに対する知識も無かった。
製造も販売もストップしたので、早くきちんとした管理態勢を整えて、お菓子を作りたいという思いでした。
―― 立て直しの過程を教えてください。
はい。まずは食品衛生法やJAS法など食に関わる専門的な知識、コンプライアンスの知識を社内に浸透させていきました。
あとは売上ゼロの状態が3か月続き、当時父も社長を辞任して、この先どうなるんだろうと社員もすごく不安だったと思います。
そんな中で北洋銀行から島田俊平さんが社長に就任し、はっきりと発信して下さったんです。
「石屋製菓は、数字の部分で大丈夫です。(仮に)この先、2年製造しなくても全く問題ない。みなさん(パート含む従業員480人)の雇用はしっかりと守ります」
安心しましたね。自分たちのやるべきことはハッキリしていて、そこに向かって進めばいいんだと思えた。いま考えるとすごく大きかったなと思います。
島田さんが5年間社長を務めて下さって、その間「次は創さんだからね。だからその準備をして下さいね」とずっと話してくれていました。嬉しかったし、安心感にもつながりました。
―― その後2013年、島田氏のあとを受けて社長に就任しました。
現場のことは分かっているし、菓子作りも好き。でもそれだけでは社長の仕事は成り立たない。もっと外に出て勉強しようということで、大学のビジネススクールに通って、MBAの資格を取得しました。
―― 先ほどの専門学校もそうですが、時間をフルに使って自分のあり方を模索している姿が印象的です。
そういう大変な経験をしている時のほうが、生き生きしているというか、楽しかったなというのはあります。できないことができるように、分からなかったことが分かるようになる、これが一番の楽しさなので。楽しかったです。
―― 社長に就任して具体的にどんなことをしましたか?
ビジネススクールで学んだ知識や現場経験など、どんどん発信してやっていきました。売り上げは私が社長に就任後、倍になったんです。
ただ売上増の要因は、私の経営手腕どうこうではなく、インバウンド(訪日外国人観光客)の増加です。北海道だけではなくて、成田空港や関西空港などの国際線の免税エリアで「白い恋人」をどんどん買って下さる。欠品してはいけないのでどんどん供給を増やす。主体的にこちらから仕掛けたというより、世の中の流れに対応するのに精一杯でした。
その状況を言葉で表すとすると、成長ではなく「膨張」でした。
―― 需要が増えたからこそ、打てた手もあったのではないですか?
そうですね。一番大きかったのは、北広島市に新工場を建設したことですね。工場を建てたことにより、品質や生産向上につながりました。つくれるお菓子のラインナップもアイデアも増えた。すごく良かったです。
あとは道外への進出も新しいチャレンジでした。
2017年GINZA SIXに、私たちの思いの詰まった商品で道外に進出してチャレンジできたというのはすごく大きかったと思います。
■ コロナ禍で売り上げ激減…社長の決断
―― 2020年からのコロナ禍の影響は大きかったですよね。
人生で一番つらい期間でした。売り上げは激減です。コロナ以前の年商210億円ベースから、2020年度は70億円まで落ち込みました。これは本当に大変で、工場は3か月間稼働できませんでした。
石屋製菓の経営理念は「しあわせをつくるお菓子」です。
これは三方良しの精神からくる言葉で「お客様と従業員と北海道の幸せのためにつくる。何かあった時に立ち返ろう」と掲げたものですが、それができない。これは本当につらかったですね。
―― このコロナ禍を次へのステップにするために石水さんが打った手は?
まず組織を「コンパクト」にしました。あとは「撤退」です。不採算店舗をやめる判断・決断は、経営者にしかできないこと。その2つが一番大きかったです。
―― 「膨張」してきた会社を、コロナ禍をターニングポイントにして、本来あるべき姿に戻すイメージでしょうか?
おっしゃる通りですね。例えば白い恋人でいうと(コロナ禍の期間中は)海外に“越境EC”(海外販売のオンラインショッピング)で売るのならいいのではないか、とやってみたり、北海道物産展も声が掛かったら全部出そうと3年間やっていました。
そういったものについて「ブランドを見直して縮小しよう」という作業を今もやっている最中です。
―― 自分たちの思いが行き届くサイズの会社へ。そうなると、次の一歩がとても動きやすくなりそうですね?
そうなんです。いままさに、2026年「Stand By Hokkaido」プロジェクトというものに取り組んでいます。5つの戦略を掲げています。
―― 日本一失敗できる会社、ですか。
そうです。失敗できる環境を現場にも根付かせていこうと今やっています。現場に行くと、もっとこうすればよかったけど、上にダメと言われてやめようということが起こっていた。そうすると提案が出なくなる。
数を提案してくれと伝え、全ての提案を審査して、いいものはみんなで共有して称えることをしています。
あとは、係長や主任などの役職をなくしました。リーダーは全部「挙手制」です。自分がやりたい人は手をあげる。そしてリーダーを決めるのは上司ではありません。選挙です。現場から「この人についていきたい」という人をリーダーにしよう、という方向性に変えました。
―― コロナ禍が、会社としての本当の強さを整えた時間になりましたね。
本当に大事な時間でした。でも今は本当に楽しいです。コロナ禍の経験があったから、今やりたいことができていると思います。
―― これからの北海道に、どう関わっていきたいですか?
店の展開はもちろん、先ほどのタッチポイントを増やすというところでは、もっと北海道の「食」にフォーカスしていきたいです。地域にどんどん入り込み、マチ自体をブランディングしたいなという思いで取り組んでいきます。
■ 取材後記
インバウンドが押し寄せたコロナ禍直前、土産店には山のように積まれた「白い恋人」。多くの観光客が手に取り、お土産袋を手に歩いている。そんな光景が北海道中で見られました。
売上含めて会社の規模がどんどんと大きくなっていたその時期を指して、あえて「膨張」という言葉を使う、そしていま会社として向き合っていることに対してあえて「縮小」という言葉を使う。驚きましたが、それがいま必要なことだという強い信念を感じました。
自分たちの目がとどく範囲の中で、より北海道の皆さんに愛してもらいながら、ブランド力を高めていく。
ボトムアップ型でアイデアを取り入れる社内改革も、その手段のひとつでしょう。すでに北海道を代表する看板を持つ企業が、決してその場にとどまらず前に進んでいくためにトライしているという事実は、多くの企業にとってもきっと勇気になるはずです。
<これまでの放送>
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#52 【株式会社Gear8】代表取締役 水野晶仁さん
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#50 【株式会社komham】代表取締役 西山すのさん
#49 【株式会社 創伸建設】代表取締役 岡田 吉伸さん
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