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凪の似合わない個性

「もう…!スズメバチの巣を家の中に持ってきとるよ!」と母が嘆いた。
いつものように眉間にシワを寄せて。

家の裏手にスズメバチが作っていた巣。
植木の剪定に来てもらった植木屋さんと一緒に息子が駆除したそう。
空になった巣を息子が家の中に持ち込んだらしい。

「えー!潜んでいたスズメバチが夜になってブンブン飛び回ったりせんの!?」と
その実物を見ていなかった私は息子に聞いた。

私の頭の中に浮かんだのは、生のスズメバチの巣がそのままポンと置かれている図。

自分がスズメバチに刺されるのももちろんイヤだけど、
夜間の気づかぬうちに猫たちがスズメバチに刺されたりしたら…??

袋に入れて縛ってるよー、という返事。

なーんだ。それならまあ、いいか。あはは!(さすがに生ではなかった!)

孫が家の中に持ち込んだスズメバチの巣は、
祖母にとっては眉間にシワを寄せたくなるシロモノで、本人にとっては残しておきたいオタカラ。

私はスズメバチの巣に興味はないし、とくに家の中に置いてほしい執着ももちろんない。
害がないなら、まあ別にいい。別にいいけど…
「そんなもの」をわざわざ家の中に持ち込む息子そのものが、私にはちょっとおもしろい。

幼い頃から個性的すぎる子だった。
枠からはみ出せない私とは、ずいぶん違う。

そんな彼の個性をうまく伸ばしてやる余裕など、私にはまったくなかった。

「フツー」とはずいぶん角度がずれてしまう。
何度くらいまでのズレが「フツー」の許容範囲かわからないけど。
年齢を重ねれば振り幅も少しずつ狭くなって、だんだんとフツーに近づくのだろうか?

フツーに近づくことは生きやすさにつながるのかもしれないけど
生きやすくなることが彼にとっての本当の幸せだろうか?

「天然の人は自分では天然だとは気が付かない」そう。

息子もまた、「フツーじゃない」と周りに言われるたびに
自分のどこがフツーじゃないんだ?と悩んでいる。
誰かに言われた「個性の暴力」という言葉に本人はえらく凹んでいた。

え?自分のことフツーだと本気で思ってるん?そのほうがびっくりだけどね。
と私は噴き出す。

枠と言う概念をそもそも持ち合わせずに生まれてきてしまったらしい。
もしかしたらもっと心配しなくちゃいけないのかもしれないけど。
人とはずいぶんズレの発生する自分を、楽しんでくれたらいいなと思う。

今日もまた眉間にシワを寄せた祖母に「スズメバチの巣をどうかしてよ」と言われているが、
もちろんどこ吹く風。

たぶんこれからも、周りの人間が読めない風をびゅんびゅん吹かせるのだろう。

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